【雑談】定年退職を勝手に想像してみる
昨日に続きエッセイです。
突然、父が定年退職してました。
いや、正確には月末までは会社に籍があり有給休暇の消化期間に突入したということですが。
まあそんなことは瑣末なので、もう定年退職したものだということで話を進めます。
建設会社で土木工事の施工管理をしていました。
工業高校を出てすぐ今の会社に就職して、今年64歳を迎えたわけなので、かれこれ46年を一組織に捧げたことになります。
ほぼ半世紀ですよ。
自分が生まれる20年近く前からずっと、乳飲み子だった時も、呑気に友達とゲームやボールで遊んでた時も、自分勝手な大学受験に大騒ぎした時もいつも。
ずっと一つの会社に勤めたという、途方も無い大河のような一本の線が、ここにきて終わったことになります。
率直に、どんな気持ちなんだろう。
単純な興味本位の一方で、その会社から支払われた給料によって我々家族は命を繋いできたわけなので、それ以上の感覚を抱きます。
長い間繋がれていた鎖が解けて、ようやく自由を手にした思いなのか。
それとも、長い勤続期間の中で仕事に対してやりがいや誇りを感じていなかったわけでもなく、それらから手を引かざるをえないことへの悔しさか。あるいは達成感か。
そもそも定年退職という社会的システムはどういう意図なのだろうとか勝手に想像してしまいます。
「加齢に伴う生産性低下による雇用終了」というお払い箱なのか、
「長い間の勤続に対するご褒美としての年金生活」という労いの制度なのか。
実際はどっちでもあるのでしょうが。
大家族の末弟だった父が自身の職業選択を語るとき、決まってこう言います。
「選択肢などなかった。経済的に大学進学はないから普通高校に行く発想はなく、工業高校に進んで何もわからないままその会社に入っただけ」
なるほど、これまで高校や予備校、大学で私が指導を受けてき恩師にはもちろん父と同世代もいましたが、輝かしい学歴を有している方ばかりでした。
そんな富裕層はあくまでほんの一握りだったのでしょう。
仕方ない選択だった、そもそも選択などできなかったと言って、その会社に対して愛着などは全く感じていなかったのが、父に対するイメージです。
でも、終身雇用が当たり前で転職などまるで一般的ではなかったからか、結果として父は一社のみで仕事人生を終えました。
土木工事の施工管理だったのでいつも現場で日焼けして、家では黙ってビールを飲んでいましたが、小さい頃は仕事の愚痴なんて聞いたことなかった。
転職もせず、愚痴も吐かず、それでも勤続した。
それはきっと偉大なことなのだと思います。
どうか今後は、自身一人の楽しい時間のためにお金と時間を使ってもらいたいと思いつつ。
昨日今日と”情報発信”ではない記事ですが、まあこういうのもありということで。