「サヨナラ、たまプラーザ」その1
※本日はポエムにてお送りします
たまプラーザへ転居してちょうど2年が経とうとしている。
転居理由は、それまで大学時代の友人と取り組んでいたシェア暮らしが解消されたこと。
社会人生活の開始と共に、元住吉徒歩30分超の2LDKでのルームシェア生活をしていたわけですが、相手が1年間で会社を辞めて大学院に戻ることなった。
それに伴い、また単身に戻らざるをえなくなったというわけだ。
なぜ「たまプラーザ」だったのかを振り返ると、色々な理由があった。
当時の勤務地の最寄りである市営地下鉄「高島町」へのアクセスを考慮しつつも、それほど職住近接をしたいとは思っていなかったので、市営地下鉄沿線に住もうとはもともと思っていなかった。
むしろ友人の多い東京都内へのアクセスのほうを優先し、それならば東急線だろうなと薄々考えていた。
その中でもたまプラーザを選択した大きな理由はこれであった。
横浜市と東急電鉄が進めている、まちづくりのパイロットプロジェクトの舞台だったのだ。
このプロジェクトは大学院時代の指導教員も参加しており、もしかしたら自分も仕事ではないところで、地域の方々と一緒に”まちづくり”に参加できるのではないかという下心があった。
振り返ると、それに関する記事も書いていた。
もともと学生時代から、単身者ながら、住む街にコミットしながら暮らしたいという野望というか執念を抱えており、大なり小なり何かのアクションを起こしながら街に過ごしていた。
たまプラーザであれば、指導教員の縁もあり、何か街に関わる糸口が見つかるかもしれないと考えたのだ。
しかし、たまプラーザに住んでいても、そのまちづくりの動きが一向にわからない。
実は大学院在学時代に、ここの計画づくりのワークショップ、つまりは初動期に立ち会ったことがあったのだが、そこから派生した具体のまちづくりの動きが街中で展開しているのかと思っていた。
にも関わらず、この2年間のたまプラーザ生活の中で「次世代郊外まちづくり」を意識したのは、駅のホーム壁に掲示されたポスターを通じてのみであった。
リーディングプロジェクトとやらの名称と説明だけが並ぶものの、最も重要である、そこにいかにして参画できるのかというヒントはなかった。
公式サイトにも、イベントレポートが並ぶばかりだった。
もちろん、死ぬ気で探せば糸口は見つけられたのかもしれない。
しかしまあ結果として、たまプラーザの街に住んでまちづくりに参加するということはできなかった。
"まちづくり"を自治会活動に置き換えたこともあった。
居住地周辺の自治会に入会して自治会費を収めるというところまでは試みた。
しかし平日はすべて街にいないようなサラリーマンにとって、地域活動はやはり限界があった。
自分にとってのたまプラーザの街を、"まちづくり"の眼鏡を外して見ると、驚くほど何もない街であるということを苦痛に感じてきた。
確かに、たまプラーザテラス(東急百貨店含む)、イトーヨーカドーという2大消費拠点を擁する街ではある。
そうしたスポットでは、毎週末若いファミリーな幸せな姿を見ることができたが、その波の中を単身で胸を張って歩ける自信はなかった。
要は、たまプラーザが"子育ての街"であろうとしすぎて、それ以外の層を受け入れる気概、事実、居場所がなかった。
さらに、駅から離れた箇所には小規模な商店街が存在するのみで、開拓余地を感じさせる街の"官能性"のようなものは感じることができなかった。
もちろんここには、自分の開拓精神の不足も大いにあったわけだが、もうその時点ではそんな気は失せていた。
たまプラーザに愛着を持てる心の余裕は、どんどんやせ細っていった。
たまプラーザの街は、単身者にとって何の刺激もない住宅地であると、やや荒んだ気持ちが現れてきた。
(その2へ続く)