no pleasure, no life(旧ブログ名:まちづくり、例えばこんなふうに)

意固地になるほどに"まちづくり"が気になって仕方ない。自分の関わったまちづくりの活動・調査の記録を中心にしつつ、"都市""街の変化"の話題など。 Keyword→まちづくり/都市計画/荒川区町屋/蒲郡/豊橋/三河/谷中

「サヨナラ、たまプラーザ」その2

たまプラーザの街への別れの挨拶、後編です。

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たまプラーザの街は、盲目な自分にとって何の刺激も感じることができない場所だと思い込み始めた。

それどころか、安価な食事のための牛丼チェーンもないし、リーズナブルな定食屋さんもないし、ディスカウントショップもないし、もはや単身男性は街に受け入れられていないのではないかと、被害妄想を逞しくさせた。

"地域で暮らすことを渇望する自分"が、実は地域に受け入れられていないということは、言葉以上にショックな事態であった。

 

考えの偏った私は、この街に居続けることは時間の浪費だと考え始めた。

そして、自ら変化を起こすことを試みた。

それがこの一連の活動である。

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荒川区町屋。

たまプラーザから電車で1時間以上もかかるこの街に足繁く通い、調査の真似事を始めたのである。

何のことはない、現実に満たされない自分は、欲求を他所で実現させようとしたのだ。

 

町屋は学部生活の後半を過ごした街であり、これまでに住んだ街の中でも満足度がかなり高かった街であるが、ここでも欲求不満を経験していた。

当時は単身生活に寂しさを感じ始めた時期であり、地域へのつながりを求めて(当時にしては)様々なことを試みていたのである。

賃貸住宅において通常はマストでない町会への加入、近所でのラジオ体操通い、餅つき大会への出席、地域のサークル入会、など。

しかし悉く、中途半端に終わってしまったのだ。

 

そんな経緯による執着が、再び町屋にこだわらせ始めた。

「次は町屋に住もう。そして、住む前からソーシャルキャピタルを形成しておこう」と心に決め、その準備を始めたのである。

 

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また、ほぼ時を同じくして、転職の動きをしていた。

地方公務員として自治体のために働くという生き方に疑問を抱き始めた時期であり、専門性を高めるための転職を志した。

そして、都内の事務所に就職することとなったのである。

 

これにより、"次は町屋に住む"という信念は固まった。

ここから町屋での活動を加速させた結果、現在までに多くのかけがえのない出会いを経験したのである。

 

いま、7月下旬の町屋再入国がほぼ決まった。

今度の町屋生活は、これまでのどんな地域における生活とも異なる予感がある。

 

 

例えば地域の人の繋がり。

基本的に自分の年齢の2倍以上の方ばかりであるが、街について議論を重ね、町会から社会を良くしていこうとスクラムを組んでいるチームがある。

地道に地道に、少しずつ町会をカスタマイズしていく仕掛けを入れようとしている。

 

また、町屋を盛り上げる活動拠点。

とあるテレビ番組から始まった、強烈な存在感の会社との出会いは、町屋を舞台にした"オモシロい連鎖"を生むためのプロジェクトに派生しようとしている。

 

地域のつながりと、活動拠点が確保された状態での町屋再入国を予定しているのである。

これはもう、毎日が刺激と興奮に満ちたものになるとしか想像できない。

 

 

たまプラーザでの2年間はとても退屈なものであったが、だからこそ町屋での代償という奇妙な取り組みが成果を出し始めたとも言える。

あいにく、この街への愛着というものは結局持てることはできなかったが。

「サヨナラ、たまプラーザ」その1

※本日はポエムにてお送りします

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たまプラーザへ転居してちょうど2年が経とうとしている。

 

転居理由は、それまで大学時代の友人と取り組んでいたシェア暮らしが解消されたこと。

社会人生活の開始と共に、元住吉徒歩30分超の2LDKでのルームシェア生活をしていたわけですが、相手が1年間で会社を辞めて大学院に戻ることなった。

それに伴い、また単身に戻らざるをえなくなったというわけだ。

 

なぜ「たまプラーザ」だったのかを振り返ると、色々な理由があった。

当時の勤務地の最寄りである市営地下鉄「高島町」へのアクセスを考慮しつつも、それほど職住近接をしたいとは思っていなかったので、市営地下鉄沿線に住もうとはもともと思っていなかった。

むしろ友人の多い東京都内へのアクセスのほうを優先し、それならば東急線だろうなと薄々考えていた。

 

その中でもたまプラーザを選択した大きな理由はこれであった。

jisedaikogai.jp

 

横浜市東急電鉄が進めている、まちづくりのパイロットプロジェクトの舞台だったのだ。

このプロジェクトは大学院時代の指導教員も参加しており、もしかしたら自分も仕事ではないところで、地域の方々と一緒に”まちづくり”に参加できるのではないかという下心があった。

振り返ると、それに関する記事も書いていた。

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もともと学生時代から、単身者ながら、住む街にコミットしながら暮らしたいという野望というか執念を抱えており、大なり小なり何かのアクションを起こしながら街に過ごしていた。

たまプラーザであれば、指導教員の縁もあり、何か街に関わる糸口が見つかるかもしれないと考えたのだ。 

 

しかし、たまプラーザに住んでいても、そのまちづくりの動きが一向にわからない。

実は大学院在学時代に、ここの計画づくりのワークショップ、つまりは初動期に立ち会ったことがあったのだが、そこから派生した具体のまちづくりの動きが街中で展開しているのかと思っていた。

にも関わらず、この2年間のたまプラーザ生活の中で「次世代郊外まちづくり」を意識したのは、駅のホーム壁に掲示されたポスターを通じてのみであった。

リーディングプロジェクトとやらの名称と説明だけが並ぶものの、最も重要である、そこにいかにして参画できるのかというヒントはなかった。

公式サイトにも、イベントレポートが並ぶばかりだった。

もちろん、死ぬ気で探せば糸口は見つけられたのかもしれない。

しかしまあ結果として、たまプラーザの街に住んでまちづくりに参加するということはできなかった。

 

"まちづくり"を自治会活動に置き換えたこともあった。

居住地周辺の自治会に入会して自治会費を収めるというところまでは試みた。

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しかし平日はすべて街にいないようなサラリーマンにとって、地域活動はやはり限界があった。

 

自分にとってのたまプラーザの街を、"まちづくり"の眼鏡を外して見ると、驚くほど何もない街であるということを苦痛に感じてきた。

確かに、たまプラーザテラス(東急百貨店含む)、イトーヨーカドーという2大消費拠点を擁する街ではある。

そうしたスポットでは、毎週末若いファミリーな幸せな姿を見ることができたが、その波の中を単身で胸を張って歩ける自信はなかった。

要は、たまプラーザが"子育ての街"であろうとしすぎて、それ以外の層を受け入れる気概、事実、居場所がなかった。

 

さらに、駅から離れた箇所には小規模な商店街が存在するのみで、開拓余地を感じさせる街の"官能性"のようなものは感じることができなかった。

もちろんここには、自分の開拓精神の不足も大いにあったわけだが、もうその時点ではそんな気は失せていた。

たまプラーザに愛着を持てる心の余裕は、どんどんやせ細っていった。

たまプラーザの街は、単身者にとって何の刺激もない住宅地であると、やや荒んだ気持ちが現れてきた。

 

(その2へ続く)

横浜市民だけど素盞雄神社の天王祭(町屋地区)で御神輿担いできた話のその2。

さて"その2"です。

前回記事はこちらから。

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お祭りの流れ、2

前回は、お祭りの話とは言え、待機所とか奉賛金といった裏方のお話がほとんどでしたね。

華やかに見える御神輿のウラで、大事な準備や段取りや仕組みがあるのだよということが、少しでも認識されればよいかなーと思います。

 

さて今回は、いよいよお祭りの主役?とも言える御神輿の話でございますよ。

町内巡行

御神輿は町内を巡ります。

天王祭からいらっしゃった神様(の御霊)を載せ、町内を練って氏子のみなさんに披露するのです。

御神輿の担ぎ方

まずは簡単に御神輿の担ぎ方について。

ただ担ぐだけじゃないの?と思われるかもしれませんが、意外とこれが深くて難易度高い事情があるのです。

 

前段として、これだけ言わせて。

御神輿、めっちゃ重たいです。

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(今回担がせてもらった御神輿@尾竹橋通り)

 

さて、御神輿の担ぎ方。

当たり前ながら、人の身長の高さというものはバラバラです。

頭の高さと同じように肩の高さも異なり、高い人もいれば低い人もいるのです。

 

一方で、御神輿は肩の高さで担ぎます。

ほぼ首と言ってもいいような、肩の付け根部分を御神輿の担ぎ棒に押し当て、歩行による御神輿の上下運動に合わせて、自らの身体も上下させます。

御神輿と言えば掛け声ですが、それはそのためのリズム合わせなのかなと感じました。

足を出すタイミングが揃うように。

 

イメージ的には、屈んですり足を延々続ける感覚でしょうか。

少しでもタイミングがずれれば、担ぎ棒は容赦なく首を強打します。これが腫れるほど痛い。

なので、御神輿と身体を密着させた状態を保ち続けることが、当日はおろか翌日以降も続く後遺症を抑える唯一の手段となります。

 

結論としては、そんなんできるか。

 

どうしたってタイミングはズレるし、身長の高さがバラバラな方々が入れ替わり立ち替わりで担いでるので予測不能な高さの変化はしょっちゅう変わるし、イキって遊び出すマイルドヤンキーな方々はいるわで、その他疲労もあったりで。

 

結果、1日目が終わった時点での肩氏こちらになります。

 

 

 

※食事中注意

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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はい、失礼しました。。

(現在は完治)

 

熟練になれば無傷で二日間を終えられたのでしょうか。

 

一本締めに始まり一本締めに終わる

昨年の高木神社でもそうでしたが、御神輿を担ぐ直前、おろした直後には決まったルーティンがあります。

それは一本締め

 

「お手を拝借、イヨー!パン!」 

ではありません。

 

3・3・3・1です。

宴席では、三本締めとか言われるあれです。

 

この意味としては、3を3回繰り返すことで「九」を作り、そこに1を足すことで「丸」にするということ。

つまりは丸く収めるということなんだそう。

 

「差す」

休憩所や、お祭りに協力してもらったお店や場所の前で、御神輿を「差す」ことがあります。

それは、普段は肩で担いでいる御神輿を片手で高く掲げ、空いている方の手で担ぎ棒を横から叩くという不思議な動作です。

差したと思ったらすぐに御神輿を下ろしたりする急展開があるので、意外とこれが危ない。

 

意味はよく聞いてはいませんが、感謝とか、「神様、このお宅にはもうちょっと贔屓してあげてくださいね。。。!」というメッセージなのかなと推察しました。

本当はどういう意味なんでしょう。

 

休憩所でもやはり飲酒

さて、御神輿を担いでいる途中、何度か御神輿を止めて下ろします。

感覚としては、20分くらい担いだ後、15分くらい。

御神輿を担ぐのはやはりとてつもなく体力を消費するので、休憩するわけですね。

 

こんな感じですが、助っ人な方々ばかりなのでややアレですね。。。

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(町屋二丁目、酒肴DINING「伴」の隣にて)

 

休憩所では、ビールをはじめとした飲料と、軽食がふるまわれます。

 

こちらは焼酎のお茶割り。

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こちらは軽食で、ニンニク風味のチキンだったでしょうかね。 

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余談ですがこの時間は、私のような飛び込み参加者にとってはなかなかに苦痛な時間です。

それもそのはず、知り合いがいないので話し相手がいないのです。

お酒は飲んでいるのでその勢いを借りるということもあるかもしれませんが、"自分以外全員知り合い"みたいな状況の中でそれができる方はどのくらいいるのでしょうねー。。。

 

町屋地区15町会連合渡御

町屋地区の天王祭における最大の見せ場は、2日目である日曜日正午から開始された連合渡御でしょう。

町屋地区に存在している15の町会が、町屋のメインストリートである尾竹橋通りに御神輿を集め、順番に進むのです。

 

開始前、御神輿が少しずつ集まってくる様子を見るだけで、高まります。

そしてその光景を、御神輿の担ぎ手の一人として、(借り物ながら)半纏を着て見ているというシチュエーションにも高まります。

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(連合渡御開始前の尾竹橋通り)

 

1つ(数え方は?)でもそれ自体見応えのある御神輿を、一箇所で15も見られるのです。

やはり沿道には見物される方々が多く、その中で担げることについての誇りも生まれてきます。

 

宮入り

御神輿はお宮、つまりは神社から神様を載せて出発したこととなっています。

ということは、最後はお宮に神様を送らなければなりません。

それが宮入り。

こちらは動画をTwitterに投稿していたので、それを転載します。

 

 

これを投稿できたということは、すなわちこのタイミングでは私は御神輿を担いでいません。

1日目は出発から到着までずっと担いでいたのですが、二日目は頃合いを見ながら休憩をやや増やさざるをえなかった。

実感値として、長時間御神輿を担いでる人はむしろ少数派で、休憩所から休憩所の間でも、かなりの頻度で交代がありました。

 

 

さて、”その2”として御神輿編をお送りしました。

やっぱり三部作になってしまいそうですね。

次回は総括的な内容で、考察をしてみようかと思ってます。

横浜市民だけど素盞雄神社の天王祭(町屋地区)で御神輿担いできた話のその1。

早くも一週間がに過ぎてしまいましたが、素盞雄神社の天王祭に参加してきました。

御神輿を担いだのは、昨年の高木神社の例大祭以来ちょうど一年ぶり。

 

前回は、マツリズムという、わかりやすく言えばお祭り参加仲介事業の中での御神輿担ぎであり、いろいろと思うところがありました。

一方で今回は、そういった下地のない正真正銘の飛び込み。ダイブ。

もちろん、やはり思うところはありましたが、昨年得たものとはやや異なる気がしています。

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そんな、昨年のお祭り体験記はこちらから。

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経緯と動機

今回のお祭り参加は、直接の知人の方を介してのものでした。

件の"荒川区景観まちづくり塾"には地域で活動をされる様々な方々がおり、その中にはもちろん町内会の関係者もいらしたのです。

幸いなことに、私がグループワークで所属していた町屋・荒川地域には、私がかつて荒川区民だあった時代に所属していた町内会の総務部長さん(もちろん当時は面識ありません)がおられ、仲良くさせていただく中で、今回の天王祭ダイブが実現したというわけです。

 

完全な私事ですが、今年7月には荒川区へ再入国予定。

でも、それだと6月上旬の天王祭は、素盞雄神社の氏子として迎えられない。

それならば、あらかじめフライングしてしまえ、氏神様への挨拶を先にしてしまえということで。 

 

ちなみに以前の記事に書いたように、こうした余所者のお祭り参加自体は、おそらく多くの町内会・氏子組織で受け入れ体制があるものと思われます。

ポスターに「担ぎ手募集」と記載がある地区であれば、電話やメールというハードルを超えさえすれば、誰でもお祭りに参加できるのではないでしょうか。(保証はしませんが。。)

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お祭りの流れ

平成29年の天王祭は6月3日(土)、4日(日)の2日間にわたって行われました。

最初に申し上げてしまうと、見物対象としての天王祭の見所はそれほど多くはないなと感じます。

基本的にはとにかく硬派に硬派に、御神輿の渡御(御神輿を担いで練り歩く)なのです。

 

あと、別に御神輿を担いで素盞雄神社に向かうわけではないということもポイントだった。

当初は、61町会の御神輿が氏神様たる素盞雄神社に勢ぞろいするのかと思いましたが、あくまで町内巡行と、町屋地区とか南千住・三ノ輪地区とかいうように、まとまった地区単位での連合渡御があるのみでした。

 

ちなみに参加させてもらった町内会のお祭りスケジュールは以下の感じ。

6/3(土)18:00 町内巡行

6/4(日)12:00 町屋地区15町会連合渡御@尾竹橋通り

   15:30 町内巡行

   17:30 直会

 

※ちなみに今年は陰祭で、来年は3年に一度の本祭があり、本社神輿や白馬が出るなど、ガラッと演出が異なるそうです

www.susanoo.or.jp

御神輿の出発以前

早速ながら、御神輿が出るだけがお祭りではありません。

御神輿はお祭り2日間の"動"の部分だというだけで、それ以外の"静"にもお祭りの重要な要素が詰まっています。

 

御霊入れ

正確にはこの段階では私は立ち会っておりませんが、宗教行事としてのお祭りにおいては重要なことなので。

御神輿というものは文字通り"神"を載せて担ぐわけですが、常に御神輿に神が宿っているわけではありません。

神はあくまで神社におられ、お祭りの時だけ御神輿に宿られるのです。

 

御霊入れとはこのための、御神輿に神を載せる儀式です。

一神社に対する氏子町会の数が少なければ、御神輿を直接境内に持ち込んで御霊入れしてもらうお祭りもあるのですが、ここ天王祭においては、素盞雄神社氏神と仰ぐ町会数はなんと61

そもそも氏子圏域が広大であるゆえに、町屋地区の御神輿が直接素盞雄様に来るということはありません。

というわけで、御霊入れの儀式を受けたお札を持ち帰り、御神輿に移すというものだったようです。

 

待機所

お祭りは二日間なのですが、その間中ずっと御神輿が出ているわけではありません。

二日間合計しても御神輿の時間はせいぜい4時間程度という感覚で、それ以外の時間帯の御神輿は、町会会館に設けられた神酒所前に鎮座されています。

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(町会会館と御神輿)

 

御神輿は町会会館に、それでは担ぎ手達はどこにいるのか。

そう、彼らは公園に設けられた待機所にいるのです。

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(待機所の様子)

 

この待機所にいる時間がほとんどと言っても過言ではありません。

ここで何が行われるのかと言えば、私が観察する限りには、

  • 青年部による飲食(ほぼアルコール)と地域コミュニケーション(やや手荒め)
  • 町会婦人部による炊き出し
  • 協力団体達とのご挨拶と奉賛金対応

といったことが行われていました。

 

①とにかく飲む

お祭り期間中、青年部を初めとする担ぎ手の皆様はとにかく飲みます。

それも、ビールとお茶割り。

そういえば、神酒とかの謂れとして、酔えば神の領域に近づくといった話を聞いたことがあるのですが、あの感覚なのでしょうかね。

 

お酒と併せて、特有の地域コミュニケーションも忘れてはなりません。

何かと言えば、余所者の介入を拒むような内輪的なコミュニケーションのことです。

親戚が甥っ子に「お前はいくつになったんだ?」と聞くような、共同体所属員に対してライフステージの変化を確認するような、あの感じ。

 

②カレー、カレー、カレーの炊き出し

御神輿の出発前や終了後、酒以外にも食べ物が振る舞われます。

その中で、かなりの割合を占めるのがカレー。聞けばそれは、予算と手間を理由に、安価かつ大量に調理しやすいから。

これを作られているのが、町内会の婦人部のお姉様方というわけです。

 

まあ、カレーはよいのです。それよりも。

今や家庭内における男女役割について、男が力作業で女がそのサポートなのだというように、固定的に考えることには批判的なご時世かも知れません。

ただ地域という共同体においてはまだまだそれが標準のようで、婦人部は炊事と相場が決まっている感覚でした。

婦人部の方々は待機所での炊き出しと、御神輿が止まる度にある休憩時の差し入れを担当してくださいます。

 

③お祭りは地域だけでは成り立たない、協力団体の存在

そしてこれが今回のお祭りでの発見。

前提条件として、地域の人だけでは御神輿を担ぐことができないというのが、荒川区に限らず日本各地で発生している課題です。

それなら助っ人が必要だということで、多くの地域における当面の処方箋となっているのがこの”助け合い”制度。

要は、お祭りの時期が異なる他の地域の氏子団体や、氏子団体ですらない御神輿担ぎの同好会("〇〇會"というような名称が多い)の方と日頃から協力関係を結んでおき、お互いのお祭りを行ったり来たりするわけです。

特徴的なのは、御神輿を担いでる方々の色とりどりの半纏。

 

まあこうなるわけです。

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(どこの氏神様を担いでいるのかわからない御神輿。この地域の半纏は紫色です。)

 

奉賛金

お祭りは何かと物入りです。

神酒所の装飾のほか、担ぎ手の飲食にとてつもないお金が必要となります。

 

こうしたお金は、氏子を中心として"奉賛金"として集められたお金、要はカンパにより賄うわけです。

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お金を集めた方々は、神酒所近くの掲示板にでかでかと名前と金額が飾られます。

スポンサー一覧、というわけです。

 

今回はこんなところで。

次回いよいよ御神輿の町内巡行と連合渡御、そしてその後に考察について書きたいと思います。

きっと誰でもいつでも"地の人"になれるんだろうという話。

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一般社団法人マツリズムの代表である大原さんの、少し前の記事から感じたことを。

manabuohara.hatenablog.jp

 

よく地域とかコミュニティを考えるときに、「既存住民」と「新規住民」とか、「地域の担い手」と「地域の傍観者」だとかいう二分法を用いることがあります。

これによって要らぬ対立構造を生むリスクがあるという反面、まあ実際そうだよなと共感され得るところもあり、結局のところ説明しやすいからこの言葉を使うというのが正直なところです。

 

で、その前者である「既存住民」とか「地域の担い手」というのは、つまりは誰のことなのかという話。

そこに仲間入りするためのパスポートだとか通過儀礼が、果たして必要なのでしょうか。

 

大原さんのブログではそれを言い換えて、”地の人”としています。

 様々なアイデアが出た中で、地元の祭りの方から興味深い話があった。

「実は根っからの『地の人』なんて多くない。祭りの担い手の多くが地方出身だけどたまたまそこに住み着いた人たちなんですよ。」

(上記記事より。太線部筆者)

特にお祭りを考えるときに意識することが多いのだと思いますが、町内会とかお祭りに携わられている方々は、"地の人"。

この"地の人"というレッテル貼りをしてしまうせいで、ただ仕事や通学の都合で機械的にその地域を選んだだけの人は、まるで"地の人"と切り離された、違うタイプの人みたくなってしまう。

 

でも、こんなのはおそらく相対的な概念でしかないのですね。

新たにその地域・街に住むようになった人に比べて、少しだけ長く住んでいる。

そしてさらに、たまたまその地域・街を居場所とみなすことができて、自分の住まいの中だけでなくて周りを見始めたのが"地の人"だと思うのです。

 

この、"居場所とみなす"というのが肝でありながら難しいところで、家賃と交通利便性のバランスだけで転居を繰り返している場合は、もしかしたら子育てを始めても居場所を見つけられないかもしれない。

子供が小学校に入り始めて”そろそろ根を張ろうかな”と思った場所が居場所になるのかもしれないし、そんなものなのかもしれない。

 

ここで大事なのは、"地の人"にはいつでもなれるということなのだと思います。

地域との関わりを始めるきっかけに子育てを挙げる人は多数ですが、なんだかそれは結果論的でかっこよくはない。と感じる。

別に地域と関わるきっかけを受動的に待たなくたっていい。

なしくずし的ななり方もあろうけど、積極的に"地の人"になる選択肢だって絶対にある。

 

そして私は、その中でも異端児的に、住む前から居場所にしようとする試みを進めているわけだ。なんだそれ。

素盞雄神社天王祭に向けた各町内会のポスターに見るスタンスの違いなど

素盞雄神社の天王祭まで残り1週間となりましたね。

気温は上がってきたものの、街はまだまだ日常。

 

いや、そうでも、ない。

各町会の掲示板には、必ずと言っていいほど天王祭公式のお知らせと、町会ごとの広報(担ぎ手募集、巡行予定など)が張り出されています。

 

今回は、それをちらりとご紹介してみます。

地域につながりがないけどお祭りに興味ある方、もしかしたら今からでも御神輿担げるかもしれませんよ!

 

 

 

3町会(子の神町会・荒川銀成町会・荒川宮地町会)

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日時・場所のみ。

 

5町会(大西町会・荒川宮地町会・荒川親交会・荒川五丁目北町会・荒川六丁目南町会)

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日時・場所のみ。

 

荒川七丁目北町会

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これまた日時・場所のみ。

 

荒川六丁目西町会

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日時だけでなく、貸し半纏のお知らせと、"担ぎ手募集"の情報。おや、これは!

 

町屋二丁目仲町会

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こちらも、"担ぎ手募集"の堂々としたポスター。

連絡先は電話番号ですが、相談の価値はありそうですね!

 

町屋東栄町

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これは最先端。メールアドレスもあります。これは問い合わせしやすい。

 

 

と、いう感じでした。

もちろんこれが全てではないので、他にも担ぎ手募集してる町会さんが見つかるかもしれません。

ラジオ体操で地域デビューはいかがですか?

ユニークな取組みだなと感じたのですが、どうなんでしょうね。

ラジオ体操指導者養成講習会 荒川区

荒川区主催で、ラジオ体操の指導者を養成する講座が開催されるというのです。

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なんでラジオ体操。。?と思われる方もいるでしょう。

しかし、私の体験的にも、荒川区や下町地域におけるラジオ体操には、子どもの夏の風物詩以上の意味があるんじゃないかと感じています。

 

 

ラジオ体操は単なる子供の夏の風物詩にあらず

突然ですが、こんな看板を見たことはありませんか? 

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こちらのブログより)

 

これは荒川区東尾久にある赤土小学校会場のものですが、こうした看板は荒川区をはじめとした下町地域の、主な公園などに設置されています。

画像中の、「年中無休」というところに注目してほしいのです。

 

こうした場所では、夏休みの1、2週間の期間だけでなく、(おそらく)365日毎朝ラジオ体操が行われています。

もちろん子どもたちのように毎朝通ってスタンプをためることが、目的ではありません。

では、なぜか?

それは、ラジオ体操の本来の目的である健康増進自体が目的なのです。

 

こうした会場は、荒川区内ではなんと26箇所も存在しています。

全国ラジオ体操連盟サイトより)

リンク先をご覧いただければわかるように、こうした会場は町会など地域の方々によって運営されています。

音源機材と、お手本として前に出る人が当番として決まっており、ラジオ体操から始まる日常をまわすのです。

 

ラジオ体操とコミュニティ

365日ラジオ体操は、健康増進が目的、と前述しました。

しかし、目的はそれだとしても、結果として生じた新たな役割が、ラジオ体操という場にはあるような気がしています。

それは、井戸端会議や銭湯のようなものと並列するような、"コミュニティのサロン"としての役割です。

 

ここで私の話になるのですが、私が"単身でも地域と関わりながら生活したいな"と感じ始めて、最初に試みた手段は町屋のラジオ体操会場に入門することでした。

当時住んでいた町屋二丁目にある、できたばかりの「くすのき山公園」で行われていたラジオ体操に、ひと月は通いつめました。

地域の人にとにかく認知されようと、顔を売り始めたのです。

 

早朝6:20頃より人が集まり始め、6:30にはラジオ体操が淡々とスタートします。

そして、ラジオ体操第1、第2と終わった後、6:45-50にはもはや解散します。

その間、地域の方々は挨拶したら世間話したり、笑い声が聞こえたり。

そして、単身者にはまるで遠い存在であった地域コミュニティが確かに存在することを、そこに感じたのです。

 

ただ、コミュニティの持つ領域性は、外から見た時の排他性と両輪です。

つまり、既に形成されていたコミュニティには、余所者の入り込む隙を見つけることは難しかったのです。

知らないのに、「おはようございまーす!」と言ったところでどうなったでしょうか。それ以前に、言えたでしょうか。

 

結果的に、顔を売るという私の作戦はまったく実らず、第一次町屋生活を不完全燃焼の状態で終える事となりました。。。

 

荒川区や下町地域におけるラジオ体操

前述の同サイトをさらに見てもらうと、ある傾向が掴めます。
東京23区において、全国ラジオ体操連盟が把握している会場数を抜粋で見てみましょう。

墨田区 36箇所
葛飾区 36箇所
荒川区 26箇所
台東区 18箇所
新宿区 17箇所
足立区 12箇所
中央区 12箇所
目黒区 11箇所
杉並区 11箇所
文京区 9箇所
世田谷区 8箇所
板橋区 7箇所
港区 1箇所


完全にではありませんが、ゆるやかな西高東低が見える気がするのです。

なんとなく、一般的に下町として認識する区の会場数が多い気がする。

 

その背景にはいろいろ考えられますが、下町においてラジオ体操の必要性が認識されているということは、コミュニティがある程度できていることや、エリアとしての高齢化が進んでいることが挙げられるでしょうか。

 

何が言いたいかと言えば

ラジオ体操から始まる日常も、なかなかよいものですよ。

朝の適度な運動になるし、眠い身体もきっちりと目覚めます。

なんだか1日が長くなった気がして、得した気分にもなります。

なかなか朝起きられず二度寝してしまう方は、近所のラジオ体操会場を探してみてください。

 

そして、さらに単身者が地域とつながるきっかけにもなったらよいですよね。

もしも町内会などラジオ体操を運営する側の方がこの記事を読まれたら、これからはラジオ体操の場に見慣れない若者を見かけた際に、笑顔で挨拶をかけていただけると幸いです。

もちろん、根本的には若者本人の勇気が必要なのは、言うまでもないのですが。