自分の幸せを考えていきたいなと
“自分”を殺したまま、“社会はどうあるべきか?”という大きな問題意識に逃げることは私にとって向いていない、ということで自分の脳内議会は可決しそう。
その問題意識は文字通り気休めであり、麻薬のようなもの。
もっと“自分のやりたいこと”をちゃんと見て気を遣ってやろうと、必要に迫られて思った。
“「置かれた場所で咲く」とか「与えられた選択肢の中から最善を出す」とかはまあ説得力あるのだけれども、好きじゃないよね。自分の生き方とは違うよね。”
というように、常に「ここではないところ」に居場所を求める考え方が危険だろうな。
現状を歯食い縛って耐える気持ちを骨抜きにしてしまいそうだもの。
この週末に京都に行ってきた。
深く癒されたと同時に、常に「隣の芝生を必要以上に青く見てしまう」という、形状記憶合金にも劣らない自分の考え方のクセを再確認。
こんな歴史的情緒溢れる地域に生まれたかった、だの
町屋の風景が当たり前に残ってる京都うらやましい、だの。
じゃあ明日からどうしようというわけでもないのだけど、もっと自分の幸せ・楽しみを考えてやりたいなと。
そんな幼稚とも思える結論なのですが、ここ直近までの生き方や価値観に対する大きなパラダイムシフトであることは間違いないのかなと思います。
とりあえずはちょうどよい趣味と、恋愛か。笑