「サヨナラ、たまプラーザ」その2
たまプラーザの街への別れの挨拶、後編です。
たまプラーザの街は、盲目な自分にとって何の刺激も感じることができない場所だと思い込み始めた。
それどころか、安価な食事のための牛丼チェーンもないし、リーズナブルな定食屋さんもないし、ディスカウントショップもないし、もはや単身男性は街に受け入れられていないのではないかと、被害妄想を逞しくさせた。
"地域で暮らすことを渇望する自分"が、実は地域に受け入れられていないということは、言葉以上にショックな事態であった。
考えの偏った私は、この街に居続けることは時間の浪費だと考え始めた。
そして、自ら変化を起こすことを試みた。
それがこの一連の活動である。
荒川区町屋。
たまプラーザから電車で1時間以上もかかるこの街に足繁く通い、調査の真似事を始めたのである。
何のことはない、現実に満たされない自分は、欲求を他所で実現させようとしたのだ。
町屋は学部生活の後半を過ごした街であり、これまでに住んだ街の中でも満足度がかなり高かった街であるが、ここでも欲求不満を経験していた。
当時は単身生活に寂しさを感じ始めた時期であり、地域へのつながりを求めて(当時にしては)様々なことを試みていたのである。
賃貸住宅において通常はマストでない町会への加入、近所でのラジオ体操通い、餅つき大会への出席、地域のサークル入会、など。
しかし悉く、中途半端に終わってしまったのだ。
そんな経緯による執着が、再び町屋にこだわらせ始めた。
「次は町屋に住もう。そして、住む前からソーシャルキャピタルを形成しておこう」と心に決め、その準備を始めたのである。
また、ほぼ時を同じくして、転職の動きをしていた。
地方公務員として自治体のために働くという生き方に疑問を抱き始めた時期であり、専門性を高めるための転職を志した。
そして、都内の事務所に就職することとなったのである。
これにより、"次は町屋に住む"という信念は固まった。
ここから町屋での活動を加速させた結果、現在までに多くのかけがえのない出会いを経験したのである。
いま、7月下旬の町屋再入国がほぼ決まった。
今度の町屋生活は、これまでのどんな地域における生活とも異なる予感がある。
例えば地域の人の繋がり。
基本的に自分の年齢の2倍以上の方ばかりであるが、街について議論を重ね、町会から社会を良くしていこうとスクラムを組んでいるチームがある。
地道に地道に、少しずつ町会をカスタマイズしていく仕掛けを入れようとしている。
また、町屋を盛り上げる活動拠点。
とあるテレビ番組から始まった、強烈な存在感の会社との出会いは、町屋を舞台にした"オモシロい連鎖"を生むためのプロジェクトに派生しようとしている。
地域のつながりと、活動拠点が確保された状態での町屋再入国を予定しているのである。
これはもう、毎日が刺激と興奮に満ちたものになるとしか想像できない。
たまプラーザでの2年間はとても退屈なものであったが、だからこそ町屋での代償という奇妙な取り組みが成果を出し始めたとも言える。
あいにく、この街への愛着というものは結局持てることはできなかったが。