公務員三回生中退の身から見た、「なぜ行政のフットワークは重いか?第1回 文書主義」
年度末の仕事ラッシュにさっそくロックオンされ始めた私です。
ちゃんと三連休したかった。。
さて本日は、特有の意思決定のメカニズムをはじめとした、行政組織の特殊性について書いてみたいと思います。
始めに立場を明確にしておくと、この発信を通じて行政組織を批判したいわけではなく、"良い付き合いのためには、まず相手を知ること"という考えに基づくものです。
行政組織、自治体、役所。
単に受益者として生活していれば、ほとんどこの存在を意識することはありません。
そんな方々にとって行政という存在を意識するのは、「税金("年金"に変換可)高ぇーよ!」とか、「お役所、安定ですね(皮肉」という場面くらいでしょう。
しかし最近、全国的に少しずつ増え始めたと感じる、提案や具体的行動によって社会制度にメスを入れようと考える方々にとって、行政組織というものの存在は身近になってきたのではないでしょうか。
もちろん、従来からある町会・自治会といった自治組織にとっても、行政組織は身近な存在であり続けます。
そんな方々は、行政組織特有のフットワークの重さや、融通のきかなさといった特性に対して、舌を巻く場面に直面することがあるかもしれません。
「どうしてこんなに有益な提案が、通らないのか?」
「気づけば役所のレールに乗ってしまっているのはなぜか?」
そんな体験は、そんな人達があらかじめが抱いていたネガティヴな役所イメージをいっそう助長し、さらなる悪循環や敵対意識を生んでしまっているかもしれません。
私が役所内で働いた体験を通じてみても、確かに役所は独特の意思決定手続きや価値観を有しており、"全体の奉仕者"という言葉からイメージされるような、あまねく住民を救う存在ではないと実感することがありました。
今日はその、「なぜ役所はそうなのか?」ということを、実体験からわかる範囲で書いてみます。
短い経験ではありますが、少しは役に立てたり、面白いことが書けるのではないかと思っています。
第1回
こんな現象が"役所的"
誰しもが、戸籍や税金関係の手続きで、市役所の窓口に行かれた経験はあると思います。
その際に、こんなことはなかったでしょうか。
職員「その件については○○課の担当となっておりますので。。」
もしくは、行政主催の説明会などの場面で。
説明会の意図とは異なるけども、確かにまちづくりであり、行政が所管するテーマに関する意見が出されたのに対して。
職員「その件については、所管の○○課に伝えておきます。。」
住民にとってはすべて同じ役所であり、共通ではないかと思ってしまう場面。
だから、ある行政職員に伝えた意見や陳情が、直ちに行政組織全体に伝わったようにとらえてしまいがちです。
しかし悲しいかな、行政組織は一枚岩ではないのです。
行政はあまりにタテ割り的である上に、不測の横の連携は避けるようなふるまいをしがちなのです。
文書主義・規則主義が生むタテ割り行政
前述のようなタテ割りの弊害が、なぜ起こるのか。
それは役所の最大の特徴の一つである文書主義の枝葉の一つです。
役所の仕事は基本的に、決められた規則類に従わなければなりません。
その規則類を例規といい、規程→規則→条例の順に扱いが重くなります。
ちなみに最も重い条例は議会での可決を要するもので、"自治体の法律"とも呼ばれます。
例えば役所のタテ割り主義もこの文書主義に基づくもので、「事務分掌規則」(名称は自治体による)に定められています。
参考に、横浜市のものを示しておきます。
これは局課までを定めたものですが、より下位の規程にて、課に属する係の単位まで仕事内容が決められています。
おそらく、係によって仕事が規定されるというこの傾向自体は一般企業にもあるのでしょうが、行政組織はきわめて露骨なのです。
その一例は、日付主義。
請負人や受託者の身分になると、役所に様々な文書を提出する必要が生じます。
それらの文書には当然日付の記入欄があるわけですが、ここを空欄にしておくことが行政担当者にとってどれだけありがたいことか。
例えば工事における、工程表。
横浜市の工事請負契約約款では、契約後7日以内に監督に提出することが決められています。
しかし、実際は契約を司る部門と工事監督を司る部門が異なる上に、審査・契約書作成等の手続きに一定の時間を要することから、契約日から一週間以上経った後にようやく担当課と工事請負人が顔を合わせるということが珍しくありません。
正直な感覚で工程表を提出するのであれば、提出は契約よりも10日程度後の日付となるはずですが、それでは約款に反することになってしまいます。
行政担当者にとって、それはリスクです。
業務書類は決められた保存期間保管する必要がある上に、"規則に従って職務を執行しているか"をチェックする仕組みである監査の目もあるので、日付程度でリスクを被ることはつまらないのです。
また、請求書の請求日も同様です。
工事では、請負人が監督に工事の完成を通知した後、14日以内に検査合格を告げられれば、代金の請求債権が発生します。
それを受けて、行政は請求日から40日以内(横浜市では20日以内、前払金は14日以内)に実際に支払う義務があります。
しかし実際は、行政の支払い事務は日付が決められており(金額によっては1.5回/月程度)、正直な請求日から数えて適切な日数以内に支払日がないことも現実にあり得ます。
ゆえに、ここでの正解はいずれも、日付を空欄にして提出することなのです。
実際に今の業務においても、「あ、日付はこちらで入れますのでー」というやりとりが日常茶飯事です。
慣れればなんてことはないのですが、気持ち悪いのが、実務上やむをえないこの事前日付調整・内部記入といった手続きに対して、行政の出納部局は"好ましくないこと"としていることです。
どちらも規則主義・文書主義を守った結果ではあるのですが、ひずみとしてこのようなねじれ現象も起こってしまうのです。
予算主義・計画行政は、柔軟な庁内連携に不向き
予算主義ということも、行政組織特有の価値観ではないでしょうか。
役所では、年度ごとに使うお金の予定を予算、会計の結果を決算として、議会の承認を受けなければなりません。
極端な話、予算未決の状態で年度が開始されてしまうと、行政組織は仕事ができないのです。
ゆえに毎年度、万全の状態でつつがなく予算通過をさせるため、説明文書の作成に勤しみます。
それが、事業計画書と呼ばれるものです。
これは、行政組織が事業別に予算要求をする際に添付する参考資料です。
なぜこの事業にお金が必要なのか?
年次計画はどうなっているのか?
といったことが記述され、予算議会における資料にもなります。
公開版には金額に関する内容は黒塗りされ、合計金額しか表には出ませんが。
こうした資料を、基本的には課単位で作成します。
そう、課の仕事は、その課で完結的に決定しまうのです。
「うちらが来年度やる仕事はこれです」という、一種の宣言です。
これが、行政組織が持つ第二の特徴、横連携のしにくさにつながってくるのです。
事業計画書のくだりからは、課の独立性が過剰に高いことが言えます。
年間の業務計画や意思決定を課単位で立案→決定してしまうことから、柔軟な庁内他課との連携がしにくいという構造的な特性があります。
もう少し補足しましょう。
わかりやすくするために、X市という自治体にA課とB課があり、このA課・B課が連携することで、今よりも有益で斬新な事業ができるのではないかという提案が、市民からA課に対してなされたとします。
ここで、100歩譲って、A課は偶然手も空いており、提案事業に着手するのに特別な予算を必要としない上に、気概ある職員が"この事業は是非やろう"となったとしましょう。ここまででかなりの奇跡を必要としているわけですが。。
でも、それによってB課の仕事も増えてしまうのであれば、A課は手を出せないのです。
ここで、A課とB課が話し合うこと(=調整)が必要となります。
でも、当初の計画になく、新たに手間が増えるのみの仕事を受け入れるかどうかは、担当課の良心に委ねられています。
B課がNOと言えば実現されないわけですが、YESという可能性はきわめて低いものでしょう。
別にその課にとって、やらなくてもよいのだから。
残業時間を課単位で抑えるようなプレッシャーがあったり、新たに手間をとるという選択肢をすることは考えにくいのです。
「今後実施可能性について検討を行なっていく」とか、「当初計画になく不公平性の問題があるため、着手は困難である」といった言葉でお茶を濁すことになるでしょう。
そんなことから、柔軟な庁内連携というものに対しては及び腰なのです。
またそれゆえに、例外的に実現した"庁内連携"を過剰にPRする傾向もあります。
連携は手段でしかないのに。
※もちろん、意識ある重役の肝入りで進められるような、トップダウン的な連携はありえます。
以上、役所のタテ割り主義と横連携の難しさについて書いてみました。
第2回では「議会答弁・広聴と決裁主義」「あえて"レールに乗ってやる"」をテーマに書いてみます。