no pleasure, no life(旧ブログ名:まちづくり、例えばこんなふうに)

意固地になるほどに"まちづくり"が気になって仕方ない。自分の関わったまちづくりの活動・調査の記録を中心にしつつ、"都市""街の変化"の話題など。 Keyword→まちづくり/都市計画/荒川区町屋/蒲郡/豊橋/三河/谷中

公務員三回生中退の身から見た、「なぜ行政のフットワークは重いか?第4回 いかに役所と付き合うか(試論)①」

さて、完全に自己満ながら、第4回を書いてみます。

これまでの記事はこちら。

 

phantom-gon.hatenadiary.com

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ここまで、役所の共通の文化や価値観を紹介してきました。

  1. 文書主義
  2. 決裁主義
  3. 計画行政
  4. 議会答弁
  5. 広聴回答

今回はその総括的に、役所とのより良い付き合い方について考えてみたいと思います。

 

なお、タイトルにもありますように、私は公務員三回生で中退した身。正確には2年と4ヶ月。

それゆえ経験事例は少ない上、異動ももちろんなかったために、行政の価値観にどっぷり浸かったとは言えないかもしれません。

 

ですからそのあたりの事情を念頭に、ここまでの記事を読んでいただければと思います。

でも、まるっきりホラではないんじゃないかなー。。(自信なさげ)

 

 

 

システムは人を変えるが、人間性までは変えない

 

 これまで連載してきた内容から、役所に対してどのようなイメージを持ったでしょうか。

 

「役人とはかくも冷たいのか。。」

「自分や自分たちのことしか考えておらず、住民を見ていないなんて奴ら」

 

と感じてしまった皆様、ちょっとお待ちください。(やや煽った自覚はありますが)

これこそが、公平性・平等性の担保を追求した結果辿り着いた、官僚機構という仕組みなのです。

文書主義や計画行政といった行政組織共通の価値観は、営利追求を求める民間企業では担い得ない、公共という領域を担うためにやむをえないもの。

 

近年の"新しい公共"という潮流は、従来の官僚機構だけが公共を担う主体ではないことを声高に叫んでいますが、それでもまだまだ彼らの存在意義は少しも霞みません。

むしろ、その潮流に併せて、"私"領域からでも行政組織を使い倒すこと重要性が増しているという側面もあるでしよう。(言ってて混乱してきた

 

まず言いたいことは、職員の人格自体が冷たいというわけではない、ということ。

むしろ逆で、就職先として役所を選択する方の多くは、行政でしかできない仕事をするため、公共という立場に魅力を感じている人が多いはずです。

そんな方々は、多くの人々のために。。という熱い気持ちを抱きながら官僚機構に入門していきます。

(もちろん、初めから安定性を求めて公務員となる人がいないとは言いませんが)

 

しかしながら、環境は人間を変えます。

文書主義や計画行政、決裁主義や議会答弁、広聴といった特有の仕組みは、そんな熱い方々の想いを悪戯に揺さぶり、尖った角は丸くさせ、いつしか"仕事のための仕事"という価値観を持たされるようになってしまう。

 

3、4年周期の終わりなき異動は、望むポジションでやりたい仕事などできないのだという諦めに。

そんな彼らは、本心と実情との乖離に対して、「異動すると転職するレベルで業務が変わるから、転職する必要ないんですよね」という思考停止により、バリアーを張ります。

 

無機質な広聴対応に対して当初は抱くであろう違和感も、そのうち消えます。

「ゼロ回答で申し訳ないけど、平等性のためには仕方ないよな」

→「あー、他の仕事もあるのに回答するの面倒だな」

→「カタカタ...」(機械的事務処理)

 

住民のため、と仕事の質をいくら追求しても、自分の高尚な価値観が満たされる以外、誰に評価されることもありません。

いつしか"ノー残業"と"監査での指摘を防ぐ"ための無難な姿勢に変容します。

 

そこに、守られすぎているとも言える総合的な福利厚生もあいまって。。。

あとは我々のよく知る、イメージ通りの"お役人さん"の出来上がりです。

 

 

願望的・役人性善説

 

ここまで紹介したようなお役人さんの性質は、あくまでシステムが作り上げたものです。 

つまり、当の本人が、心の芯から、価値観の底から、そうなっているわけではないのだということ。

見えにくくなってはいると思いますが。

 

何が言いたいのかと言えば、たとえ「これだから役所は!」と感じたとしても、職員の人格否定をすべきではないということ。

彼ら彼女らが入庁時に抱いてたであろう公共心は、きっと変わらず持ったままなのに、役所の制度がその発現を縛ってしまっているだけなのです。

当人にとっても見えなくさせてしまっている。

 

だって、そもそも採用面接ではモチベーションこそ問われている(ですよね?)はずなんです。

その自治体のために働く理由について明確な説明ができ、なおかつ意欲のある者。

逆に言えば、新しく職員になろうとしている人間を選考する際に、「安定で事勿れな、役所向きの性格です」という者を採用しますか? 

 

役所でただ事務処理的な執務をする上では、そのほうが生きやすいのは事実。

もちろん選考する側はそれを痛いほど知っているはず。

青臭い価値観では、行政組織の中を渡り歩く上で、精神衛生上難しいことを知っているはずなのです。

 

逆説的ですが、多くの民間企業がそうであるように、役所も採用選考では意欲・モチベーション面における適性を問うはずなのです。

それが明らかにハリボテであれば落ちるのであろうし、面接官に伝わる程度であれば通過する可能性は高くなる。

 

ゆえに、入庁時の行政職員の価値観は、「行政でしかできない仕事」「公共でしか取り組めない領域」といった、公共心にこそあるのではないかと思うのです。

そんな公共心を、呼び起こすような付き合い方があるのではないか。

 

相手や、相手を縛るルールを知る

 

では、一体どうすればよいか。

まずは、ここまで紹介してきたような行政の性質を理解することです。

 

文書主義。

法律をはじめとして、明文化されたルールを厳守すること。

提案したい内容が法に抵触する可能性があるならば、まず間違いなく受け入れられません。

 

決裁主義。

行政が物事を決定には、驚くほど時間がかかります。

たとえその場にいるヒラ職員に何かを主張し、受け入れられなかったとしましょう。当たり前です。

彼らは組織としてYESを勝手に言ってはならないのです。

 

計画主義。

役所が各種計画を策定したとすれば、それは絶対です。

たとえ数値目標がずれてきたとしても、彼らは黒を白にする腕力があります。

計画こそが、役所が事業を行う上で依拠する最大限の根拠かつ指標なのです。

 

公平性・平等性という呪いも忘れてはいけません。

ある限られた範囲にしか恩恵をもたらさない事業について、役所は尻込みします。

全体から集めた税金を、限定的に使うという理由を説明する理由があるからです。

例えば、商店街だけが潤ってはダメです。商店街が潤うことを通じて、日常的に利用者の利便性が上がって生活レベルが向上する、ということまで言わなくてはなりません。

とある地区だけが活性化するだけではダメです。その地区には集積の利があって、公共投資によるリターンが大きいということを言わなくてはなりません。

 

無謬性主義ということもあるでしょう。

彼らは決して、間違えることはありません。建前の上では。

ですから失敗を認めて、修正していくということはありません。

 

 

ここで挙げたのはおそらくどこの自治体でも共通ですが、そのほか自治体ごとのマイナーチェンジがあるものと思います。

とにかく、相手をまず知ることが大事だと思うのです。

知っていけばその上で、どう付き合えるのかを考えることができるはず。

 

我々に限界があるように、彼ら行政組織にとっても限界があって当然。

でも我々は、役所とは"何でも屋さん"だという誤解をしがちではないでしょうか。

私人同士でもそうであるように、誤解があれば彼らとうまく付き合うことはできません。

 

 

。。。

いろいろ妄想をもとに書き進めていますが、言われてみれば難しいことかもしれませんね。

 

今日はこの辺で。

次回で間違いなく終われそうです。