「商店街は滅びてはいけないの?」【上】
(愛知県蒲郡市)
(神奈川県川崎市中原区)
とある出会いから、最近は商店街について考えることが多いです。
今回は自分の思考整理も兼ねて、少しそれをアウトプットしてみます。
テーマはずばり、「商店街はなぜ滅びてはいけないのか?活性化しなければならないのか?」ということ。
商店街活性化ということは、もちろん昨日今日叫ばれ始めた話ではありません。
いつの間にか人口に膾炙され、普及した概念・言葉です。
いかにも日本的な商店街の多くは今、スーパーマーケットやショッピングセンター、ナショナルチェーンの勢いに押されて、利便性や経済性という領域では正面から戦うことが困難な商店街は劣勢に立たされています。
こうした“日本的”商店街が歴史的にいかに形成されてきたかは、以下の新書に詳しいです。
(新先生は大学院で少しお世話になった方で、人間的にとても面白い方なので是非。)
商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)
- 作者: 新雅史
- 出版社/メーカー: 光文社
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- メディア: 新書
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さて、この商店街が危機に瀕している。
先述したような巨大資本の攻勢に加えて、経営者の高齢化・後継者不足。
このことは、商店街に大きな変化を起こします。
一つ目は、従来は自ら店舗経営するのが当たり前であった居住者を、テナント誘致といった“大家業”に衣替えさせます。
高齢化と後継者不足・経営不振という事実は、更なる事業継続というリスク対して、事業主を消極的にさせざるをえないのです。
そんなリスクをとるよりは、駅前の好立地という地の利を活かした、テナント誘致・安定的賃料収入のほうが魅力的なわけです。
一方、駅前の高額な家賃を支払えるのはナショナルチェーンの店舗に限られてくる。
こうして日本型商店街は、その多くが「どこでも見かけるチェーン店」「ところどころ虫食い上に広がるコインパーキング」というように、コピペ化されていくわけです。
残った個人商店もシャッターが恒常的に降りていたり、閑古鳥が鳴いていたりと。
このようにして、“寂れた商店街”が量産されていくということになる。
だから、例えば誰かが「この商店街はチェーン店が多くて味気ないねえ」というようなことを思ったとしても、それは商店街の個店の努力不足というような単純な問題ではなく(場合によってはそれも大いにあるでしょうが)、
先述したような市場原理や、少子高齢化による後継者不足といったことをはじめとする様々な問題が複雑に絡まっているということで。
「昭和な商店街ってなんかいいよね」というような、三丁目的ノスタルジアに基づく商店街保全主義といった考え方も当然あろうかと思います。
当の私にも、ただ古いというだけで商店街が貴重だと感じる経験は、まちあるきをする中で多くあります。
しかしこうしたノスタルジアも、乱暴な言い方をすれば、その多くは商店街を味わえなくなるという既得権喪失のアピールに過ぎません。
彼らがその権利を守るために一定の責任を果たすということ、つまり「なんとしても商店街を残そう!活性化させよう!」というような行動にまで昇華させることはまず考えにくい。
日本型商店街は、いずれ全滅していくのを待つしかないのでしょうか。
さて、ここからはこの状況に対する私のスタンスを。
『市場社会において“選ばれなかった”商店街を延命させることに大義はない』
と考えています。
巨大資本によるナショナルチェーンの小売店や、近年爆発的に広がっているネットショッピングの店舗等に対して、日本的商店街に見られるような個人商店という形態。
単純に考えればいずれも、日本の市場社会という同じ土俵・ルールで戦っているプレイヤー(選手)であるという点においては、大きく違わないのではないでしょうか。
同じルールで戦っているからには、「企業の力は強すぎて価格やサービス内容で勝つことなんてできないよ」ということは遠吠えでしかない。
正々堂々とスポーツで負かされた相手に、「強すぎて卑怯じゃないか」などとは言えませんよね。
つまりは、著しく勝負において商店街に分が悪いとしても、「だから手厚く保護されるべき」理由は、一見すると見当たらない。
特に、自治体や国家といった公的主体が商店街に介入して積極的に保護するべきだという大義や、公金を使うことについての納税者への説得力は存在しないということになります。
でも、だからと言って私はここで「商店街はすべて滅びればよい」などというラディカルなことを言いたいわけでもないのです。
日本型商店街が残されるべき要件、公的主体が介入してでも、いわゆる「商店街活性化」がされるべき要件は、
①組合員である個々の商店自身がやる気を持って共助意識で取組むこと
②商店街の周辺コミュニティにとって商店街の必要性が大きいこと
ということかなと個人的に考えています。
詳細については、おそらく続編で書きます。笑