絵日記ブログ「荒川区に住んでます」はもはやアイドルである
うわ!うわー!とうとうこちらのブログの著者さんと連絡がとれて歓喜。。。!可愛いイラストにいつもMP回復させていただいてます。
— こむば氏@荒川 (@KMB_Masa) 2017年7月4日
荒川区に住んでます https://t.co/N1CNfFAWcm
既にツイートなどでは何度かシェアしておりますが、改めてこちらのブログを紹介させてください。
(ブログヘッダ画像より)
これがもうホントに魅力的なブログなのです。。。!
どんなブログなのか?
荒川区のどこか(おそらく中心あたり)にお住まいの、お若いご夫婦の日常を綴ったブログ。
記事の内容は、近所の飲食店ほかスポットの体験報告とか、ご夫婦の特徴的なやりとりとか、結婚までの経緯とか。
登場人物は基本的に2枚で、ブログの著者である「荒川つま」さんと、その旦那様である「荒川おっと」さん。
開設は2016年の4月からということですが、そこからほぼ毎日日記を更新されているということがまず素晴らしいのです。
さらに驚くことに、絵日記なのです。
例えば、7月6日時点で最新のこちらの記事。
このお二人の愛くるしいキャラクターとほっこり感200%な日常描写が、疲れている方々にとって栄養になるのです。まさにリポD。
クセになる感覚。
荒川区民はまず「荒川区ねた」「荒川区グルメ」カテゴリを要チェック
お二人のパーソナリティに関するとりとめもない記事も、その一つ一つが粒ぞろい。
ですが、荒川区にお住まいの方はまず地域ネタを読まれるとよいかもしれません。
「荒川区ねた」一般と、その中でも特に食に関する記事群である「荒川区グルメ」にわかりやすくカテゴリーされており、まとめ読みもしやすいですよ。
荒川区ねたの例として、私がこちらのブログを知ったきっかけであるゆいの森あらかわネタをご紹介。
グルメネタの例に、ROOM810さんの下に入っているホルモン屋さんに関する記事を。
知っているスポットがここで取り上げられると、そのイラストによって、あたかもアニメの中でも同じスポットが存在しているかのような感覚を抱きます。
画力の進化がハンパない!
画力の進化。
そうなのです。
開設直後と思われる記事と、
最近の記事。
可愛さは不変だけど、すごいのです。
おそらく初期は水彩な雰囲気を感じるので、塗りまで含めて手書き画だったのが、近年はイラストレーター的ソフトによる描画をされているのではないかと推測します。
キャラクター外観の描写も、初期はややすらっとした印象だったのが、最近は横長になってきて、そこが可愛さを増している気がします。
この進化により、つまさんとおっとさんのキャラクターの可愛さが安定してきたので、もはや荒川区公式マスコット「あら坊」「あらみぃ」と張れるのではないかと思っています。勝手に。
いいですか。。。並べてみますよ?
まずは「あら坊」「あらみぃ」
(いずれも荒川区サイトより)
そして改めて、「荒川つま」さん、「荒川おっと」さん。(リンク先へ)
感覚は様々かと思いますが、いかがですか。笑
というかもう全てが魅力。とにかく読んで。
言いたいのはもう、この言葉に尽きます。
荒川区民でなくともファンになるかもしれませんので、どうかぜひ、ぜひ。
TOKYO L.O.C.A.L「(仮称)町屋サミット」プロジェクトをスタートさせてますよ
町屋・荒川区の"オモシロイ"をひとところに集め、さらに互いに繋げることで、街としての魅力を上げるためのプロジェクトを進めています。
それが、「(仮称)町屋サミット」。
まだまだ構想を進めている段階ですが、ポイントとなる情報だけ少しご紹介しつつ、その取組みを通じて狙っている下心みたいなものもお出ししたいなと思います。
どんなプロジェクト?
一言でいえば、「町屋・荒川区の"オモシロイ人"を集めて行なうショートプレゼン大会+パーティ」です。
はじめにお断りをしておくと、今回の提案は他地区でのとある試みにインスパイヤを受けています。
もうおわかりですね。はい、こちら。
。。。なのですが、そのままコピぺする気はさらさらありませんよ。
豊島区と荒川区という事情の圧倒的な違いとか、一緒にスクラムを組んでいるROOM810さんの得意分野なども踏まえて、町屋により合った形で全面的に再構成するような感覚で検討しています。
「街の"オモシロイ人"を集めて繋げる」という基本はそのままにしつつ、会のオペレーションやコンテンツ構成についてはより良い方法を模索しているという状況です。
期待してる効果
この企画によってどんな効果を期待してるのかといえば、こんな感じです。
①シナジー効果による街の魅力向上
お節介ながら、面白い人はもっと目立たせるべきだと思うのです。
そのパーソナリティに加えて、活動拠点もアピールしたい。
面白い人が集まる場所としての魅力
ステレオタイプと言われればそれまでなのですが、面白い人や力のある人は、その活動拠点(=場所)とともに語られることがなぜか少ない気がするのです。
例えば今をときめくライターや活動家をイメージしても、東京や大阪といった広域的な意味での活動拠点は表に出ていても、どこの街を拠点にしているのかということはなぜか語られない。
パソコンや筆一本で生きていくような人にとってはもはや居場所は関係ないということなのでしょうか。
やや異質なのが、ここ数年の渋谷をはじめとするクリエイティブ拠点です。
ほかには、蔵前とか門仲など。
街としてもコワーキングスペースの整備や街のブランディングを行うことで、スキルや野心と、一定の分野的傾向を持つ方々を吸収している。
つまり、面白い人の集まる街は存在しているものの、偏在しているわけです。
そうした街は、面白い人の集積により、あたかも街自体が面白くなってきているようなPRをします。
面白さは、循環します。
タマゴかニワトリかはいざ知らず、街は面白い人をどんどん吸収し、そのこと自体がさらに街の引力を上昇させるというスパイラルがあるのです。
これは同時に、街の間の格差を再生産します。
面白くない、目立たない街は燻る一方、面白い街だけが我先にと上昇していくのです。
ただ、別にこれは何か問題があるというわけではありません。
選ばれる街であるためには?
では、燻り続ける街の行く末はどこか。
それは、"選ばれない街になる"ということです。
少子高齢化が進展する今、東京都内においても地域社会の崩壊が見られるようになりました。
もともと街にあった古くて魅力のある風景や文化もこの社会変化には対応できず、つまらない建物、つまらない街ができていきます。
この結果、街の均質化ということも副作用的に発生しています。
どこに住んでも、どこに行っても代わり映えがしないと、一見思ってしまう。
東京は移住者の街ですが、彼らはどんな視点を持って、そんな均質な街の中から住む場所を選択するのでしょう。
第一に考えられるのは通勤・通学先へのアクセス性、そして第二に財布事情です。
しかしそんな記号のような居住地選択では、選ばれない街・選ばれる街というものが顕著に分かれすぎてしまいます。
長くなりましたが、そこに第三の選択肢を与えてやりたいのです。
それが、"面白くて魅力のある街"というブランディングなのです。
ここまで、ここまで来たよ。。!!
②区民同士のつながりと地域への愛着と
完全に排反というわけではありませんが、もう1つ期待している効果を。
「街を気に入る」とは?
例えば仮住まいとして荒川区や町屋を選択した場合も、その後街を気に入ってくれる人が果たしてどれだけいるでしょうか。
「荒川区いいとこ、町屋いいとこ」と思ってくれるのか、はたまた「はい、次」と、人生における通過点に過ぎない扱いとなってしまうのか。
前述のような記号的な居住地選択をして、いざ住み始めた場合のことを考えてみましょう。
その新居から毎日学校や職場に行く。
暗くなって最寄り駅まで帰って来て、スーパーに寄るのかもしれないし、もう遅いから外で食事を済ませるのかもしれない。
そんな繰り返し。
休日はなんとなく電車に乗って繁華街に行って買い物したり、友達と会って飲んだり遊んだり。
そして帰る。寝る。
この生活の中で、いったいどこで自分の住む街への愛着を持つきっかけが生まれるのでしょう。
それもそのはず、この暮らしの中に、その街に住んでいなければ味わえない要素など、全くないのです。
せいぜい、駅から近いとか、スーパーやコンビニが近くにあって便利だとか、急行が止まるとか、街を評価する要素などその程度。
本当に街のことを気に入ってもらいたいのであれば、"そこにしかないもの"をいかに味合わせるかということが重要だと思います。
そこにしかないもの。
例えば人、店、スポット。
そして、それらとつながる仕掛け。
ポイントは多分、つなげること
その街に面白いものがあることをハッキリさせ、さらに"つながりの連鎖を起こす"仕掛けが必要だと思うのです。
それでこそ、面白い街たりうると思う。おそらく。
その街に、年の離れた友達ができたら?
仲間ができたら?
馴染みの店ができたら?
思い出ができたら?
どうでしょう。
1つ1つのインパクトは小さくとも、それらの蓄積はきっと「街への愛着」につながるはずでしょう。
というわけで
年内にはお披露目するべく、現在鋭意準備中というわけです。
こんなお節介かつ大きなお世話な取組みなのですが、これによってきっと街は面白くなる気がする。
根拠はないけど、多分そうなる。
おやおや、こんな指摘が聞こえて来る気がしますね。
「別に、住んでる人はそんなこと望んでません。。。」
ハッキリ言えば、私はそんなの知らんのです。
街に委託されたコンサルタントではないし、救世主などではありません。
行動基準は、自分が面白く住めるかどうか。
自分の住む環境を面白くしたいわけです。
嶋田洋平氏は、「ほしい暮らしは自分でつくる」と言っていましたね。
ほしい暮らしは自分でつくる ぼくらのリノベーションまちづくり
- 作者: 嶋田洋平
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2015/05/28
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (3件) を見る
でも、これを面白いと感じる方は、きっと自分だけではない気がするんだよなー。
そして大いに外部経済が発生する気がする。
気になります?
そんな人は、一緒にやりましょうよ。
というわけで、万一興味のある方おられましたら、どんどん連絡いただければ嬉しいです。
平成29年度の「荒川区景観まちづくり塾」が始まりますよ
まちづくり講座の2年目が、募集を開始してますね。
荒川区景観まちづくり塾
荒川区景観まちづくり塾。
私にとっては、昨年度受講し、講座による学び以外にも、地元の意識ある方々との出会いなど様々な果実を得ることができた貴重な場です。
荒川区やその他外郭団体が主催する講座は多数あるわけですが、景観まちづくり塾は学びの内容における専門性の高さに加え、性別年齢を超えたコミュニケーション機会が豊富であるところに特徴があると感じます。
要は、年配の方々と対等に話すことができる、大学生や若手社会人にとっても刺激的な場なのです。
前半は、荒川区の景観行政や他自治体における行政主導型まちづくりの事例勉強。
ここでは基本的に座学で、質疑応答が過熱することはあれど、なかなか受講生同士の横のディスカッションが起こらない。
もちろん紹介されるのはいずれも魅力的な事例なのですが、いざ荒川区のまちづくりに応用できるのか?を考えた時に、膨大な投資額など、なかなか現実的なものはなかったのが正直なところです。
私が推したいのは後半です。
後半は身体を動かすフェーズで、昨年の例では、グループに分かれ、まちを歩いてポイントを抽出していき、マップを作成しました。
このフェーズでは、よりよい成果物を作るために、参加者の発言や提案というものが非常に求められるのです。
もちろん、熱い想いから議論の場を支配してしまう年配者もいらっしゃらないでもないのですが、かと言って若造の意見に耳を傾けてくれないということではなく、むしろ若い意見こそ珍しく、注目していただけるような感覚を持ちました。
この、日頃決して交わることのない年齢層や属性を持つ区民の方々と、建前なく本音でコミュニケーションするこの空間と時間がこの講座の醍醐味であると思っています。
まちづくりや地域活動に興味ある若い方が、まず一歩目を踏み入れるものとして適当であろうと思います。
むしろ若い人の受講が増えたら、予想のできない展開によって、この塾はもっと面白くなるでしょうね。
(昨年度の様子)
景観と防災、これが難しい
ただ、難しいのはテーマ設定にあります。
日々の生活が営まれている街には様々な景観があります。良い景観は住環境を整え、生活に潤いをあたえてくれます。また、 荒川区における重要な課題に「防災」があります。首都直下地震が想定されている現在、木造密集市街地を多く抱えた荒川区では、区民の安全・安心のために数多くの防災に関する施策を進めています。
そこで、昨年度に引き続き「防災と景観」をテーマに「景観まちづくり塾」を開催いたします。慣れ親しんだ街の風景の中に溶け込む防災対策や、風景を含めて愛着の持てる街をどのようにつくっていくかなど、「防災」と「景観」の両輪で進めるまちづくりについて、一緒に学び考えていきます。(荒川区HPより)
このように、今年度のテーマも昨年に引き続き「景観」と「防災」ということなのですが、この2つを有機的に結びつけて考えるのがなかなか難しい。
これについては昨年度も言及しました。
少し長いですが、こちらの記事から抜粋します。
(中略)私も感じていた違和感が他の受講生の方々からも噴出していました。
「マップをまとめてどうすんの?」
「防災と景観を並べるのは無理があるんじゃないの?」
というもの。
改めて確認すると、今回の連続講座「荒川区景観まちづくり塾」の成果物は、まちの防災・景観スポットを台帳化し、それを携帯できるマップに落とし込むこと。
その意図としては、以下のような感じ。
生存の基本ではあるものの、常に気を張っているわけにはいかない"防災情報"だけをまとめたマップでは日常的に携帯されず、すぐにタンスや書棚の奥にしまわれしまいます。
それではいざ有事の時に活用されないという、本末転倒なことになってしまう。
より防災を日常に近づけるためは"景観まちづくり"の要素が必要だということ。
防災マップよりは日常に近づいた、まちあるきマップのようにすることが有効ではないかと考えられているのです。
しかし実際に荒川区を歩いて見ると、事情が少し異なるのです。
例えば区内を歩いてみると、防災的に危険な箇所としては狭い路地や空き家が挙がります。
他にも防災広場やかまどベンチやマンホールトイレなどを挙げることはできます。
それらは、災害時の危険性を表したり、有事に活用されるべきものではあれど、あまりに"防災"に特化しすぎているのです。
景観的な重要性があるかと言えば、そこには大きな乖離があると言わざるをえません。
逆に、"景観"と言われた時に荒川区で何があるかといえばどうでしょう。隅田川がつくる親水空間や荒川自然公園の広大なオープンスペースのように、ある程度の大きさと広がりを持つ要素であれば、まだ景観と防災の俎上に上がるでしょう。
でもそれ以外に、あくまで街場の良好な景観として挙がるものと言えば?
江戸以前の歴史的な要素は点在していますが、多くの古い街並み(関東大震災後?)は風情があるものの、その多くは老朽木造住宅。
付近にお住まいの人にとっては災害時の火種としての危険性ばかりが気になってしまいます。
未接道であったり経済的な理由であったりで容易に建て替えられない、だからこそ年月を経て深みを増した建物も、今や街の防災力を押し下げる足枷と言わざるを得ません。
事実、私が本講座において「古い密集した街並みが好きなんですよね」と言っても、意外な顔をされるばかり。
そんな荒川区で、求められるようなマップを作ったとしても、受講者自身がそれに何の価値も見出さないものとなってしまいます。
乖離した要素である景観と防災をごった煮にしたところで?という。
また、こうした2つの看板を掲げてしまった場合、「景観」を求めて受講する方と、「防災」を求めて受講する方の間の温度差にもつながりかねません。
こうした難しい事情が昨年度あったわけですが、それでも今年度もこの路線で開催されるということ。
塾に求めるのはカルチャースクールか政策提案か
もう一つ難しいところもあるのです。
それは、この景観まちづくり塾はあくまで学ぶための"塾"なのか、それともワークショップを通じて合意形成して政策提案まで持っていくためのアリーナなのか、ということ。
要は、参加者が求めるのが「知識の習得とコミュニケーション」にあるのか、それとも「行政に物申すこと」にあるのか一枚岩ではないことです。
個人的にはどっちでもいいのですが、講座の意図がどちらなのかをあらかじめ説明されないと、受講者のモチベーション低下や参加率の低下、満足度の低下にもつながりうるでしょう。
ちなみにチラシでは、”学び”の要素に重点が置かれているようです。
さて、今年はどうなるでしょうか。
会場は「ゆいの森あらかわ」、応募締切は7月10日まで。
「サヨナラ、たまプラーザ」その2
たまプラーザの街への別れの挨拶、後編です。
たまプラーザの街は、盲目な自分にとって何の刺激も感じることができない場所だと思い込み始めた。
それどころか、安価な食事のための牛丼チェーンもないし、リーズナブルな定食屋さんもないし、ディスカウントショップもないし、もはや単身男性は街に受け入れられていないのではないかと、被害妄想を逞しくさせた。
"地域で暮らすことを渇望する自分"が、実は地域に受け入れられていないということは、言葉以上にショックな事態であった。
考えの偏った私は、この街に居続けることは時間の浪費だと考え始めた。
そして、自ら変化を起こすことを試みた。
それがこの一連の活動である。
荒川区町屋。
たまプラーザから電車で1時間以上もかかるこの街に足繁く通い、調査の真似事を始めたのである。
何のことはない、現実に満たされない自分は、欲求を他所で実現させようとしたのだ。
町屋は学部生活の後半を過ごした街であり、これまでに住んだ街の中でも満足度がかなり高かった街であるが、ここでも欲求不満を経験していた。
当時は単身生活に寂しさを感じ始めた時期であり、地域へのつながりを求めて(当時にしては)様々なことを試みていたのである。
賃貸住宅において通常はマストでない町会への加入、近所でのラジオ体操通い、餅つき大会への出席、地域のサークル入会、など。
しかし悉く、中途半端に終わってしまったのだ。
そんな経緯による執着が、再び町屋にこだわらせ始めた。
「次は町屋に住もう。そして、住む前からソーシャルキャピタルを形成しておこう」と心に決め、その準備を始めたのである。
また、ほぼ時を同じくして、転職の動きをしていた。
地方公務員として自治体のために働くという生き方に疑問を抱き始めた時期であり、専門性を高めるための転職を志した。
そして、都内の事務所に就職することとなったのである。
これにより、"次は町屋に住む"という信念は固まった。
ここから町屋での活動を加速させた結果、現在までに多くのかけがえのない出会いを経験したのである。
いま、7月下旬の町屋再入国がほぼ決まった。
今度の町屋生活は、これまでのどんな地域における生活とも異なる予感がある。
例えば地域の人の繋がり。
基本的に自分の年齢の2倍以上の方ばかりであるが、街について議論を重ね、町会から社会を良くしていこうとスクラムを組んでいるチームがある。
地道に地道に、少しずつ町会をカスタマイズしていく仕掛けを入れようとしている。
また、町屋を盛り上げる活動拠点。
とあるテレビ番組から始まった、強烈な存在感の会社との出会いは、町屋を舞台にした"オモシロい連鎖"を生むためのプロジェクトに派生しようとしている。
地域のつながりと、活動拠点が確保された状態での町屋再入国を予定しているのである。
これはもう、毎日が刺激と興奮に満ちたものになるとしか想像できない。
たまプラーザでの2年間はとても退屈なものであったが、だからこそ町屋での代償という奇妙な取り組みが成果を出し始めたとも言える。
あいにく、この街への愛着というものは結局持てることはできなかったが。
「サヨナラ、たまプラーザ」その1
※本日はポエムにてお送りします
たまプラーザへ転居してちょうど2年が経とうとしている。
転居理由は、それまで大学時代の友人と取り組んでいたシェア暮らしが解消されたこと。
社会人生活の開始と共に、元住吉徒歩30分超の2LDKでのルームシェア生活をしていたわけですが、相手が1年間で会社を辞めて大学院に戻ることなった。
それに伴い、また単身に戻らざるをえなくなったというわけだ。
なぜ「たまプラーザ」だったのかを振り返ると、色々な理由があった。
当時の勤務地の最寄りである市営地下鉄「高島町」へのアクセスを考慮しつつも、それほど職住近接をしたいとは思っていなかったので、市営地下鉄沿線に住もうとはもともと思っていなかった。
むしろ友人の多い東京都内へのアクセスのほうを優先し、それならば東急線だろうなと薄々考えていた。
その中でもたまプラーザを選択した大きな理由はこれであった。
横浜市と東急電鉄が進めている、まちづくりのパイロットプロジェクトの舞台だったのだ。
このプロジェクトは大学院時代の指導教員も参加しており、もしかしたら自分も仕事ではないところで、地域の方々と一緒に”まちづくり”に参加できるのではないかという下心があった。
振り返ると、それに関する記事も書いていた。
もともと学生時代から、単身者ながら、住む街にコミットしながら暮らしたいという野望というか執念を抱えており、大なり小なり何かのアクションを起こしながら街に過ごしていた。
たまプラーザであれば、指導教員の縁もあり、何か街に関わる糸口が見つかるかもしれないと考えたのだ。
しかし、たまプラーザに住んでいても、そのまちづくりの動きが一向にわからない。
実は大学院在学時代に、ここの計画づくりのワークショップ、つまりは初動期に立ち会ったことがあったのだが、そこから派生した具体のまちづくりの動きが街中で展開しているのかと思っていた。
にも関わらず、この2年間のたまプラーザ生活の中で「次世代郊外まちづくり」を意識したのは、駅のホーム壁に掲示されたポスターを通じてのみであった。
リーディングプロジェクトとやらの名称と説明だけが並ぶものの、最も重要である、そこにいかにして参画できるのかというヒントはなかった。
公式サイトにも、イベントレポートが並ぶばかりだった。
もちろん、死ぬ気で探せば糸口は見つけられたのかもしれない。
しかしまあ結果として、たまプラーザの街に住んでまちづくりに参加するということはできなかった。
"まちづくり"を自治会活動に置き換えたこともあった。
居住地周辺の自治会に入会して自治会費を収めるというところまでは試みた。
しかし平日はすべて街にいないようなサラリーマンにとって、地域活動はやはり限界があった。
自分にとってのたまプラーザの街を、"まちづくり"の眼鏡を外して見ると、驚くほど何もない街であるということを苦痛に感じてきた。
確かに、たまプラーザテラス(東急百貨店含む)、イトーヨーカドーという2大消費拠点を擁する街ではある。
そうしたスポットでは、毎週末若いファミリーな幸せな姿を見ることができたが、その波の中を単身で胸を張って歩ける自信はなかった。
要は、たまプラーザが"子育ての街"であろうとしすぎて、それ以外の層を受け入れる気概、事実、居場所がなかった。
さらに、駅から離れた箇所には小規模な商店街が存在するのみで、開拓余地を感じさせる街の"官能性"のようなものは感じることができなかった。
もちろんここには、自分の開拓精神の不足も大いにあったわけだが、もうその時点ではそんな気は失せていた。
たまプラーザに愛着を持てる心の余裕は、どんどんやせ細っていった。
たまプラーザの街は、単身者にとって何の刺激もない住宅地であると、やや荒んだ気持ちが現れてきた。
(その2へ続く)
横浜市民だけど素盞雄神社の天王祭(町屋地区)で御神輿担いできた話のその2。
さて"その2"です。
前回記事はこちらから。
お祭りの流れ、2
前回は、お祭りの話とは言え、待機所とか奉賛金といった裏方のお話がほとんどでしたね。
華やかに見える御神輿のウラで、大事な準備や段取りや仕組みがあるのだよということが、少しでも認識されればよいかなーと思います。
さて今回は、いよいよお祭りの主役?とも言える御神輿の話でございますよ。
町内巡行
御神輿は町内を巡ります。
天王祭からいらっしゃった神様(の御霊)を載せ、町内を練って氏子のみなさんに披露するのです。
御神輿の担ぎ方
まずは簡単に御神輿の担ぎ方について。
ただ担ぐだけじゃないの?と思われるかもしれませんが、意外とこれが深くて難易度高い事情があるのです。
前段として、これだけ言わせて。
御神輿、めっちゃ重たいです。
(今回担がせてもらった御神輿@尾竹橋通り)
さて、御神輿の担ぎ方。
頭の高さと同じように肩の高さも異なり、高い人もいれば低い人もいるのです。
一方で、御神輿は肩の高さで担ぎます。
ほぼ首と言ってもいいような、肩の付け根部分を御神輿の担ぎ棒に押し当て、歩行による御神輿の上下運動に合わせて、自らの身体も上下させます。
御神輿と言えば掛け声ですが、それはそのためのリズム合わせなのかなと感じました。
足を出すタイミングが揃うように。
イメージ的には、屈んですり足を延々続ける感覚でしょうか。
少しでもタイミングがずれれば、担ぎ棒は容赦なく首を強打します。これが腫れるほど痛い。
なので、御神輿と身体を密着させた状態を保ち続けることが、当日はおろか翌日以降も続く後遺症を抑える唯一の手段となります。
結論としては、そんなんできるか。
どうしたってタイミングはズレるし、身長の高さがバラバラな方々が入れ替わり立ち替わりで担いでるので予測不能な高さの変化はしょっちゅう変わるし、イキって遊び出すマイルドヤンキーな方々はいるわで、その他疲労もあったりで。
結果、1日目が終わった時点での肩氏がこちらになります。
※食事中注意
はい、失礼しました。。
(現在は完治)
熟練になれば無傷で二日間を終えられたのでしょうか。
一本締めに始まり一本締めに終わる
昨年の高木神社でもそうでしたが、御神輿を担ぐ直前、おろした直後には決まったルーティンがあります。
それは一本締め。
「お手を拝借、イヨー!パン!」
ではありません。
3・3・3・1です。
宴席では、三本締めとか言われるあれです。
この意味としては、3を3回繰り返すことで「九」を作り、そこに1を足すことで「丸」にするということ。
つまりは丸く収めるということなんだそう。
「差す」
休憩所や、お祭りに協力してもらったお店や場所の前で、御神輿を「差す」ことがあります。
それは、普段は肩で担いでいる御神輿を片手で高く掲げ、空いている方の手で担ぎ棒を横から叩くという不思議な動作です。
差したと思ったらすぐに御神輿を下ろしたりする急展開があるので、意外とこれが危ない。
意味はよく聞いてはいませんが、感謝とか、「神様、このお宅にはもうちょっと贔屓してあげてくださいね。。。!」というメッセージなのかなと推察しました。
本当はどういう意味なんでしょう。
休憩所でもやはり飲酒
さて、御神輿を担いでいる途中、何度か御神輿を止めて下ろします。
感覚としては、20分くらい担いだ後、15分くらい。
御神輿を担ぐのはやはりとてつもなく体力を消費するので、休憩するわけですね。
こんな感じですが、助っ人な方々ばかりなのでややアレですね。。。
(町屋二丁目、酒肴DINING「伴」の隣にて)
休憩所では、ビールをはじめとした飲料と、軽食がふるまわれます。
こちらは焼酎のお茶割り。
こちらは軽食で、ニンニク風味のチキンだったでしょうかね。
余談ですがこの時間は、私のような飛び込み参加者にとってはなかなかに苦痛な時間です。
それもそのはず、知り合いがいないので話し相手がいないのです。
お酒は飲んでいるのでその勢いを借りるということもあるかもしれませんが、"自分以外全員知り合い"みたいな状況の中でそれができる方はどのくらいいるのでしょうねー。。。
町屋地区15町会連合渡御
町屋地区の天王祭における最大の見せ場は、2日目である日曜日正午から開始された連合渡御でしょう。
町屋地区に存在している15の町会が、町屋のメインストリートである尾竹橋通りに御神輿を集め、順番に進むのです。
開始前、御神輿が少しずつ集まってくる様子を見るだけで、高まります。
そしてその光景を、御神輿の担ぎ手の一人として、(借り物ながら)半纏を着て見ているというシチュエーションにも高まります。
(連合渡御開始前の尾竹橋通り)
1つ(数え方は?)でもそれ自体見応えのある御神輿を、一箇所で15も見られるのです。
やはり沿道には見物される方々が多く、その中で担げることについての誇りも生まれてきます。
宮入り
御神輿はお宮、つまりは神社から神様を載せて出発したこととなっています。
ということは、最後はお宮に神様を送らなければなりません。
それが宮入り。
こちらは動画をTwitterに投稿していたので、それを転載します。
原稲荷に戻ってきた#天王祭 #二仲 pic.twitter.com/LOpJUijjsP
— こむば氏@荒川 (@KMB_Masa) 2017年6月4日
原稲荷神社にて最後の宮入りをする御神輿。西陽が美しいのは明らかである。#天王祭 #二仲 pic.twitter.com/vpYPcexljb
— こむば氏@荒川 (@KMB_Masa) 2017年6月4日
これを投稿できたということは、すなわちこのタイミングでは私は御神輿を担いでいません。
1日目は出発から到着までずっと担いでいたのですが、二日目は頃合いを見ながら休憩をやや増やさざるをえなかった。
実感値として、長時間御神輿を担いでる人はむしろ少数派で、休憩所から休憩所の間でも、かなりの頻度で交代がありました。
さて、”その2”として御神輿編をお送りしました。
やっぱり三部作になってしまいそうですね。
次回は総括的な内容で、考察をしてみようかと思ってます。
横浜市民だけど素盞雄神社の天王祭(町屋地区)で御神輿担いできた話のその1。
早くも一週間がに過ぎてしまいましたが、素盞雄神社の天王祭に参加してきました。
御神輿を担いだのは、昨年の高木神社の例大祭以来ちょうど一年ぶり。
前回は、マツリズムという、わかりやすく言えばお祭り参加仲介事業の中での御神輿担ぎであり、いろいろと思うところがありました。
一方で今回は、そういった下地のない正真正銘の飛び込み。ダイブ。
もちろん、やはり思うところはありましたが、昨年得たものとはやや異なる気がしています。
そんな、昨年のお祭り体験記はこちらから。
経緯と動機
今回のお祭り参加は、直接の知人の方を介してのものでした。
件の"荒川区景観まちづくり塾"には地域で活動をされる様々な方々がおり、その中にはもちろん町内会の関係者もいらしたのです。
幸いなことに、私がグループワークで所属していた町屋・荒川地域には、私がかつて荒川区民だあった時代に所属していた町内会の総務部長さん(もちろん当時は面識ありません)がおられ、仲良くさせていただく中で、今回の天王祭ダイブが実現したというわけです。
完全な私事ですが、今年7月には荒川区へ再入国予定。
でも、それだと6月上旬の天王祭は、素盞雄神社の氏子として迎えられない。
それならば、あらかじめフライングしてしまえ、氏神様への挨拶を先にしてしまえということで。
ちなみに以前の記事に書いたように、こうした余所者のお祭り参加自体は、おそらく多くの町内会・氏子組織で受け入れ体制があるものと思われます。
ポスターに「担ぎ手募集」と記載がある地区であれば、電話やメールというハードルを超えさえすれば、誰でもお祭りに参加できるのではないでしょうか。(保証はしませんが。。)
お祭りの流れ
平成29年の天王祭は6月3日(土)、4日(日)の2日間にわたって行われました。
最初に申し上げてしまうと、見物対象としての天王祭の見所はそれほど多くはないなと感じます。
基本的にはとにかく硬派に硬派に、御神輿の渡御(御神輿を担いで練り歩く)なのです。
あと、別に御神輿を担いで素盞雄神社に向かうわけではないということもポイントだった。
当初は、61町会の御神輿が氏神様たる素盞雄神社に勢ぞろいするのかと思いましたが、あくまで町内巡行と、町屋地区とか南千住・三ノ輪地区とかいうように、まとまった地区単位での連合渡御があるのみでした。
ちなみに参加させてもらった町内会のお祭りスケジュールは以下の感じ。
6/3(土)18:00 町内巡行
6/4(日)12:00 町屋地区15町会連合渡御@尾竹橋通り
15:30 町内巡行
17:30 直会
※ちなみに今年は陰祭で、来年は3年に一度の本祭があり、本社神輿や白馬が出るなど、ガラッと演出が異なるそうです
御神輿の出発以前
早速ながら、御神輿が出るだけがお祭りではありません。
御神輿はお祭り2日間の"動"の部分だというだけで、それ以外の"静"にもお祭りの重要な要素が詰まっています。
御霊入れ
正確にはこの段階では私は立ち会っておりませんが、宗教行事としてのお祭りにおいては重要なことなので。
御神輿というものは文字通り"神"を載せて担ぐわけですが、常に御神輿に神が宿っているわけではありません。
神はあくまで神社におられ、お祭りの時だけ御神輿に宿られるのです。
御霊入れとはこのための、御神輿に神を載せる儀式です。
一神社に対する氏子町会の数が少なければ、御神輿を直接境内に持ち込んで御霊入れしてもらうお祭りもあるのですが、ここ天王祭においては、素盞雄神社を氏神と仰ぐ町会数はなんと61。
そもそも氏子圏域が広大であるゆえに、町屋地区の御神輿が直接素盞雄様に来るということはありません。
というわけで、御霊入れの儀式を受けたお札を持ち帰り、御神輿に移すというものだったようです。
待機所
お祭りは二日間なのですが、その間中ずっと御神輿が出ているわけではありません。
二日間合計しても御神輿の時間はせいぜい4時間程度という感覚で、それ以外の時間帯の御神輿は、町会会館に設けられた神酒所前に鎮座されています。
(町会会館と御神輿)
御神輿は町会会館に、それでは担ぎ手達はどこにいるのか。
そう、彼らは公園に設けられた待機所にいるのです。
(待機所の様子)
この待機所にいる時間がほとんどと言っても過言ではありません。
ここで何が行われるのかと言えば、私が観察する限りには、
- 青年部による飲食(ほぼアルコール)と地域コミュニケーション(やや手荒め)
- 町会婦人部による炊き出し
- 協力団体達とのご挨拶と奉賛金対応
といったことが行われていました。
①とにかく飲む
お祭り期間中、青年部を初めとする担ぎ手の皆様はとにかく飲みます。
それも、ビールとお茶割り。
そういえば、神酒とかの謂れとして、酔えば神の領域に近づくといった話を聞いたことがあるのですが、あの感覚なのでしょうかね。
お酒と併せて、特有の地域コミュニケーションも忘れてはなりません。
何かと言えば、余所者の介入を拒むような内輪的なコミュニケーションのことです。
親戚が甥っ子に「お前はいくつになったんだ?」と聞くような、共同体所属員に対してライフステージの変化を確認するような、あの感じ。
②カレー、カレー、カレーの炊き出し
御神輿の出発前や終了後、酒以外にも食べ物が振る舞われます。
その中で、かなりの割合を占めるのがカレー。聞けばそれは、予算と手間を理由に、安価かつ大量に調理しやすいから。
これを作られているのが、町内会の婦人部のお姉様方というわけです。
まあ、カレーはよいのです。それよりも。
今や家庭内における男女役割について、男が力作業で女がそのサポートなのだというように、固定的に考えることには批判的なご時世かも知れません。
ただ地域という共同体においてはまだまだそれが標準のようで、婦人部は炊事と相場が決まっている感覚でした。
婦人部の方々は待機所での炊き出しと、御神輿が止まる度にある休憩時の差し入れを担当してくださいます。
③お祭りは地域だけでは成り立たない、協力団体の存在
そしてこれが今回のお祭りでの発見。
前提条件として、地域の人だけでは御神輿を担ぐことができないというのが、荒川区に限らず日本各地で発生している課題です。
それなら助っ人が必要だということで、多くの地域における当面の処方箋となっているのがこの”助け合い”制度。
要は、お祭りの時期が異なる他の地域の氏子団体や、氏子団体ですらない御神輿担ぎの同好会("〇〇會"というような名称が多い)の方と日頃から協力関係を結んでおき、お互いのお祭りを行ったり来たりするわけです。
特徴的なのは、御神輿を担いでる方々の色とりどりの半纏。
まあこうなるわけです。
(どこの氏神様を担いでいるのかわからない御神輿。この地域の半纏は紫色です。)
奉賛金
お祭りは何かと物入りです。
神酒所の装飾のほか、担ぎ手の飲食にとてつもないお金が必要となります。
こうしたお金は、氏子を中心として"奉賛金"として集められたお金、要はカンパにより賄うわけです。
お金を集めた方々は、神酒所近くの掲示板にでかでかと名前と金額が飾られます。
スポンサー一覧、というわけです。
今回はこんなところで。
次回いよいよ御神輿の町内巡行と連合渡御、そしてその後に考察について書きたいと思います。