横浜市民だけど南千住・素盞雄神社の天王祭で御神輿担がせてもらうことにした。
お祭り系の記事が続きます。
お祭りは誰のものか?
さて突然ですが、お祭りは誰のものでしょうか。
難しい質問です。
「地域のもの!」とか「神様のもの!」とかいったな優等生な回答もあれば、「誰のものでもない。」というような思考拒絶の回答もありうることでしょう。
やや質問の角度を変えてみましょう。
地域のお祭りに、余所者(ヨソモノ)は参加してよいのでしょうか。
これはお祭りのプライベート性を問うもので、神社祭礼の根幹に関わる問いかけと言えるのでは。
全国に何万とあるお祭りをひっくるめての自分の乱暴な回答を言えば、以下のような感じかと。
「お祭りは氏子が氏神様のために行うもの。氏子はきわめて地縁性の強い概念であるゆえに、ヨソモノがお祭りに参加することは基本的に想定されていない。しかし、地縁のみによる氏子組織は疲弊している場合も多く前提条件が崩れてきているため、ヨソモノにとって一定の介入余地がある」
というわけで。
余所者として、地域のお祭りにお邪魔します。
ここまでのあらすじはこちら。
素振りの連続
この三年強の間、根無し草としていくつかの地域に顔を出すことで、いろんな地域で"私はこの地域の仲間ですよ"と、ハンパ者みたいな活動をしてきました。コウモリ?
いや、正確にはそのお陰で学ぶことができたわけですが。
住んでいた川崎市高津区明津地区や横浜市青葉区新石川地区で自治会活動を手伝おうとしたり(叶わず)、川崎市中原区のイダナカ商店街に関わりを求めたり(叶わず)、マツリズムを通じて墨田区京島でよんむつの方々を手伝い始めたり(やや手応え)。
このへんは恥ずかしながらこのブログを通じた体験記事として書き残していたのですが、いつの間にか続報がなくなり、フェードアウト。
もちろん、いずれも半端な気持ちというわけではなく、地域に顔を通すことで地域の方々と深く結びつき、より楽しい毎日を送るための本気の余暇活動だったのですが。
あと一歩のところで詰めが甘かったり躊躇すしたり、"どうせ2年しか住まないからなー"とかいった邪念によって、結局シャドーボクシング以上のものにならなかった。
今回は違う、きっと
しかし今回はちょっと違う気がする!。。のです。
荒川区町屋地区への転入はほぼ確定で、かつ同エリアにおけるソーシャルキャピタル形成活動にも一定の成果が見えている状況なのです。
転居したら2年では消えない予定だし、むしろもっと町屋・荒川区を騒がせたい気持ちしかありません。
というわけで
6月3日と、4日は素盞雄神社の氏子(予定)として、御神輿を担いで参ります。
地域性の強いコミュニケーションも、もちろんお祭り体力にも不安ありありな中ですが、喜んで洗礼を味わってみようと思います。
もちろん、ギリギリまで記録記事も書いてみる予定。
【雑談】長浜曳山まつり(滋賀県長浜市)の”子ども歌舞伎”という文化継承
愛知県生まれの私としてもこのエリアというのは大変失礼ながらノーマークで、京都に向かう時に通過する場所としてしか認識していませんでした。
聞いたことがあるかどうかで言えば、近江八幡市についてはたまたま前職の同期が出身だったために認知していたものの、長浜市については”えっと、長浜市ラーメンのところ?”と誤解していたレベルです。
今回特に長浜市を歩いてみて、中心市街地に「曳山博物館」なる施設を見つけたので、偶然入ってみたのです。
それが大当たりでした。
なぜかと言えば、「長浜曳山まつり」という、これまた強烈なお祭りの存在を知ることができ、博物館のスタッフの方を質問攻めにして盛り上がり、興奮冷めやらぬままホテルのロビーでこれを書き始めたというのがここまでのあらすじです。
長浜市ってこんなところ
県の中心にある琵琶湖の北東に位置しており、首都圏から向かう際は新幹線で米原から乗り換えるルートとなります。
歴史的には、16世紀にかの豊臣秀吉が初めて城を構えたのがこの地にある長浜城(もちろん現存せず)で、この時に作られた城下町が現在のまちの骨格をつくっています。
地名はもともとは”今浜”だったのが、秀吉が織田信長の「長」をとって”長浜”に改称したとされています。
まちづくり的には、何をおいても黒壁スクエアでしょう。
黒壁スクエアとは、長浜の中心市街地にある四角形(スクエア)のエリアで、そこには伝統的な町家型の建築物が今も活用され、歩いて楽しい街並みを形成しています。
(黒壁スクエアにある黒壁一号館。もとは銀行だった)
モータリゼーションの波に飲まれ、中心市街地が衰退していたところ、地元の意識ある活動家達が立ち上がってまちづくりに取り組みました。
その成果がいくつかの団体「株式会社黒壁(第3セクター)」「NPO法人まちづくり役場」で、近年でも「長浜まちづくり株式会社」がTMOとして発足しています。
「長浜曳山まつり」
そしてこの地に古くから伝わるお祭りが、毎年4月中旬に開催される「長浜曳山まつり」というわけです。
起源とされるのは、これまた16世紀。
豊臣(当時はまだ羽柴)秀吉に初めての子が生まれた際に、秀吉が城下に振る舞った砂金で町民が山車(やま)を作りました。
長浜八幡宮の祭礼に合わせてこれら山車を曳き回したことが始まりだとされています。
(曳山が保管される蔵)
お祭りの基本的なところ
お祭りの正確な情報については、公式サイトであるこちらが詳しいです。
ご存知の方にとっては当たり前ですが、お祭は神輿を担いでお酒を飲んで騒ぐということ自体が目的というわけではありません。
日本の神社神道の総元締めである神社本庁では、以下のように説明されています。
神様に神饌を捧げることでしてご接待を行い、神様に喜んでいただき、祝詞を奏上することで神様のご神徳をいただいて、皇室を始め天下、地域の安寧と発展、さらには願い事をする氏子崇敬者の繁栄をいのるものなのです。
(神社本庁公式サイトより)
神様に喜んでいただく手段が各地によって異なり、その違いが地域ごとの味となっているのかなと感じています。
そしてここ「長浜曳山まつり」では、12基の曳山とその上で演じられる「子ども歌舞伎」によって、神様を接待するというわけです。
「子ども歌舞伎」
長浜曳山まつり最大の見せ場は、なんといってもこの「子ども歌舞伎」です。
巨大な曳山の上で、年端もゆかぬ子ども達が歌舞伎を演じるのです。
でも、本格的。
この「子ども歌舞伎」について、もう少し詳しく見てみましょう。
(曳山博物館公式サイトより。長浜市内における山組の分布)
氏子区域内には上図のように12基の曳山(及び特殊な位置付けの長刀山)があり、それぞれを管理する町を山組と呼びます。
が、毎年毎年12基全ての曳山を出すということはなく、毎年のお祭りではそのうち4基ずつが出されます。
その年に曳山を出す4つの山組町内では、歌舞伎に出演する役者を、その山組の町内に住む6歳から12歳くらいまでの男の子から指名します。
指名の結果はあくまでその男児の親に対して伝えられ、子どもさん本人に拒否権はありません。
基本的に指名された家庭では喜んで受ける風習となっているようですが、やはりはじめは嫌々稽古に行くということも珍しくないようです。
そこからたった三週間、役者である男児達の稽古が進められます。
あくまで素人の子ども達を、三週間の稽古でモノにさせるわけです。
そしてこの3週間で子ども達は驚異的な成長を見せ、本番を迎えることになるのです。
この間の経験は、幼い子どもにとってもやはり強烈なもののようで、
この経験を経て役者を志す者や、地域に残り、自分の子どもを「子ども歌舞伎」に出そうとする者が現れてくるようです。
結果、親子二代にわたって「子ども歌舞伎」に出演するケースも。
補足的に公式サイトにおける「子ども歌舞伎」に関する説明も載せてみますね。
長浜では歌舞伎のことを「狂言」または「芸」と呼び、曳山を持つ町(山組)の5歳から12歳くらいまでの男子によって演じられます。演目は曳山の四畳半舞台と子ども役者用にアレンジされます。また、毎年新しい演目で演じられ、長浜独自の外題(題名)がつけられます。上演時間は約40分で、本番の前に行われる線香番と呼ばれる公開稽古で時間が計られます。子どもたちの稽古は振付師の指導により、3月下旬(春休み)から4月の祭本日まで約3週間行われ、まず読み習いがあり、それに続いて立ち稽古を行い、最終的に三味線・太夫と合わせて本番を迎えます。
(曳山博物館公式サイトより)
おわりに
こちらのお祭りは、たまたまかもしれませんが、お祭りの形は戦後からほとんど変わっていないということです。
年に4基ずつ曳山を出すという形式は昭和25年頃から既に確立されており、以降も町内の人間のみで祭礼の催行に必要人員を調達できているのです。
こちらはマツリズムが介入できうるようなお祭りとはやや違う気がします。
あくまで地域の人間(子ども役者、若年寄など)によって祭は執り行われ、そこには一切の外部投入がないように見えるのです。
※歌舞伎の指導はさすがに外部有識者を招聘します
以前ご紹介した小浜紋付祭と何が異なるのか。
このあたりを読み解いて行くのも面白いし意義があるような気がしますね。
豊橋駅前大通地区まちなみデザイン会議エリアマネジメント部会が始まりました
昨年度から始められた取り組みが、ようやく表舞台に出てきた感覚です。
私はまだ何もしていませんが。。
豊橋駅前でのエリアマネジメント体制構築に向けた、具体的な協議の場が整いました。
これから一年間かけてこの場で、豊橋駅前エリアをさらに面白くしていくための作戦会議が進められていくこととなります。
エリマネ検討部会の発足
協議の母体となるのは、平成20年に発足し、既に一定のエリアマネジメント的な組織として活動をしていた、「豊橋駅前大通地区まちなみデザイン会議」(以下、駅デザ会議)。
この協議体の中の専門部会として、この4月に「エリアマネジメント検討部会」(以下、エリマネ検討部会)が新設され、面白いアイデア出しや実現のための方法検討が進められていくこととなります。
駅デザ会議とは?
駅デザ会議とは、豊橋駅前エリアの中でも、特に駅前大通と水上ビルを軸とした駅南エリアをフィールドにする主体が集まり、エリアを面白くするためのイベントや協同的情報発信、計画づくりを進めていくための場です。
このエリアは、西武百貨店の撤退やバスターミナル閉鎖といった“豊橋の衰退“を最も強く感じざるを得ないエリアであり、エリア価値の底上げを試みるモチベーションが十分にある方々が集まっています。
平成15年の「西武百貨店の撤退」や「バスターミナルの閉鎖」は、豊橋の中心市街地(まちなか)、特に駅前エリアの衰退を強く印象づける出来事でした。これを機におこった“まちなかをなんとかしたい”という動きは、駅前では、ココラフロント、ココラアヴェニュー、市電電停の新設、芸術文化交流施設「プラット」の整備へとつながっていきます。水上ビル界隈を「アート」で盛り上げようという「sebone(セボネ)」をはじめ、駅前での恒例イベントも増えてきました。
(駅デザ会議公式ページより)
確かに、私が幼少期から感じていた「大都会・豊橋」を感じた一番の要素は西武百貨店とその最上階の映画館「豊橋東宝」の存在でした。
映画と言えば豊橋で、高鳴る胸を抑えながら電車に乗ってるゴジラ映画を観に行ったものです。
豊橋市内の高校に進学後は豊橋が日常になったものの、在学中に西武百貨店が閉鎖となったことのショックは今でも覚えています。
駅前エリアのまちづくりについて、総合的・俯瞰的、かつ、自由に話し合い、提案のできる「場」が必要となりました。駅デザ会議は、駅前各自治会、商店街、エリア内ビル(オフィス、百貨店等)の所有企業、鉄道会社、イベント企画団体のほか、大学、行政からの協力を得て、平成20年夏に発足しました。以降、定期的な話し合いやワークショップの開催、「まちづくりビジョン」の作成、イベントへの協力など、さまざまな活動を行ってきました。これからも駅前エリアの情報の発信や提案を“市民発”で行っていきたいと考えています。
(駅デザ会議公式ページより)
駅デザ会議とエリマネ検討部会は何が異なるのか?
ではなぜ、既に緩やかなエリマネ的活動のあったところに、さらなるエリマネ検討を進める必要があったのか。
そこには主に2つの理由があります。
"駅前"エリアの拡大を図る
1つ目はエリアの拡大です。
駅デザ会議が対象とするのは前述したように駅南であり、具体的には以下のような駅前大通以南を指します。
(駅デザ会議公式ページより)
しかし、豊橋市の中心市街地の衰退は駅南エリアに限らずより広い範囲で進行しており、例えば広小路通りやときわ通り・松葉通りといった商店街についても疲弊が見られます。
ときわ通りについては、奮闘の結果近年空き店舗がなくなったなどのニュース(下記リンク先)もありますが、精文館横のレコードショップの撤退や映画館スカラ座の撤退、近年では広小路アーケードの撤退など衰退を感じる現象が起きてきています。
しかしこうした北側エリアを包括して活性化するための枠組みは現在存在せず、既存の商店街振興組合や単独の主体がそれぞれ頑張っているという状況です。
HANACOYAを初めとする魅力的な取組はもちろんありますが、横につながる仕組みがない。
もちろん豊橋で活動するオモシロい存在はとっくにつながっており、個別では魅力的な連携も始まっています。
エリアマネジメントはそれらに戦略性とさらなる一体性を加えようという夢想の試みなのです。
今回のエリアマネジメントで視野に入れているのはこうした広い範囲での"駅前"。
それは豊橋市中心市街地活性化基本計画が対象とする区域にほぼ一致します。
(第2期豊橋市中心市街地活性化基本計画より)
既存の駅デザ会議が対象としていたエリアを超え、豊橋駅前エリア全体をエリマネしていく方向に転換しようという試みが開始されたのです。
収益性を含めたエリマネ体制の強化を図る
今回の動きの理由のもう1つは、収益性を含めてエリマネ体制の継続性を担保しようというもの。
それは一体どういうことか。
完全なボランティアベースのまちづくり・まちおこしは、"頑張ってこの街を盛り上げよう!"という初動期にこそ大きな盛り上がりを見せるものの、継続しないということが課題として指摘されます。
この背景としてモチベーションの継続性やフリーライダーの問題が考えられますが、要は"一時の衝動は一時の衝動に過ぎない"のです。言い過ぎか?
もちろん、活動の軸を本来的な活性化や社会的な変革から外し、参加者同士の親睦にずらすことで活動の継続性を図っているところもありますが、それらは外から見るとどうしても牙の抜けた印象が拭えません。
一方、エリアマネジメントはボランティアではありません。
エリアマネジメントの多くはその活動主体として独立した法人(NPOや一般社団など)を有しており、常勤の職員と収益体制を確立しています。
もちろん派手な収益はないものの、法人化による動きやすさや社会的信用性は任意団体の比ではありません。
一定の収益構造を確保することで常勤の職員を雇えるようにしつつ、戦略的な試みを継続的に行うことでエリア価値を向上させていこうというのが、法人化の目的です。
収益を得る手段としては行政からの指定管理ほか、場所貸しサービスやカフェ事業・コワーク事業の運営などの事例があります。
例えば千葉県鎌ケ谷市で進められている「KAOの会」というNPO法人は、再開発ビルの商業床の大家さんとしての収入に加え、道路・植栽の保守管理委託、マンション管理組合との景観維持委託を受けることで収益を確保しています。
NPO法人(特定非営利活動法人)KAO(カオ)の会。千葉県 鎌ケ谷駅前を核としたまちづくり活動。
豊橋において収益のある無理のないエリマネ体制を確保するためにどんなことが考えられるか、それを考えるのもこの場の目的となっています。
ロードマップ
この協議の場は、とりあえず一年間の時限的なものとして想定されています。
エリマネ体制や、具体的なオモシロいネタ・それを実現させる方法について基本的なことを話し合った後、エリアマネジメントは正式な協議体に移行を予定しています。
並行して、法人格を持つエリマネ法人の設置準備を進めます。
ここで述べたことは全て現時点での想定に過ぎず、実際はこの協議の場での議論の経過によってどうにでもなります。
まずは、豊橋駅前で新たなオモシロイ動きが開始されたということが、広く知れ渡れば。
TOKYO L.O.C.A.L PROJECTで町屋・荒川区を煽る
街のオモシロいモノと、どうやって出会うのでしょう。
例えば町屋や荒川区でオモシロいものと出会おうとしたら、どこを訪ねればよいのか。
駅前の赤札堂なのか。商店街なのか。ツタヤなのか。
この一年間とりあえず計画もなくふらふらと動いて見た結果、この街にも面白いひと・モノ・コトが確かに存在していることがわかってきました。
脱サラして荒川の実家で不定期カフェを営んでる人、
不定期カフェには街の人の溜まり場になって笑顔が溢れていたコト、
そんな場所に通っていたら、マスターの友達のパン工場三代目主人と知り合って一人社会科見学か始まったコト、
町屋至近の東尾久を拠点にした若手クリエイターの存在、
長屋型オシャレ地域メディアが荒川区の魅力を発信しているコト、
町内会をカスタマイズさせたいと考える町内会役員さんの存在、
単身入居してみたはいいけども、地域活動のためのチャンネルがなく手をこまねく若手社会人、
そして町屋を拠点に、自由な働き方とデザイン思考で社会に挑む会社。
これらは、控えめに言っても、それぞれが類を見ないほど魅力的で眩い存在です。
ただ、それらは普段身を潜めているため、なかなか気付くのが難しい。
彼らの面白さは日本人らしく控えめで、アピールされていない。
アピールされていないから、面白さ同士がつながることも稀である。
例えば、単身学生や単身若手社会人、新米ファミリーが単に引っ越して来て普通に暮らすだけでは、きっと彼らに出会えない。
それでも町屋ほか荒川区は交通アクセスや生活利便性は平均以上に優れているから、そのことが別に致命的な問題というわけではないのだけど。けども。
それでは何かが始まることがないのです。
要らぬお節介プロジェクトを仕掛けます。
当面の活動内容は、町屋・荒川区のオモシロい存在をもっと目立たせ、そしてつなげること。
つなげた後は、つながるからこそ可能になる次のオモシロい連携を促すこと。
夏までには第一弾企画をお披露目できるはず。
なので今の時点ではあまり書けない。。。
けど、ワクワク、ワクワクしてきましたよ。
ちなみにこれも自分一人の発想ではなく、町屋の中のオモシロい人と構想することで生まれてきたものです。
成果を出すために、今持てる資源も外の資源も、惜しむことなく注いでいきますよ。
まだ何も言えませんが、乞うご期待ということで。
もうすぐ素盞雄神社の天王祭ですよという話。
町屋のまちなかで近頃、こんなの見かけませんか?
今年の6月2、3、4日は、素盞雄神社の天王祭です。
荒川区エリアの半分近くを氏子に持つ神社なので、この三日間は荒川の町に、おびただしい数の御輿が出ます。
町屋地区だけでも、15の御輿があるとか。。。
素盞雄神社とは
(昨年の天王祭時の素盞雄神社の様子)
さて、素盞雄神社とは。
素盞雄大神(スサノオオオカミ)と飛鳥大神(アスカオオカミ)をご祭神とする荒川区内でもっとも広い氏子区域をもつ神社です。
(素盞雄神社サイトより)
近頃の神社はFacebookページもあるようで。
http://www.facebook.com/susanoojinja
場所はこちら。
町屋駅から向かうとやや遠いですが、足立区及び日光街道への入り口である千住大橋の南にあります。
御祭神は二柱で、
天照大御神の御弟神であり、八岐大蛇を倒したとされる素盞雄大神(天王さま)と、
天王さまが“災厄除け”、えびすさまが“商売繁盛”の神様とされています。
町屋地区だけで15町の御輿、と書きましたが、氏子区域全体では61ケ町になるということです。
参考に、他地区のお祭りにおける氏子町会の数をご紹介すると、
神田祭(神田明神)…108町会 ※平成29年度神田祭特設サイト|氏子町会神輿神霊入れ
三社祭(浅草神社)…44町会 ※浅草神社 | 三社祭 | 三社祭とは?
という感じです。
天王祭
毎年この時期に、荒川区(及び台東区の一部)の大半を祭り一色に染めるのが、このお祭りです。
期間中は老若男女が外に出て、神輿を担いだり、酒を飲んだり暴れたりと、良くも悪くも熱気に包まれます。
これまで、地域への関わりをずっと求めつつも今一歩及ばなかった私にとって、指を咥えて見るのはあまりに悔しいお祭りだというのがこの天王祭に対する認識です。
それゆえこの時期になると、どこか胸の奥がくすぐられる感覚。
昨年はそれをごまかすためか、別のお祭りに堂々と余所者として参加していました。
天王祭とは(公式情報など)
公式情報はこちらから。
いかなる神社祭礼も、神様に神饌(神に供える酒食)を捧げることで接待を行い、神様に喜んでいただき、祝詞を奏上することで御神徳をいただき、繁栄を祈るという形は基本的に共通しています。
違うのはテーマで、家内安全や商売繁昌、安産、病気平癒、厄除けなど様々です。
素盞雄神社の天王祭では、「夏に流行する疫病を振り祓う」ことをテーマとしており、春秋に稲の収穫を祈念感謝する農村型祭禮に対して“都市型祭禮”とされます。
起源は1541(天文2)年まで遡るようで、絶え間なく続いてきたのだとすると480年近い歴史を持つお祭りということになりますね。
震災や戦災による影響も調べたいところです。
過去の天王祭
三年に一度の本祭
富岡八幡宮の深川祭(三年おき)や神田明神の神田祭(二年おき)など、本祭と簡略的な陰祭を分けるお祭りは少なくありません。
ここ素盞雄神社天王祭においても本祭が行われるのは三年に一度となっています。
天王祭の本祭では、長柄二本(二天棒)が特徴的な本社神輿が出されます。
直近の本祭は2015年なので、すると次回の本祭は2018年ということになりますね。
さて、まずは敬愛する荒川102が、前回の本祭である2015年の様子をまとめられていますのでご紹介します。
youtubeでは本社神輿振りの動画も見つけました。勇壮。
2016年天王祭時の町屋周辺(ギャラリー)
続いて、自前で記録した昨年2016年の様子を紹介。
ふらふらと歩いて撮っていたわけですが、その間中ずっと胸のざわざわがありましたね。。。
町屋二丁目の大黒屋前、町屋東栄町会の神輿振り。
都電通りが人、人、人で埋め尽くされておりました。
荒川六丁目の第四峡田小学校付近、荒川六丁目新地町会。
荒川六丁目のサンクス付近、荒川六丁目西町会。
建物の密集した細い道も、下町の神輿は進んでいきますよ。
さて、今年は
さて、文中でたびたび未練がましいことを書いてきたわけですが。
参加させてもらえないかな。
まだ荒川区への入国前だというのは大前提なのですが、この一年間何かしら動いてきた結果、一歩踏み出せば可能になるような気がする。
”これから転入しようとする地域の氏神様に、一足先にご挨拶する”って、まああるよな。←
昨年同様に墨田区高木神社で、よんむつの方々のお手伝いをするという選択肢もあるわけですが。
世話人がいて、パッケージングされて、楽しさも安全も担保された選択肢を、とることもできるわけですが。
その度によぎるのが、この時感じたこの感覚なのです。
”他人の神輿を担ぐ”ということ。
今回、マツリズムという事業者を通じて、地域のお祭りへかなり近い位置で関わらせていただいたわけですが。
自分と同じような祭り参加者にとって今回のような体験は、野外フェスとかスポーツとかバーベキューとか、そんなアクティビティとはまた違う刺激をきっと得られたのでしょう。
いい運動したー!みたいな身体的な満足感と合わせて、こうした”地域くささ”って、特に単身生活者とか流動的に居住地を変える人にとって縁の遠いものだからです。
それはよさこい系のお祭りにはないもの。
だから、こうした層がマツリズムの主要なターゲットなのかもしれない。
休日のアクティビティの選択肢の一つ、ということ。
そんな刹那的かつエンターテインメント的楽しみ方とは別に、こんな楽しみ方もあったのかもしれません。
それは、”もしかしたら今回のお祭りに参加した自分、その地域の役に立てたんじゃ?”というもの。
慈善的な意義を活動に感じるということ。もしかしたらこれも広い意味での満足感で、マツリズムはこうした層もターゲティングしているのかもしれません。
ですが自分は、なぜか途中からひたすら悔しくて泣きそうになった。
それは体力的に神輿がつらいというのももちろんありましたが。
一番大きかったのは、「どうして自分は、この地域のために神輿を担いでいるんだろう?」という感情。
自分としては神輿を担ぐことは単なるエンターテインメントではなく、きわめて場所性に意味を持つ行為。
ここでは宗教的な意義は取り上げませんし信心もそれほどありませんが、まあそれはいいか。
それでも神輿は、神輿を出す地域コミュニティのための格式高い行為であることは明らかです。
確かに貴重な運動をできた満足感はある。
肩の痛みはそんな満足感を増幅されてくれてもいる。
でも、自分の肩の痛みや疲労感も、その地域の氏神様に奉納してしまった感覚がある。
それは神輿という伝統文化のために捧げたわけで。
もう少し説明すると。
今回感じた疎外感。
マツリズムを通じて参加した我々に対するよんむつの方々の接し方は、親しげではあれど明らかにゲストとしてのそれでした。
地域のお祭りを、あくまで手伝ってくれるだけの人ということ。
それは紛れもなく自分たちがヨソモノで、それ以上踏み込むことを許されていない壁のようなものの存在を強く感じてしまった。
自分の頭がカタいことは既に気づいていますが、そんなことで私はひたすら悔しかった。
神輿は自分のために、自分の住むコミュニティのために担ぐものだよな。
実際は、自分の地域として関わる神社祭礼はただ美しいだけのものではないでしょう。
本当は参加したくないのに、地域に住んでいるからこそ避けられないしがらみ、連番でまわってくる面倒な役回り。
好きでもない人でも、先に生まれたというだけで敬わなければいけないクラシックな文化。
それが地域だよな。
でも、そんな地域が欲しいんだと感じた。 (拙ブログ記事より)
と、いうわけです。
蒲郡のまちセンや市民まちづくりの動きなど。
連休中の帰省のついでに、勤労福祉会館内にある「がまごおり市民まちづくりセンター」に立ち寄って来ました。
(勤労福祉会館外観。蒲郡市サイトより)
実は3年ぶりの訪問で、前回は就職直前というタイミングだったのですが、スタッフさんの方が「初じゃないですよね?」と言ってくださり、覚えてくださってたことに感激しました。
がまごおり市民まちづくりセンターとは?
さて、この「がまごおり市民まちづくりセンター」(以下適宜、まちセン)とは何でしょうか。
一言で言えば「蒲郡市における市民まちづくり活動の、公設民営の中間支援機関」なのですが、当たり前ながら"市民まちづくり"も"中間支援"もきわめて多義的なので、本質的な理解はなかなか難しいところです。
蒲郡市の公式サイトでは以下のように説明されています。
蒲郡市の協働のまちづくりを円滑に推進するセンターです。
地域で活躍する市民活動団体をはじめ、いろんな分野の蒲郡市民が連携して「がまごおり」を考えることができる場所として、市民活動の支援をしながら、協働に必要な情報を集積・発信します。
協働のまちづくりの推進事業
中間支援事業・・・市民と行政、市民同士、企業との連携
人材育成・・・・・市民コーディネーターの育成、募集
啓発、広報活動・・各種団体Hp管理や情報誌の発行及びイベントの実施
協働コーディネート業務・・市民、企業、教育、行政など総市民力による事業の推進
シンクタンク機能
NPO(市民活動団体を含む)活動の支援・育成NPO(法人)設立等の相談
利用者会の運営
ネットワーク機能の強化
管理運営備品管理
活動団体の連絡先の管理、紹介
市外のセンターとの連携
具体的に、市民がまちセンで何ができるのかと言うと、まずは①情報の集まる場所としての機能。
まちセン内には蒲郡市内外のまちづくり活動・助成金・セミナー等々のチラシのほか、市内で登録されている活動団体のイベント告知チラシなども置かれています。
また、まちづくり活動を行う上での相談にも対応してくださるようです。
また、既に活動団体として登録された方々にとっては、ミーティングや印刷作業の場といった②活動拠点としての機能も欠かすことはできません。
会議テーブルとしての利用や、チラシ印刷のための印刷機設置、ロッカー貸しといったサービスが提供されます。
そして最もわかりやすいのが、③助成金の相談窓口という機能でしょう。
蒲郡市では、なんと平成18年度より市民まちづくり活動に対して助成を行う制度が設けられており、審査で選ばれた団体に上限10万円、100万円が与えられます。
詳細は後述しますが、この相談窓口がまちセンというわけです。
その他、廃線の話があった名鉄蒲郡線の利用促進や、ご当地うどんサミット、ユニバーサルデザインのまちづくりに向けた意見交換会設置など、中間支援機能以外の活動の拡がりもあるようなのですが、こちらのほうはよくわかっていません。ごめんなさい。
まちセンへのアクセス方法としてはもちろん現地に赴くことなのですが、いきなりそれはハードルが高いという場合は、ウェブを通じて情報を見ることになります。
そんな場合のためにまちセン独自のサイトもあるわけですが、情報更新のメインはどちらかといえばFacebookのようです。
ブログも更新がありますね。
がまごおり市民まちづくりセンターのブログ - 蒲郡の協働のまちづくりに取り組み市民団体へのサービスを提供する公設民営の中間支援センター
情報誌「がまっち」も発行されています。
がまごおり市民企画公募まちづくり事業助成金
(まちセンブログより)
制度概要
さて、蒲郡市が設置しているまちづくり助成制度について。
繰り返しになりますが、蒲郡市では平成18年度より「がまごおり市民企画公募まちづくり事業助成金」の制度があり、毎年度の審査により市民活動に助成金が提供されています。
助成金は部門が二つに分かれており、それぞれ活動のフェーズ別に金額や審査方法が異なります。
活動の駆け出しである「はじめの一歩部門」が上限10万円、それ以降の「ほとぼしる情熱支援部門」が上限100万円。
事業の流れ
いずれの部門にも共通する流れとして、年明けから翌年度事業の応募受付が開始されます。
平成29年度の例では、1/4〜2/8が応募期間でした。※「ほとぼしる情熱支援部門」は2/1まで。
希望する団体はこの期間内に、まちセンへの相談等を通じて事業内容を固め、必要書類を仕上げて提出することとなります。
また、この期間中に制度説明会が二回程度開催されています。
書類提出後は、蒲郡市協働まちづくり課による書類審査を受けることとなります。
ここである程度のふるいにかけられ、通過した団体が二次選考に進みます。
二次選考の方法は部門別に分かれており、「はじめの一歩部門」では面接審査が、「ほとぼしる情熱支援部門」では公開審査が行われます。
審査の観点は、
・公益性、チャレンジ性、先駆性
・計画推進力の所在、団体の統一感
・事業継続性と他への波及
・情熱
ということです。
(まちセンブログより)
二次選考で選ばれた団体は、速やかに助成金の請求を行うことができるわけですが、年度中に事業を完了させ、報告する必要があります。
公金を活用した事業を、きちんと行いましたと示すわけですね。
主要登録団体
活動成果がかなりあがってきていると思われる団体さんを、ウェブからの情報のみにより恣意的にご紹介してみます。
がまごおり花フル会
(みかわオンパク公式サイトより)
まずはこちら。
まちづくり事業助成金の交付常連団体で、間違いなく蒲郡市における協働まちづくりのトップランナーと言えるでしょう。
団体の登録情報によると、200名ほどのメンバーが在籍してるよう。
活動内容はその名の通りお花の手入れで、蒲郡駅前に置かれたプランターに"がまごおり花フル会"の団体名称が書かれているのが代表的なところ。
駅前以外にも、市民病院や竹島パーク等といった公共施設に設置する花壇の手入れを手広くされているようです。
防災塾 知ってて蒲郡
(まちセン公式サイトより )
こちらの団体さんの活動テーマは、防災意識の啓発です。
上の写真のような講座「防災塾」や「防災リーダー研修会」の開催や、防災訓練の開催を通じて、風化しがちな市民の防災意識の維持・向上を図ります。
メンバーは40名弱で、その大半が女性の方々です。
アレルギーっ子の 蒲郡
(facebookページより)
アレルギーに関する情報交換を、「おしゃべり会」として定期的に開催されている団体です。
食物アレルギー等に関する疑問に思っても、周囲に相談相手がいなければ、常に不安な状態のまま生活をしなければなりません。
そこで、集まって情報交換を行うことのできる場を設置することにより、悩みを解消しつつ楽しいコミュニティを作ろうというコンセプトで運営されているようです。
こちらはtwitterアカウントもお持ちのようですね。
喘息やアトピーや食物アレルギーの子を持つ蒲郡周辺のママ達が、治療について近況報告をしたり、学校や園でのこと、スーパーや飲食店などの情報を持ち寄り楽しくおしゃべりする会です♪
(twitterより)
小江まちカフェ
(まちセンブログより)
個人的に注目度の高い試みです。
主な活動としては、月に一度公民館に集まっておしゃべりをする場を設けること。
地域の大人と子供を顔見知りにすることに注力されており、カフェだけでなく、小学校校庭の畑を活用した地域の畑作りの試みもされています。
蒲郡はもちろん車社会なので、ふらっと外に出ると顔見知りがいるような環境は醸成されにくいのでしょう。
そんな状況に対抗して、地縁コミュニティをもう一度作ろうとしているように感じられます。
メンバーは9名ほどのようです。
その他
一つ一つは紹介しきれませんが、そのほかにも蒲郡には注目すべき市民まちづくりの動きがあります。
三河社中
start from Miya
蒲郡Fan
森の文化祭
こんなところで。
見ていると、揺さぶられる思いです。
【マツリズム】小浜紋付祭に見る、祭りと地域とのカンケイ
今日は久々にマツリズムのお話です。
最近はお祭りとしてはオフシーズンですが、その間もマツリズムとしては活動が行われています。
ちなみにマツリズムとは、地域のお祭りへの参加を仲介することで新たな娯楽・つながりを生み、社会課題の解決につなげようとする一般社団法人です。
Ma-tourismから祭ismへ
マツリズムの主要な活動は地域のお祭りとヨソ者をつなげることで、その活動こそがマツリズム(「祭」+「ツーリズム」→Ma-tourism)でした。
しかし、それは一般社団法人マツリズムの、観光事業としての一側面に過ぎません。
現在進められているのは、より大きな概念としてのマツリズム(「祭」+「主義」→祭ism)を模索する試みです。
地域のお祭りが抱える課題にしっかりと向き合い、その解決に向けてマツリズムは何ができるのか?ということを深めるための議論「祭りかいぎ」をしているのです。
祭りかいぎでの発見
(Facebookイベントページより)
祭りかいぎのテーマは最初、「あなたにとって、お祭りとは?」という広いものでした。
そしてここで面白い発見をしたのです。
祭りというものの捉え方が、二つに大きく分かれることに。
よく、「祭りは非日常」という表現がなされると思います。
ですが、これは祭りの一側面でしかなく、どちらかといえば"参加者"の視点のもの。
マツリズムにおける参加者や、パフォーマンス系のお祭りの出演者はこれにあたるでしょう。
マツリズムは祭りの"参加者"と"担い手"をつなぐ試みであるがゆえに、祭りかいぎにもその両者が参加しています。
そして、一方の"担い手"にとっては、祭りはというものはどこまで行っても日常であるということ。
この理由は多くありますが、代表的なものをあげれば、"当日だけが祭りではなく、前日までの段取りこそが肝"ということです。
祭りの担い手の筆頭となるのは町会青年部や氏子会など様々ですが、稽古による伝統芸能の継承、必要物資や必要人員の配置、関係各所との調整など、お祭り当日に向けてやることは山ほどあります。
そしてそうした準備は毎年繰り返されるだけに、"参加者"とは異なるお祭り感を持っているのです。
(当日のワークショップより)
ここで言いたいのは、だから"参加者"は無責任だとかいうことではなく、お祭りを執り行う上ではどちらも必要なのです。
リーダーだけでなく、フォロワーがいてこそ物事は動きます。
ですが、"担い手"と"参加者"の別によってお祭りの捉え方が異なるということは、単純に面白い発見でした。
ちなみにこの時の内容については、代表である大原さんのブログでも紹介されています。
このような、筋書きを設けず、出席者同士のディスカッションやワークショップによってお祭りについて考える試みが、"祭りかいぎ"なのですね。
小浜紋付祭の受難
直近の、4月23日にも祭りかいぎが開催されました。
今回のテーマは具体のケーススタディで、存続の危機を迎えるお祭りに、いかに人を呼び、継続性をもたらすかということてした。
(当日の様子より)
今回はゲストスピーカーをお招きし、話題提供が行われました。
いらっしゃったのは、福島県二本松市の小浜地区で「紋付祭」というお祭りを担うZさん。
普段は市役所に勤務されているのですが、その傍ら、紋付祭新町(にいまち)地区の若連(18-39歳の男衆で、お祭りの中心的な担い手)として、存続を危惧し様々なアクションを起こされています。
小浜紋付祭については、こちらから。
紋付祭の担い手である”若連”は、18歳から39歳までの男性に限られています。
もちろん40歳を超えた方々や女性もお祭りと無関係ではありませんが、どちらかといえばお手伝いという位置づけとなります。
お祭りの中心的な役割である、太鼓台(いわゆる山車)を曳いたり笛を吹いたり神輿を担いだりといったことは、若連が担うということが伝統となっています。
しかし、日本全国共通の傾向として、伝統的な慣習がまかりならなくなる事情が発生しています。
それは少子化や過疎化、若者の地域離れ。
様々な要因により、若連の成り手は減少していくのです。
そしてとうとう、紋付祭を実施している4地区の一つである「新町(にいまち)地区」では、今後2、3年以内には祭の催行に必要な最低限の若連が確保できなくなってしまうことが濃厚となりました。
この事態に対しては、参加の門戸を拡げるという方向での対応が検討されています。
具体的には、"担い手"である若連の正会員の要件は変えないものの、あくまで"参加者"である祭典協力者を募ることとなりました。
祭典協力者とは、例えば新町地区に直接は縁がなくても、隣接する福島市や郡山市の大学生や、マツリズムを通じて参加する若者など。
地域に興味を持って参加してくれる人間を、お祭りとしてきちんと受け入れる体制を作っていこうとしているのです。
この場合、受け入れる際に必要となる諸事項(食事・宿泊場所・費用など)が課題となるのは当然ですが、それ以前に”祭典協力者を安定的に確保できるるのか?”ということが肝要となります。
要は、人が来てくれるのか?ということです。
ここからは、"参加者"と"担い手"を結ぶマツリズム、その事業としての課題につながります。
特定のお祭りに、いかに魅力を感じてもらい、さらに"参加してみようかな"という気持ちになってもらうかということなのです。
祭りかいぎの場では、そんな話題提供を受けて、ざっくばらんに質問・意見交換が終わりました。
そして、一つのことが見えてきたのです。
顔の見える場こそ
それは、この"顔の見える場"こそが鍵なのではないかということです。
どういうことでしょうか。
遠隔地のお祭りに魅力を感じてもらうためには様々な方法がありますが、まずはポスターや映像など、第一印象によるものがあるでしょう。
あ、かっこいいなと思ってもらう。
優れた映像としては、愛知県豊橋市の手筒花火にまつわるもの(以下)や、
TEZUTSU -fire flower town- from Tatsuya Ino on Vimeo.
墨田区の高木神社例大祭に密着してマツリズムで製作したもの(以下)などがあります。
いずれも、それぞれのお祭りが持つかっこよさに加えて、そのかっこよさを構成する一人一人のパーソナリティにも焦点が当てられており、"あ、いいな"とモチベーションを高めるのに十分な質を持っていると考えられます。
もしかしたらこの時点で、そのお祭りに参加する門戸が開かれており、距離・費用面のハードルが一定のレベル以下であったとしたら、参加してしまうかもしれません。
ただ、ハードルがそのレベルを上回ってしまったとしたら?
"魅力的だけど、さすがに遠いな。。。""ちょっと高いな。。。"
と、参加をためらい、こうなることでしょう。
"ま、今回はやめておくか"と。
そのためには、モチベーションを上げるか、参加のハードルを下げること。
やや前振りが長くなりましたが、そのためにこそ、こうした対話の場が有効ではないかと考えられるのです。
対話から人間関係が始まる
顔の見える場で、お祭りの当事者から悩みを打ち明けられ、親身になって会話をすること。
その時点で、その場には既にお祭りや地域への愛着が生まれ始めていると言えます。
出席者は手帳を開き始め、今年のお祭り日程の空きを確認し始めていました。
対話をして距離を縮めることで、人間関係が作られ始めます。
その人間関係が、遠隔地のお祭りへ参加するハードルを下げ、個々人のモチベーションを上げる効果があるように感じるのです。
今回はマツリズムの試みの紹介でした。
興味を持たれた方は、ホームページやFacebookページでチェックをしてみてください。