no pleasure, no life(旧ブログ名:まちづくり、例えばこんなふうに)

意固地になるほどに"まちづくり"が気になって仕方ない。自分の関わったまちづくりの活動・調査の記録を中心にしつつ、"都市""街の変化"の話題など。 Keyword→まちづくり/都市計画/荒川区町屋/蒲郡/豊橋/三河/谷中

余所者の自分が町会に乗り込んでみた、参 〜敗北者の弱音と再決意〜

私はこのブログを始めたばかりの頃、町会・自治会をネタに記事を書いていました。

 

余所者の自分が町会に乗り込んでみた、壱 - カワサキ高津モトスミLIFE

余所者の自分が町会に乗り込んでみた、弐 - カワサキ高津モトスミLIFE

 

学生時代からこれまでの長い単身生活の経験ゆえ、若年単身世帯という視点で、

もはや日本に定着している地縁組織であろう、町会・自治会が持つ課題(のみ)に着目。

 

「日本の健全な民主主義のためには、まず肌感覚の距離である地域コミュニティにおける住民自治の醸成、すなわち共助社会の推進が必要。

そのためには、フリーライダーが得をするような現状の住民自治・地方自治のあり方を少しずつ変えなきゃいけない。

そんな中、町会・自治会という組織は、地縁社会を高齢者と子育て世帯のみに閉じてしまう弊害があるのではないか。

地域参加が見込めない若年層を初めとする世帯に対してもアウトリーチし、新たな地域活動のプレイヤーを掘り起こすような町会・自治会のあり方はないものか?」

とかなんとか鼻息荒く意気がって、地元(とは言え転居したばかり)の明津町内会の活動に深く入ろうとしてみたわけです。

 

実践の一方で、 こんな本まで古本屋の奥から引っ張り出して、勉強してみたりもしました。

 ちなみにこの本は、閉塞化が指摘される日本の市民社会を打破する上で、町内会自治という形には大きな可能性があるということを鮮やかに指摘した名著。

間違いなく良書です。

 

 

 そんなわけですが、今のところ町内会参加は三日坊主となってしまっています。

 

仕事で精神的に余裕がなくなってきたとか、

お仕着せの行事を繰り返すことが本質の町内会に、変化を起こせる余地がなさそうとか、

いろんな言い訳は出てきますが、どれもかっこわるいですね。。。

 

 

ちなみに、「乗り込んでみた、弐」の最後で触れた、

 

「今、せせらぎ遊歩道の清掃活動の告知方法はどのようにされていますか?

町会掲示板に張り出すのみ、参加連絡が担当者への電話のみでは、意識ある若い人が参加しづらい状況であると思うのですが。」

 

 

という私の質問に続く、町会の方々の反応はこんな感じでした。

 

「わたしたちにはインターネットは使えないからねえ。。。」

 

「ブログ一つやろうとしても、プライバシーの問題があるからねえ。。。」

 

「回覧板できちんと開催日程は知らせているからねえ。。。」

 

となり、とりあえず結論はうやむやに。

 

・・・。

 

 

とまあここまで弱音を書くのは、まだまだやっぱりやってみたいなと再決意したからなのです。地域社会に変化を起こすような活動というものを。

 

それは義務感とかそういった類いのものではなく、「自分の好みなように地域社会を変えたい」という、きわめてエゴな気持ちからきています。

もちろんそのエゴが、社会的要請とそれほどズレてないと考えているからではありますが。

 

そしてこの経験を、どこかで活かしたいとも考えているから。

それは狭義の業務上か、ライフワークとしてかはよくわかりません。

でもきっと単なる勉強、ではない気がする。このへんは自分の気持ちさえよくわかっていない。笑

 

 

以上、今日も誰得記事でした。。。