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no pleasure, no life(旧ブログ名:まちづくり、例えばこんなふうに)

意固地になるほどに"まちづくり"が気になって仕方ない。自分の関わったまちづくりの活動・調査の記録を中心にしつつ、"都市""街の変化"の話題など。 Keyword→まちづくり/都市計画/荒川区町屋/蒲郡/豊橋/三河/谷中

帰省中に感じた「旧友」と「イマトモ」についての備忘録

帰省中、やっぱり「友達ってなんなのだろう?」というところに想いを巡らしてしまうわけです。

進学や就職、転勤などで故郷を離れて活躍している皆様は、「旧友」と「イマトモ(今の友達)」の位置付けについて、いかに割り切って生きてますか?

 

今回の年末年始も、いつも通り里帰りをして過ごしていたわけです。

期間中の大きなイベントは、やはり”お酒を交えた旧友との語らい”になるわけじゃないですか。

 

ここで僭越ながら、自分の故郷事情の説明をば。

私が育ったのは、一つの小学校から一つの中学校に進学する地区で、

高校は通常の公立受験をしたという背景のため、地元には

 

「小中学校コミュニティ」

「高校コミュニティ」

 

の2つに分かれます。

※高校では進学のために顔ぶれも交友関係も大きく変わったので、「高1コミュニティ」「高2コミュニティ」「高3コミュニティ」「部活コミュニティ」という分科会的なものも現れますが。。。

 

そのコミュニティにおける「友達」は、ある意味で”期間限定のもの”であり、例えば【高校進学】や【大学進学】といったライフイベントがその期間の始点・終点を左右してきます。

高校進学をしたら中坊の時の友達とは疎遠になりますし、
大学進学で上京なんかした暁には地元の連中とのやりとりは物理的に困難になりますよね、
というイメージ。

 

新しいフィールドで新しいコミュニティを築くと、それ以前の友達は「旧友」と名前を変えていきます。

 

 

さて今回、小中学校時代の旧友や、高校時代の旧友と語らったわけです。

珍しいところでは、それまで9年間一緒だったのに、中1で転校してしまった友人と15年ぶりの再会なんてのもありました。

不思議なもので、久々に旧友に会えばすぐにあの頃に戻れます。

「あの時バカやったよなー」とか、「ああ、あんなことあったよなー」といった類の話をして、すぐにそこにあの頃の無邪気な空気が戻ってくるわけです。

 

こんな時の酒席の話題って、いくつかパターンがあるんじゃないかと思うのです。

 

①あの頃思い出ノスタルジア

「あの頃、ああいうの流行ったよねー」「あの時あんなことあったよなー」というタイプ。

必ず「あった!あった!そうそう!」(一同が浸る)と続きます。

旧友とかつて同じ空間を生きてきたことの再確認を通じて、自分の属性・バックグラウンドを強く意識するきっかけになります。

 

②脳内名簿アップデート

宴席にいる・いないに関わらず、旧友の「今何をしているか」「卒業後、どういう人生を辿ったか」情報の共有作業。これにより脳内の旧友名簿が更新されることになります。

「A君が結婚したらしいよー」「Bさんが今こんな仕事してるらしいよー」というタイプで、必ず次には「へぇぇええーーーまじかーーー」となる。

旧友の名簿を更新しながら、自分の現在位置を再確認する機会になる。。。のでしょうか。

 

③「で、いま何やってんの?」

これは特に定型はなく、まあつまり「いま何してんの?」という近況のお話なわけです。

ただ、旧友とこの話をすることは意外と少ないどころか、②と同様の更新作業だけで終わってしまうことが少なくないのです。

「今何やってんの?」「いま、こんな仕事してるよー」「へえ、大変そうだなー」「うんー」という感じ。

 

 

このあたりから何を言いたいかと言うと、

昔、毎日のように顔を合わせて付き合った友達が、永遠に「あの頃」のまま閉じてしまっていること、それ以上の関係になれないことを嘆いてしまうわけです。

昔の友達は昔の友達で、たまに年に1、2回顔を合わせて①〜③のような話題を展開するわけですが、なんらかの発展性を求めてしまう自分にとっては、歯がゆい思いを抱えて宴席を後にするのがお約束。

 

酒席の人数を少数にしたり、頑張って会話に突っ込んだりすれば、この歯がゆい感情はいくぶんか緩和も可能なのですが、根本的なアレではない感じ。

 

「昔の友達」は昔の檻の中から出すことができず、「今の友達」とは明らかに違う付き合い方になる。

なんとか今の日常生活にも「旧友」を積極的に取り込んだりして、継続的な付き合いができればしていきたい。

でも、もちろん全てあの頃のままの関係を継続していくことなどは不可能なので、そこには選択と集中が不可避だということも当然理解しているわけですが。

 

 

培ってきた財産としての「友達」が減っていくのが嫌なのか、

それとも「友達」に対するもっと強い執着なのか、そのあたりの詳細なところは自分でもわかりませんが、

このあたりは合理的とは違う、感情的かつ感傷的な思いが邪魔をしているような気がします。