あたりまえの日常を支える工場 - 「町屋銀座まちづくり? 第20回」
街にどれだけの期間住んでも、一歩踏み入れてみないとわからないことはあまりに多い。
そもそもアパートの隣人や大家さんがどんな人なのかもわからないし、ましてやその地域で営まれているのがどんな産業なのかなんて、知る由もない。
考えてみれば、街の万人にとって開かれているのは飲食店や小売店くらいで、BtoBな感じの産業なんてまさかまさか。
うん、前振りが長くなりました。
なぜか一人で昭和22年開業のパン工場の見学しているという展開。。荒川製パンさん。 pic.twitter.com/aAAjjhF8H0
— こむば氏 (@KMB_Masa) 2016年12月2日
街の工場見学をさせてもらいました。
工場見学なんていつぶりだろ?
と思ったらそんなに遠い記憶でもなくて、大学のマニアックなゼミでDENSOの工場とポッカの工場見学したかなー。
しかしとはいえ、今回はまさかの単独での工場見学。
当然ながらそんなシチュエーションは、記憶にないわけです。
一人で工場見学したこと、あります?
「荒川製パン株式会社」にお邪魔させていただきました。
飛 び 込 み で 。。
町屋二丁目電停から南に広がる町屋銀座に入るとほどなく二叉路があるのですが、その分岐を右手に進んだ先にその工場はあります。
地図で言えばこちら。
さて、一応、工場見学をすることになった経緯を。
先週お邪魔したコリンcafeさんに12/2(金)も再びお邪魔して、世間話をしていたのです。
私の訪問とちょうどすれ違いで、荒川製パンさんのご家族が来店していたことを教えてくださり。
コリンcafeさん「パン工場興味あります?もしよかったら紹介しましょうか?」
自分『・・・ぜ、ぜひ!』
会話の5分後には、電話で3代目に連絡してくださり、
そのさらに5分後には工場の前にいました(実話)。
コリンcafeさん「(3代目に向かって)眠いところごめんね、あとはよろしくねー。では、私はお店に戻りますので」
自分『はひ』→工場見学start
やや戸惑う気持ちはありながらも、こんなに美味しいことがあろうかという気持ちがすぐ勝りますねー。笑
さて、簡単に「荒川製パン株式会社」さんのプロフィールを。
既にツイートで発言してましたが、こちらのパン工場、なんと終戦直後の昭和22年4月の創業。
戦時中、同建物で既に落下傘の製造を行っていたということで、単純に数えても築70年は超えていることになります。
パン工場ということですが、ヴィドフランスやリトルマーメイドのような当該店舗における小売のためのパン製造ではありません。
かつては小売もされていたのですが、現在は学校給食を中心とする卸し限定のパン製造所ということになります。
学校給食ということですが、荒川区はもちろん、文京区、豊島区、北区、台東区内の小中学校(公私立問わず)に納品されているとのこと。
担当の学校数、なんと68。
もちろん毎日すべての学校給食の献立にパンが入るわけではなく、多くても一校で週2回くらいの頻度のようです。
とはいえ、毎日何千という規模のパンを製作することになるというのは想像に絶しますね。。。
あと、驚いたんですが東京都の公立小中学校って学校単位で献立が組まれて、それぞれの学校毎に調理されるんですね。
蒲郡は給食センター方式だったので、運び込まれてくるものを給食室で受け取るだけだった。
さて、工場の中を拝見しましょう。
まずは工場の全体像を。
温かみのある木製床で、天井は白ペンキで塗られています。
もちろん古さというか、豊かな年季を感じます。
訪問時(金曜日の午後15時前後)は工場の仕事がひと段落した頃で、生産してる様子はありませんでした。
荒川区の小中学校から回収されたパン箱。
もちろんこれは氷山の一角。
学校給食のパンは当然ながら規格があるということで、種類ごとに材料の分量が示されたパンフレットを見せてくださいました。
全部で21種類もあり、珍しいものでは「パンプキンパン」「パインパン」「あしたばパン」なんてものも。
「あしたばパン」の明日葉は東京都八丈島産のもので、地産地消の取り組みなんだとか。
こねる機会です。
この中に小麦粉やら何やらの原材料を入れて、混ぜ合わせるもの。
これ一つで、約30kg袋の小麦粉が3つ分入るんだとか。
こねた生地を、左側の機械で一人分ずつの分量に分けて。。。
この中で寝かします。発酵かな?
機械の「ネカシ時間」の言葉が光る。
工場の中で一番古そうな機械、焼き釜です。
製造会社は現存しないそう。
こちらが原材料となる小麦粉です。
左側が、一般的な公立小中学校の給食に使われる輸入小麦粉。
右側が、私立などで使われる少し高価な国内産の小麦粉となります。内麦粉(ないばくこ)と言うそうです。
ちなみにもちろん、これだけはありません。
近くの倉庫にこれだけのストックが。
運営のお話も聞いてみました。
まず意外だったのがこの工場、家族だけで営まれているようです。
現在40代の三代目と、そのご両親である二代目ご夫婦。
三代目の祖父が昭和22年に創業され、以後三代に渡って家族で切り盛りをされています。
18歳でお店を手伝い始め、30歳でパンの製造に仕込みから参加。
しかし最初しばらくは納得のいくパンを作ることができず、ようやく40歳になった時に都内の学校給食のパンで一番の評価を得て、そこでようやく「そろそろ自分を認めてもいいかな」と思うようになりました。
壮絶なのは一週間の仕事のリズムです。
パン屋さんの一日は早いというイメージはもともとありますが、こちらの荒川製パンさんはAM2:00には仕込みを開始しているそう。
学校給食ということで、長期休み以外の平日は全て仕事。
さらに学校給食に加えて、少し前までは警察署内の留置所に卸すパン製造も受けていたそうで、なんとこちらは365日。。。!
かつては卸しとあわせて、街の人向けの小売もされていたということですが、警察署の仕事を並行している時に止むを得ず終了されました。
確かにお店の雰囲気も少しだけ残る一角があります。
今は物置かつ、食パンを切る機械がありました。
小学校は食パンの厚みが学年によって違うので、それにあわせて刃の間隔の異なる機会を使い分けています。
そんな、荒川製パン株式会社さん。
唐突ながら、見るもの全て新鮮で濃密な時間でした。
私が町屋に住んでいた時から、パン工場があることは知っていました。でも、中身がどうなっているのかはもちろん、果たして稼働しているのかどうかも知りませんでした。
でも、コリンcafeさんの粋なはからいと不思議な縁と、三代目のご厚意の結果。
見学の後、再びコリンcafeに三代目と戻り、町屋銀座を中心とした街の変化に関するお話を伺いました。
少し仲良くならせていただいたようで「引っ越すなら、釣り仲間の不動産屋紹介しましょうか?」と言ってくださり、1分後には電話してくださっていました。笑
「(電話相手に)友達がお世話になるかも」と話してくださっていて、なんとも嬉しい限り。
最後に、去り際のやりとり。
三代目「こんな汚いところでよければ、いつでもいらしてください。」
自分『え、え、本当ですかぜひ。次回は一人というのも何なので、ある程度まとまった人数でもよろしいですか。』
三代目「もちろん。ちょうどいま区内の中学校の勤労体験を受け入れてパンを作らせてもいるんですが、体験してもらってもよいかもしれません。」
。。。。おお!!
さて、次の手は?