読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

no pleasure, no life(旧ブログ名:まちづくり、例えばこんなふうに)

意固地になるほどに"まちづくり"が気になって仕方ない。自分の関わったまちづくりの活動・調査の記録を中心にしつつ、"都市""街の変化"の話題など。 Keyword→まちづくり/都市計画/荒川区町屋/蒲郡/豊橋/三河/谷中

商店街の魅力が意外に簡単に味わえることを証明してみたいと思う発端

発端はこちら。

フォローしているブレーメン通り商店街振興組合青年部のTwitterアカウントが、こちらのブログ記事をリツイート。

  

 

 

「消費」をやめる 銭湯経済のすすめ (シリーズ22世紀を生きる)

「消費」をやめる 銭湯経済のすすめ (シリーズ22世紀を生きる)

 

 

 

木曜はこちらのブログ記事を読みながら職場へ。
朝からいろいろと考えさせられる記事でした。
 
論点となっているのは、「消費の仕方を変えることで、地元の未来を守っていこう」というスペンド・シフトの考え方に関すること。
 
以前の記事「商店街は滅びてはいけないの?」【上】(あ、まだ後編書いてない…)にも挙げているように、
私自身も感じている問題意識を言葉にしてもらっていたので、思いに耽ってみたわけです。
 
地場産業を活かし残していくためには、意識的に地元にお金を落とすことが必要。
しかし実際は、利便性をはじめとする多くの魅力が、お客にとって大型スーパーやコンビニ、その他ナショナルチェーンで消費することを経済合理的とします。
 
「ナショナルチェーンは地元を考えてないからダメ。地場産業・地元商店街を活かすためにもっと地域にお金を落とそう。」というかけ声は私も強く共感します。
衰退していくことに対してはただのノスタルジア的寂しさだけでなく、きっと将来物理的に困っていくんだろうということも想像できる。
今後必要なものを守っていくためには、消費行動のパラダイムシフトが必須。
 
(「わたしたちの消費行動や欲望は大企業や市場にコントロールされている」という論調は抵抗があり、少し違う立場ではありますが。) 
 
でも、こうした選択行動って結局のところ、募金行動や環境配慮行動に似ていませんか?
自分のした明らかな善行が目に見える形では残らずに、「なんか善いことをした精神的豊かさ」といった高尚な形でしか残らないから、それを選ぶインセンティブが弱い。
 
衣食足りて礼節を知る、ではないですが、まずは生存を満たすための合理的行動=経済合理性に基づいた選択をすることが最優先。
→スーパーやコンビニにお金が落ちる。
地場産業は衰退する。
嗚呼。。。
 
 
 
しかし、今回は高みの見物で嘆くだけではなく。
 
 
この悪循環を断ち切るには、消費者目線で商店街のわかりやすい魅力を紹介していくことで、「商店街で消費してみようかな」という気にさせることが、単純ながら有効なのではないか。
すると、「あ、地元商店街・地場産業・個人商店ってこんな魅力あるんだ!」
と思わせるための発信をしていくというブログの存在意義がようやく生まれるのではないか。
 
いや、でもこれは本当にそう思うのです。
ロハスという言葉に代表されるような洗練された精神的充足や、“下町人情”の言葉で一見さんお断りですよ感を出すことで(スーパーと違う)商店街の個性を出すだけでなく(結果的にそうなってしまうかもしれませんが、
魅力というものは積極的に紹介していくべきだと思うのです。
 
「大企業は敵である」「市場主義では地縁コミュニティは破壊される」という考え方もあるとは思うのですが、単純に考えれば消費者がそういったところで消費行動をするのって、
「そこに魅力があるから」
ということですよね。
 
そしてナショナルチェーンや大型資本の小売店は、そうした魅力を全国統一的に展開することができて、消費者にとって魅力がわかりやすい・見えやすいわけで。
それに対して商店街は、「深く知ればよく見えてくる」「じっくりと知れば味わいがある」というような、(確かに持っているであろう)スルメ的魅力に甘んじているのでは良くないと思うわけです。
もっと魅力を発信することが必要ではないかと。
 
 
で、以前ご紹介したように、モトスミ周辺にはブレーメンオズイダナカと商店街が3つあります。
これら振興組合、商栄会は、商店街を盛り上げる活動に活発に取組まれており、「がんばる商店街30選」にも選定されるところもあるなど、素晴らしい商店街ばかりなのですが。
 
というわけで何というか、「大きなお世話」であろうとは思うのですが、
ちょっとこれからお店の魅力を紹介していこうかなという、そんなところです。