生活風景と景観形成に関する事例紹介と一家言ーブレーメン通り都市景観形成地区を題材にー
なんだか論文のようなタイトル。
きっかけは、最近読了したこちらの新書から、日常景観・生活風景というものについて思いを巡らせたことから。
レビューは改めてブクログに書きます。
要旨としては、日常景観(特に“歴史的建造物・町並み”として価値が認められているもの以外のもの)について著者が日々感じている問題意識をベースに、4つのテーマについて個別具体的な考察がなされています。
具体的には、郊外で量産されるロードサイド風景のつまらなさ、
開発を優先する自治体と生活景観維持のバランスに関する問題、
神奈川県真鶴町の「美の条例」についての意義と課題、
架空電線の地中化問題という4テーマ。
先日京都をじっくり歩き、「秩序の整った町並み」の素晴らしさについては心から感じたわけですが、それでもやはり都市景観というものは私のきわめて苦手な分野です。
基本的には負担をせず街で景観を享受するだけのフリーライダーとしての私は「風情のある街を残してほしい」と主張するし、一方の土地・建物所有者は当然ながら「自由に使う権利」を主張する、正面衝突になりますよね。
秩序ある景観を守っていく論理については懐疑的なで、基本的には当事者の自由性を優先すべきだというほうに寄る立場です。
京都のような歴史的なものであれば、比較的その魅力というものが共有されているわけ(=それを魅力だとみなす人が多い)なので、公共の力で規制をかける論理はわかりやすいものでしょう。
しかし本書で言う日常景観とは、「電線に遮られずに空を見ることができる」とか、「高架の高速道路によってシンボルが遮られない」という世界。
何を貴重だと感じるかの価値観はあまりに人それぞれであり、かくあるべきというように収束させることは至難の業でしょう。
さて、この話を身近に考えるための題材として、地元モトスミにはこんなものがありました。
(川崎市HPより)
都市計画法の枝葉的な法律として、「景観法」(平成16年~)という都市景観の維持保全に関する法律があります。
景観法を受けて川崎市で制定された「川崎市都市景観条例」に基づき、平成20年に制定された「ブレーメン通り都市景観形成地区」というもの。
ものすごくかいつまんで言うならば、指定した地区で建築物のデザインコードが決められているわけです。
今回で言えば、この範囲が指定されています。
(川崎市HP(前述)より)
ブレーメン通り沿いの全域にかかっているようです。
さて、基準の内容の具体を見てみましょう。
まずは最も街の印象を左右しそうな、色に関するものがあります。
色として、西欧的で温かみのあるイメージの赤茶系が、外壁に使用できる範囲として指定されているのがわかります。
1〜3階までの低層部と中層以上で強弱が変えられており、低層部はより低明度(暗め)かつ高彩度(強め)の色をつけることでアクセントをつけ、高さ方向の表情線・連続性をもたせようとしていることがうかがえます。
次のページでは、素材としてしっくいや土壁が例示され、光沢を避けるような素材選びが求められています。
次は、広告物について。
建築物に付属する広告物も、街の印象を決めるものとして重要です。
個々の店舗が自由に出す袖看板が醸し出す雑多な印象の街も、場所によっては魅力的なものになり得ますが、ブレーメンではやはりそこにも秩序を求めています。
屋上から看板が飛び出さないことや、袖看板を一ヶ所にまとめかつ落ち着いた色味を持たせること、強い点灯の照明や映像広告を出さないこと等が定められています。
とてもユニークなのは、飾り看板を推奨していることでしょうか。
さて最後に、こうした基準が、どうやって個々の建築行為の中に反映されていくかというメカニズムについて。
景観形成地区では、こうした基準を作り、運用していくための地元組織である「景観形成協議会」が設置されます。
ブレーメン通り都市景観形成地区では商店街事務所にその事務局が置かれていることから、商店街振興組合がまさにその協議会を担っているということでしょう。
一般に建築行為を行なう者は、「建築基準法をはじめとする法律適合チェック」である建築確認申請を行政に対して行なうことが義務づけられます。
さらに、この地区内ではその申請に加えて、申請前の「景観形成基準」に適合しているかのチェック、市との協議を行なうこととなります。
このパンフレットを見ると、その基準を直接運用するのは行政ということと読み取れますが、おそらくは必要に応じて、協議会が直接デザイン内容の協議を行なうということもあるのでしょう。
この協議を終えた後に初めて、法律に基づく建築確認申請という運びになるわけです。
これが、地元が制定したルールに基づく町並みが、実現されていく仕組みということになります。
さて、忘れてはならないのは、この「ブレーメン通り都市景観形成基準」は平成20年に制定されたばかりであるということ。
できたてです。
一方、建築物の代謝周期は数十年のスパンであり、この基準が直接的に反映されたであろう比較的新しい建物は、まだまだ数えるほどしか生まれてはいないでしょう。
街並みというものは1棟2棟の建物だけでは到底生まれるものではなく、何十棟もの建物によって形成されるものであるということは論を待ちません。
つまり、地元と行政の協働により制定された基準(おそらくこの制定の試み自体が汗と涙の結晶なのでしょうが)、これに基づく街が「できてきたな」と感じることができるのは、おそらく数十年は先のこととなるわけです。
そのくらい息の長い努力が必要となるわけです。
また、もともと環境衛生的な視点から生まれた用途地域の制度と異なり、建築物のデザインコードを定めるということは人間生存の最低条件ではありません。いわば奢侈品と言えます。
これまで地元の建築業者・工務店が無意識的なルール、明文化されていない理念を守ることで自然に形成されてきたのが風情ある町並みであるとするならば、景観基準を明文化させるということはそれを強制的に守らせ、型にはめた街を作るということを意味します。
それはおそらく日本的な五人組制度、隣組制度と類似しており、「異端を許さない」という村八分的な風潮の再来につながり得るということは忘れてはならないでしょう。
しかしそれも、地元の合意であるのならば、という思いもあります。
要はこうした景観形成の基準を決めることが、「こう」と決まったゴール(一定の景観を実現すること)を目指すことに目的を置かずに、取り組み・活動を通じて地域の方々のコモンズ意識の醸成や共通の景観意識の成熟に繋がっていくために、地元がたゆみなく努力を続けていくということが肝要なのではないかと思います。
魅力ある街というものは、ハリボテの外観だけでは形成されず、そこに住む方々によるソフト要素も大きいと信じているので。