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no pleasure, no life(旧ブログ名:まちづくり、例えばこんなふうに)

意固地になるほどに"まちづくり"が気になって仕方ない。自分の関わったまちづくりの活動・調査の記録を中心にしつつ、"都市""街の変化"の話題など。 Keyword→まちづくり/都市計画/荒川区町屋/蒲郡/豊橋/三河/谷中

谷中エリアの銭湯いまむかしー銭湯とまちを考えてみる

銭湯と言ったり、公衆浴場と言ったり。
こちらに来る前、愛知県蒲郡市という地方生活をしていた中では、たまに見かけるその独特な外観が醸し出す異様なオーラに違和感を覚える程度でした。
そもそも年に1回ほども行かなかったなー。

一方で、上京してからは、銭湯というものがいかに当然な感じで存在するかということに気付かされます。
町屋や西日暮里や北千住、東大前など、住んできた地域が下町寄りであることも強く関連しているのですが、商店街や学校、公園などと同列な地区施設として公衆浴場が存在していたような気がします。
家に友達を招いた夜なんかは、みんなで銭湯に行くのが楽しかった。


さて、先日のエントリで言及した谷中「まちの作戦会議」において、まちの大規模敷地というものをキーワードに調べ始めました。
特に、身近な生活施設の中で、銭湯は比較的大きなボリュームを持つ施設です。
もちろん学校や寺社なども、同じかそれ以上にボリュームの大きい地区施設ですが、統廃合による学校の閉鎖や寺社の撤退よりは、個人事業である銭湯の廃業による土地利用の変化のほうが周期は短いと言わざるをえません。
そしてエリアに与えるインパクトは、一つ一つの住宅が建て替わること以上に大きいことも確かでしょう。

台東区谷中ではかつて銭湯が6軒あった記録が、有名な地域雑誌「谷根千」の第2号(1984年)に見られます。
昔より常連さんが減り始めたことを嘆く記述は既に見られますが、それでもまだまだ営業を頑張る6軒のお風呂屋さんの姿が温かく描写されています。

真島湯、朝日湯、柏湯、菊の湯、初音湯、世界湯という6軒の銭湯は、現在どのように地域に残っているのでしょうか。
実際にフィールドワークをしてみました。





なんと、この30年で1/6に減ってしまいました。

現役営業中が1軒と、かろうじて建物が残っているものが2軒。
営業は終了しつつ建物をギャラリーとして使い続けている「SCAI THE BATHHOUSE(旧柏湯)」のように、まちづくりのとんでもない事例もあるにありますが、やはり銭湯は減る一方と言わざるをえません。

また、これはフィールドワークのTwitter実況では言及できていないことですが、営業が終了してしまった銭湯においても、建物名に名残が残っていたり(「世界湯」→「ル・モンド」)、確かにその地に住まわれている形跡があったりといったことに気づきました。
しかし、敷地分割によるミニ開発や、賃貸併用住宅への転用には、相続対策や資産運用といった、個人のファイナンスをめぐる”仕方なさ”を感じざるをえません。

公衆衛生のセーフティネットとして、一時は都内でも無数の広がりを見せた銭湯ですが、浴室付の住宅が完全に当たり前となった現代です。
「どうか銭湯を積極的に使って盛り上げて、銭湯を残すことに協力してください」と呼びかけることに、ノスタルジー的な感傷を煽る以上の意味があるとは思えません。

※公衆浴場というビジネスの特殊性については、都議会議員のおときたさんの記事戦後に定められた「物価統制令」、ただ一つ現在まで続いているものは? | 東京都議会議員 おときた駿 公式サイトに詳しいです。

もちろん、コミュニティのサロンとしての機能も忘れてはならないもの。
街の古くからの居酒屋さんのように、余所者や若者でも、既存コミュニティに体験的に触れられるような気にさせてくれる、懐の深さは貴重です。

銭湯を思っていろいろ考えても、どちらの目線のことも想像できてしまって、混乱してしまいます。うーん。


さて、無理やり記事を終えるために、まとめるならば。

公衆浴場が減ることは、確かに寂しいものです。
特に、(経営者の方々にとってやんごとなき事情なのでしょうが)ある日突然、銭湯であった頃の面影を全く継承していないような建物ができれば、"まちのエリアとしての魅力低下"にもつながるのかもしれません。

これをどうすればよいのか、もちろん私にはよくわかっていません。

ただ一つ言えるのは、確かに公衆浴場には少し前の生活文化が詰まっており、それを愛する人が少なからずいるのだということ。
地元住民にとっては自分たちの古き良き思い出として。一方で訪れる者にとっては、現在進行形の生活文化として、エリアの魅力として捉えるのかもしれません。ここは少し違いがあるでしょう。
若者や観光客にとっては、そんな前時代的な生活文化こそが魅力だということ。

観光客は、あくまでフリーライダーとして街の魅力を味わうもの。
まちづくりの主体ではなく、いかに魅力を伝えるかという客体にとどまります。

一方、谷中という街に魅力を感じて、後天的に集まる若者や余所者の中には、そんな生活文化の消滅を大きな課題として捉え、なんとかしたいと動こうとする者が現れ始めています。
思い起こせば、柏湯の営業終了にも関わらず建物が残ったのは、当時の谷中学校をはじめとした余所者の動きだと記録されています。


斜陽とも言える銭湯を考える上では、余所者がいかにまちのストック活用に参画できるかというきっかけ論と、リノベーションをはじめとした手段でいかに持続可能性を持った残し方をするかという経営論の立場があるのかなと、今回のフィールドワーク(と、個人的な瞑想)の中で感じた次第です。


というかそれ以上に、いつまで評論家的な上から目線を続けるのさ、自分。。