よんむつのいる京島に再訪して、腱鞘炎になった話。
住居表示により町の線引きが変わっても、土着の信仰心まで機械的に線引きされることはありません。
町会や氏神信仰の範囲はそのままであることが多く、ある町丁目の一部だけ信仰する氏神が違ったり、区界を跨いだ氏子組織が存在したりします。
ここ墨田区京島も、そんな場所の一つ。
現在の地名は墨田区京島ですが、旧地名である寺島四丁目地区という単位で、氏神様"高木神社"のもとに集まる四丁目睦会(よんちょうめむつみかい)、通称よんむつと呼ばれる方々がいます。
(四丁目睦HPより)
7ヶ月前、高木神社の例大祭にて、お神輿担ぎのお手伝いをさせていただいたことがありました。
縁もゆかりもない地域に突然お邪魔させていただき、貸し半纏に腕を通し、助っ人余所者として神輿を担いだのは、去年の6月のことでした。
なぜそんなことが実現したのか?
何を隠そう、若者とお祭りを繋ぐマツリテーターである、一般社団法人マツリズムさんのお陰です。
今回もマツリズムさんの紹介で、例大祭のスピンオフ的な催しにお呼ばれしてきました。
それは、餅つき大会でした。
京島南町会餅つき大会
餅つきと言えば実家では12月30日のイメージでしたが、新年明けてからやることもあるんですね。
今回は1月8日でした。
この餅つき大会、正式にはよんむつの主催というわけではなく、あくまで京島南町会の町会イベントという位置づけ。
ただ実際の構成員はほとんど重なっているので、そのへんの区別は関係ない感じでした。
しかも餅つきだけではなく、消防訓練や地元消防の出初式というコンテンツも同時開催。
学校とか商業施設でなく、言ってみれば単なる道端に人が集まってくる光景は、なんだか久しぶりな感覚でした。
でも、ちびっこはいても若い人はいないんだよな。。。
そして肝心のお餅つき。
父親の実家では昔、12月30日に親戚が集って餅をつく習慣が残っていました。
親戚には好きな人も苦手な人もいたけれど、そこで育てられたのも事実なので、今では貴重な習慣だったのだなと感じます。
そんなわけで、臼や杵、せいろなどは小さい頃から見慣れていたはずなのですが、祖母が亡くなったことで集まる習慣も途絶え、目にしなくなって久しくなってました。
だからこんなのも、久しぶり。
久しぶりの餅つきは、感覚をすっかり忘れてハラハラしたり、杵の重さに腱鞘炎になったりしましたが、とても刺激的でした。
神輿の時のように、知らない地域のために貢献しているという感覚ではなく、純粋に個人として楽しかった。
ともに汗を流しながら、年齢にしてダブルスコア以上な方々とのコミュニケーションがきっと嬉しかったのだろうなー。
朝8:30から開始した餅つきも、12:30を過ぎる頃には既に苦行に。
それでも、終了後の宴でのビールや、つきたてのお餅は美味でした。
で、地域は誰が担うの?
やっぱり今回もモヤモヤはありました。
それは、我々がいなかったら餅つきはどうなってたの?ということ。
今回マツリズムを介して餅つき大会に参加したのは、20代〜30代の紛れもなく若者8人でした。
これは驕りなのでしょうが、餅つきについてはほとんど初心者ではあったものの、きちんと労働力として貢献できた自負はありますし、掛け声などで絶え間なく活気づけたりもしていました。
そんな我々が、いなかった場合のことを考える。
お餅をつまみ食いに来る小学生はいても、実際に餅のつき手となる、生産年齢の方々は面白いほどにいませんでした。
この地区では、70代でも力強そうな方々はいますが、それでも人数的な限界はあります。
この現状を取り上げて、地縁コミュニティの持続可能性を懸念するのは容易なこと。
よんむつのような"地域の担い手"と、地域を志向しない"地域の傍観者"とのマッチングは難しいのです。
でもそれが時代の流れであれば、それも仕方なかろうと思います。
ただ、マツリズムのように、"地域の担い手"と"地域の傍観者"をつなげることがエンタメになるのであれば、マツリズムのような取り組みの意義は大きいと思うのです。
"地域の傍観者"が、地縁という世界への入門方法をただ知らないだけなのであれば、そこをつなげてあげればよい。
やや煽りな章題でしたが、もはや地域の担い手は誰でもよいのかもしれません。
はい、そんなマツリズムが、次のお祭りを用意していますよ。(宣伝)
Ma-tourism in Oshu 2017(黒石寺蘇民祭)