過ごす時間の質という話。
時間はすべての人間が均等に過ごすもの。
客観的にはそれが当然だと理解できますが、言葉とは面白いもので、
"(時間を)無為に過ごす"
"充実した(時間を)過ごす"
に代表的なように、時間の過ごし方から得られるリターンについては明確な差を感じさせる語彙がいくつもあります。
学生時代はほとんど感じませんでしたが、社会人として働き出すと、過ごす時間に「オン」と「オフ」があるということを強く意識させられます。
オンはつまり労働時間中ということで、その時間の質が問われない、とまでは言いませんが、ある一定の流れやリズムを掴み、それに乗っていくことが時間の質を保つためのメルクマールとなります。
問題はオフタイムの時間で、この時間の過ごし方についてはまったく自由に個々人の嗜好にまかせることが許されます。
不法行為や道徳的価値観といった一定の制約要素はあるものの、それを逸脱しない範囲という制限を設定したところで個々人の時間の質を高めることにほとんど支障はありません。
そう、これが非常に厄介なのです。
束縛大好き人間であるということを自称したいのではなく、何が自分の過ごす時間の質を高めるのかということが決めきれていないのです。
なんだかなあ、という話。
話はとりあえずここで終わります。