no pleasure, no life(旧ブログ名:まちづくり、例えばこんなふうに)

意固地になるほどに"まちづくり"が気になって仕方ない。自分の関わったまちづくりの活動・調査の記録を中心にしつつ、"都市""街の変化"の話題など。 Keyword→まちづくり/都市計画/荒川区町屋/蒲郡/豊橋/三河/谷中

【雑談】長浜曳山まつり(滋賀県長浜市)の”子ども歌舞伎”という文化継承

滋賀県長浜市から近江八幡市の間をふらふらしてきました。

愛知県生まれの私としてもこのエリアというのは大変失礼ながらノーマークで、京都に向かう時に通過する場所としてしか認識していませんでした。

聞いたことがあるかどうかで言えば、近江八幡市についてはたまたま前職の同期が出身だったために認知していたものの、長浜市については”えっと、長浜市ラーメンのところ?”と誤解していたレベルです。

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今回特に長浜市を歩いてみて、中心市街地に「曳山博物館」なる施設を見つけたので、偶然入ってみたのです。

それが大当たりでした。

なぜかと言えば、「長浜曳山まつりという、これまた強烈なお祭りの存在を知ることができ、博物館のスタッフの方を質問攻めにして盛り上がり、興奮冷めやらぬままホテルのロビーでこれを書き始めたというのがここまでのあらすじです。

 

 

長浜市ってこんなところ

長浜市があるのは滋賀県です。

県の中心にある琵琶湖の北東に位置しており、首都圏から向かう際は新幹線で米原から乗り換えるルートとなります。

長浜市

 

歴史的には、16世紀にかの豊臣秀吉が初めて城を構えたのがこの地にある長浜城(もちろん現存せず)で、この時に作られた城下町が現在のまちの骨格をつくっています。

地名はもともとは”今浜”だったのが、秀吉が織田信長の「長」をとって”長浜”に改称したとされています。

長浜城歴史博物館

 

まちづくり的には、何をおいても黒壁スクエアでしょう。

黒壁スクエアとは、長浜の中心市街地にある四角形(スクエア)のエリアで、そこには伝統的な町家型の建築物が今も活用され、歩いて楽しい街並みを形成しています。

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(黒壁スクエアにある黒壁一号館。もとは銀行だった)

 

モータリゼーションの波に飲まれ、中心市街地が衰退していたところ、地元の意識ある活動家達が立ち上がってまちづくりに取り組みました。

その成果がいくつかの団体「株式会社黒壁(第3セクター)」「NPO法人まちづくり役場」で、近年でも「長浜まちづくり株式会社」がTMOとして発足しています。

黒壁 - 滋賀県長浜市 ガラスの街「黒壁スクエア」 

長浜まちづくり株式会社

 

「長浜曳山まつり

そしてこの地に古くから伝わるお祭りが、毎年4月中旬に開催される「長浜曳山まつり」というわけです。

起源とされるのは、これまた16世紀。

豊臣(当時はまだ羽柴)秀吉に初めての子が生まれた際に、秀吉が城下に振る舞った砂金で町民が山車(やま)を作りました。

長浜八幡宮の祭礼に合わせてこれら山車を曳き回したことが始まりだとされています。

 

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(曳山が保管される蔵)

 

お祭りの基本的なところ

お祭りの正確な情報については、公式サイトであるこちらが詳しいです。

長浜市曳山博物館 長浜曳山まつりの一週間

 

ご存知の方にとっては当たり前ですが、お祭は神輿を担いでお酒を飲んで騒ぐということ自体が目的というわけではありません。

日本の神社神道の総元締めである神社本庁では、以下のように説明されています。

神様に神饌を捧げることでしてご接待を行い、神様に喜んでいただき、祝詞を奏上することで神様のご神徳をいただいて、皇室を始め天下、地域の安寧と発展、さらには願い事をする氏子崇敬者の繁栄をいのるものなのです。

神社本庁公式サイトより)

神様に喜んでいただく手段が各地によって異なり、その違いが地域ごとの味となっているのかなと感じています。

 

そしてここ「長浜曳山まつり」では、12基の曳山とその上で演じられる「子ども歌舞伎」によって、神様を接待するというわけです。

 

「子ども歌舞伎」

長浜曳山まつり最大の見せ場は、なんといってもこの「子ども歌舞伎」です。

巨大な曳山の上で、年端もゆかぬ子ども達が歌舞伎を演じるのです。

youtu.be

でも、本格的。

 

この「子ども歌舞伎」について、もう少し詳しく見てみましょう。

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(曳山博物館公式サイトより。長浜市内における山組の分布)

 

氏子区域内には上図のように12基の曳山(及び特殊な位置付けの長刀山)があり、それぞれを管理する町を山組と呼びます。

が、毎年毎年12基全ての曳山を出すということはなく、毎年のお祭りではそのうち4基ずつが出されます。

 

その年に曳山を出す4つの山組町内では、歌舞伎に出演する役者を、その山組の町内に住む6歳から12歳くらいまでの男の子から指名します。

指名の結果はあくまでその男児の親に対して伝えられ、子どもさん本人に拒否権はありません。

基本的に指名された家庭では喜んで受ける風習となっているようですが、やはりはじめは嫌々稽古に行くということも珍しくないようです。

 

そこからたった三週間、役者である男児達の稽古が進められます。

あくまで素人の子ども達を、三週間の稽古でモノにさせるわけです。

そしてこの3週間で子ども達は驚異的な成長を見せ、本番を迎えることになるのです。

 

この間の経験は、幼い子どもにとってもやはり強烈なもののようで、

この経験を経て役者を志す者や、地域に残り、自分の子どもを「子ども歌舞伎」に出そうとする者が現れてくるようです。

結果、親子二代にわたって「子ども歌舞伎」に出演するケースも。

 

補足的に公式サイトにおける「子ども歌舞伎」に関する説明も載せてみますね。

長浜では歌舞伎のことを「狂言」または「芸」と呼び、曳山を持つ町(山組)の5歳から12歳くらいまでの男子によって演じられます。演目は曳山の四畳半舞台と子ども役者用にアレンジされます。また、毎年新しい演目で演じられ、長浜独自の外題(題名)がつけられます。上演時間は約40分で、本番の前に行われる線香番と呼ばれる公開稽古で時間が計られます。子どもたちの稽古は振付師の指導により、3月下旬(春休み)から4月の祭本日まで約3週間行われ、まず読み習いがあり、それに続いて立ち稽古を行い、最終的に三味線・太夫と合わせて本番を迎えます。

(曳山博物館公式サイトより) 

 

おわりに

こちらのお祭りは、たまたまかもしれませんが、お祭りの形は戦後からほとんど変わっていないということです。

年に4基ずつ曳山を出すという形式は昭和25年頃から既に確立されており、以降も町内の人間のみで祭礼の催行に必要人員を調達できているのです。

 

こちらはマツリズムが介入できうるようなお祭りとはやや違う気がします。

あくまで地域の人間(子ども役者、若年寄など)によって祭は執り行われ、そこには一切の外部投入がないように見えるのです。

※歌舞伎の指導はさすがに外部有識者を招聘します

 

以前ご紹介した小浜紋付祭と何が異なるのか。

このあたりを読み解いて行くのも面白いし意義があるような気がしますね。