no pleasure, no life(旧ブログ名:まちづくり、例えばこんなふうに)

意固地になるほどに"まちづくり"が気になって仕方ない。自分の関わったまちづくりの活動・調査の記録を中心にしつつ、"都市""街の変化"の話題など。 Keyword→まちづくり/都市計画/荒川区町屋/蒲郡/豊橋/三河/谷中

よんむつのいる京島に再訪して、腱鞘炎になった話。

phantom-gon.hatenadiary.com

  

住居表示により町の線引きが変わっても、土着の信仰心まで機械的に線引きされることはありません。

町会や氏神信仰の範囲はそのままであることが多く、ある町丁目の一部だけ信仰する氏神が違ったり、区界を跨いだ氏子組織が存在したりします。

 

ここ墨田区京島も、そんな場所の一つ。

現在の地名は墨田区京島ですが、旧地名である寺島四丁目地区という単位で、氏神様"高木神社"のもとに集まる四丁目睦会(よんちょうめむつみかい)、通称よんむつと呼ばれる方々がいます。

 

f:id:phantom_gon:20170111134829p:image

四丁目睦HPより)

 

7ヶ月前、高木神社の例大祭にて、お神輿担ぎのお手伝いをさせていただいたことがありました。
縁もゆかりもない地域に突然お邪魔させていただき、貸し半纏に腕を通し、助っ人余所者として神輿を担いだのは、去年の6月のことでした。

 

なぜそんなことが実現したのか?

何を隠そう、若者とお祭りを繋ぐマツリテーターである、一般社団法人マツリズムさんのお陰です。

 

ma-tourism.strikingly.com

 

今回もマツリズムさんの紹介で、例大祭のスピンオフ的な催しにお呼ばれしてきました。

それは、餅つき大会でした。

 

 

京島南町会餅つき大会

 

餅つきと言えば実家では12月30日のイメージでしたが、新年明けてからやることもあるんですね。

今回は1月8日でした。

 

この餅つき大会、正式にはよんむつの主催というわけではなく、あくまで京島南町会の町会イベントという位置づけ。

ただ実際の構成員はほとんど重なっているので、そのへんの区別は関係ない感じでした。

しかも餅つきだけではなく、消防訓練や地元消防の出初式というコンテンツも同時開催。

 

学校とか商業施設でなく、言ってみれば単なる道端に人が集まってくる光景は、なんだか久しぶりな感覚でした。

でも、ちびっこはいても若い人はいないんだよな。。。

 

 

f:id:phantom_gon:20170111165040j:image

f:id:phantom_gon:20170111165027j:image

 

そして肝心のお餅つき。

 

父親の実家では昔、12月30日に親戚が集って餅をつく習慣が残っていました。

親戚には好きな人も苦手な人もいたけれど、そこで育てられたのも事実なので、今では貴重な習慣だったのだなと感じます。

 

そんなわけで、臼や杵、せいろなどは小さい頃から見慣れていたはずなのですが、祖母が亡くなったことで集まる習慣も途絶え、目にしなくなって久しくなってました。

だからこんなのも、久しぶり。

 

 f:id:phantom_gon:20170111233434j:image

f:id:phantom_gon:20170111225638j:image

 

久しぶりの餅つきは、感覚をすっかり忘れてハラハラしたり、杵の重さに腱鞘炎になったりしましたが、とても刺激的でした。

神輿の時のように、知らない地域のために貢献しているという感覚ではなく、純粋に個人として楽しかった。

ともに汗を流しながら、年齢にしてダブルスコア以上な方々とのコミュニケーションがきっと嬉しかったのだろうなー。

 

朝8:30から開始した餅つきも、12:30を過ぎる頃には既に苦行に。

それでも、終了後の宴でのビールや、つきたてのお餅は美味でした。

 

 

で、地域は誰が担うの?

 

やっぱり今回もモヤモヤはありました。

それは、我々がいなかったら餅つきはどうなってたの?ということ。

 

今回マツリズムを介して餅つき大会に参加したのは、20代〜30代の紛れもなく若者8人でした。

これは驕りなのでしょうが、餅つきについてはほとんど初心者ではあったものの、きちんと労働力として貢献できた自負はありますし、掛け声などで絶え間なく活気づけたりもしていました。

 

そんな我々が、いなかった場合のことを考える。

 

お餅をつまみ食いに来る小学生はいても、実際に餅のつき手となる、生産年齢の方々は面白いほどにいませんでした。

この地区では、70代でも力強そうな方々はいますが、それでも人数的な限界はあります。

 

この現状を取り上げて、地縁コミュニティの持続可能性を懸念するのは容易なこと。

よんむつのような"地域の担い手"と、地域を志向しない"地域の傍観者"とのマッチングは難しいのです。

 

でもそれが時代の流れであれば、それも仕方なかろうと思います。

 

ただ、マツリズムのように、"地域の担い手"と"地域の傍観者"をつなげることがエンタメになるのであれば、マツリズムのような取り組みの意義は大きいと思うのです。

"地域の傍観者"が、地縁という世界への入門方法をただ知らないだけなのであれば、そこをつなげてあげればよい。

 

 

やや煽りな章題でしたが、もはや地域の担い手は誰でもよいのかもしれません。

 

 

はい、そんなマツリズムが、次のお祭りを用意していますよ。(宣伝)

 

Ma-tourism in Oshu 2017(黒石寺蘇民祭)

 

Ma-tourism in Oshu 2017