no pleasure, no life(旧ブログ名:まちづくり、例えばこんなふうに)

意固地になるほどに"まちづくり"が気になって仕方ない。自分の関わったまちづくりの活動・調査の記録を中心にしつつ、"都市""街の変化"の話題など。 Keyword→まちづくり/都市計画/荒川区町屋/蒲郡/豊橋/三河/谷中

“根なし草”感と蒲郡と 其の弐

前回記事の続き)

 

ノブレス・オブリージュ”という言葉がある。

 

これは、「高貴さゆえに負う義務」ということを意味しているが、社会的地位には責任が伴う、くらいの解釈でよいかと思う。

自分の考え方を説明する言葉としてあまりに大仰な言葉だが、あえて使いたいと思う。

 

 

自分は周囲の方々にお世話になりながら、結果として東京大学および東京大学大学院にて学位を得ることができた。

このことは決して「自分にできたんだから、誰だってできるよ」というようなものではなく、他の誰でもない自分が、文字通り血の滲むような努力を費やしたことで初めて手に入れた称号だという自負を持っている。

これは誰にでもできることであるはずがない。

 

選民思想とは違うと思いたいが、結果として自分は「社会的に高い称号を得たのだから、自分は何か社会に価値を還元しなければならない」というノブレス・オブリージュ的な考え方を持つようになる。

つまり、この時点で自分は既に、「自分が社会で実現したいこと」の方向性を、自分の感情とは違う、きわめて論理的かつ客観的な展開で導いてしまっている。

 

 

また、もしかしたら、大学や大学院において教育学や都市計画というような、“社会という人間の集合を、いかに導くか”という視点の、帝王学的な色の濃い傲慢な学問を学んだことも大きいのかもしれない。

これらの学問の基本パラダイムを一言で言い表すことはできないが、基本的には自由競争を是とする資本主義的な考え方とは対極的なもので、「個々の主体のエゴだけでは崩壊してしまう人間社会の秩序を、いかに保ち、いかに持続可能な社会に導いていくか」という方向性であったように思う。

これにより、性悪説的な価値観かつ、常に“上から目線”で社会を捉える視点に慣れてきたわけである。 

 

 

一方で、前回記事で述べたように、単身学生というのはきわめて社会から距離のある立場であるように思う。

基礎工学や薬学・医学のように、その技術の進展がほぼそのまま国民全体の生活福祉の向上に繋がり得る分野であれば、社会との距離はさほど問題にならなかったのかもしれない。

しかし、まちづくりやその他社会科学において、学業成果に対する評価は価値観や視点に大きく左右され、それは時代によっても大きく変わってくる。

自分の場合、「居住者が街の未来を決めていける環境づくり」ということを研究の絶対軸に置き、いずれ社会において実現したいこともその延長線上に置いた。

 

ただこれは、自分が実生活上で感じた一次体験から生まれてきた価値観というわけでは決してなく、教科書や論文等で出てきた言葉の、さも口当たりの良い表現に、論理的な共感をしたのみだったのかもしれない。

社会から離れた立場であるゆえに、分野における特定の言説を、自分の価値観と離れたところで取り上げてしまったのではないか、今ならそんな風に思う。

 

 

ここまでいろいろ頭をこねくりまわしてみたが、要はこれまで疑問なく抱いてきた「お利口さん的」問題意識、社会に何かを還元するのだという鼻息荒い態度、それ自体が自分以外のところで作り上げられた、胡散臭いものではないかと思い始めてきたわけである。

もちろん、社会科学の分野での言説に客観的正当性はないものである。

要は、その言説に対して心から共感することができるのかということ。自分の心から出てくる“社会に対するスタンス”と、近いのか、それとも違うのかということ。

大学や大学院で修め、これから社会に還元していきたいと疑いなく思ってきたこの一連のプロセスの中に、自分の心からの執着、感情がないということに気づき始めた。

教科書を読んでいた”だけ”なわけだ。 

 

ここまで、自分の選択したことに自分で責任をとらず、「自分で選んだんじゃなくて、環境に選ばされたんだ」とか言っているようで、非常に格好悪いということは承知しつつ。

 

 

なんというか、ここがしっかりと噛み合わずに、奥歯にものが挟まったような感覚なのである。

社会人一年目特有の滞りも相俟って、どうしていいのか分からない状態になってきたのがここ数ヶ月のことである。

 

 

しかし最近、そうした冷静で論理的で客観的なところとは全く遠いところにあるのに、これだけは何があっても、今後ずっと好きなんだろうなというものがあることに気づいた。

安心すると同時に、単純に嬉しくもなった。

 

 

それが故郷であり、「蒲郡」という街である。

 

 

(たぶん次回に続く)