no pleasure, no life(旧ブログ名:まちづくり、例えばこんなふうに)

意固地になるほどに"まちづくり"が気になって仕方ない。自分の関わったまちづくりの活動・調査の記録を中心にしつつ、"都市""街の変化"の話題など。 Keyword→まちづくり/都市計画/荒川区町屋/蒲郡/豊橋/三河/谷中

酒と半纏と肩の痛みと、あと酒と。正式な氏子として天王祭に初参加した話。

都電バルや家劇場のことを書いてたら、肝心の天王祭のことを書き残していませんでした。

今年の天王祭は三年に一度の本祭りだったのですが、それとは関係ないところで、私にとって特別な位置付けのイベントとなったのでした。

忘れぬうちに、そのへんのところを書いてみたいと思います。

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(町屋地区の中でもけっこう美しいと思う二仲町会神輿)

区民・氏子として初の祭礼

昨年に続き、今年も天王祭に参加して地元の御輿を担ぎ、地元を存分に感じてきました。

住所から決まる私の本来的な町会は、「町屋四丁目実揚町会」(みあがり、と読む)なのですが、いろいろなご縁で、お隣である「町屋二丁目仲町会」(二仲)の一員とさせていただいています。

 

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(お祭りの終わり際に偶然見かけた実揚町会の神輿)

 

※ちなみにどこの町会がどのエリアなのかという範囲はとてもわかりにくいのですが、荒川区の防災地図が参考になります

https://www.city.arakawa.tokyo.jp/kurashi/bosaibohan/sonae/bosaimap.files/bousaitizuzenikiomote.pdf

二仲の紫半纏は目の覚めるような鮮やかさで、袖に腕を通すことがなんとも誇らしい。

御神輿の、黄金で優美な意匠も好み。

そんな感覚もあり、私にとってすっかり"ここが自分のまち"なんだと思えるようになってきた気がします。 

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さて、そういえば私が荒川区へ転居してきたのは昨年の7月なので、そこから考えると初めての氏子としての天王祭だったということになります。

昨年は横浜市民として、フライング的に天王様の氏子体験をさせていただいたのでした。

phantom-gon.hatenadiary.com

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本祭ではあったけども

聞き飽きたかと思いますが、今年の天王祭は、三年に一度の本祭、本祭りでした。

本祭ではない、他の二年間の祭礼は、陰祭と呼ばれます。

これら何が違うかと言えば、天王様たる素盞雄神社本社神輿の有無です。

町会神輿とは異なる、やや大きな神輿が出されます。

 

一方の陰祭では本社神輿が出ずに、天王様の氏子61町会それぞれの神輿が、基本的にそれぞれの町内巡行(町内会の中でまわるだけ)を行うのみとなっています。

二日間の中で一度だけ、各町会の神輿が一挙に揃う連合渡御というものがあり、そこが観光的な目玉になります。(人によっては連合渡御のほうが好きという声もあるようdすが)

本祭ではこの連合渡御がなく、かわりに巨大な本社神輿の渡御があるという仕組みのようです。

 

本社神輿は、荒川区内を二日間かけて大移動します。

土曜日の朝に素盞雄神社から宮出しされ、南千住連合による渡御→三河島連合による渡御→町屋連合による渡御となり、17:00頃に町屋の原稲荷神社に宮入りし、特設された御旅所で一晩を過ごします。

http://www.susanoo.or.jp/pdf/h30_route.pdf

お天王様ありきの祭りスケジュール

そんなわけで本祭だったので、お祭りのスケジュールも、本社神輿渡御を中心に組まれます。

何が言いたいかと言えば、町内巡行のウェイトがかなり小さいのです。。。

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(南千住連合による本社神輿渡御)


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三河島連合による本社神輿渡御)

 

こんな感じの、本社神輿の巡行が大半だったのですね。

例えば記憶を辿ると、町屋地区連合で言えば、

 

1日目は早朝から素盞雄神社で宮出し

南千住にある神社なのですが、何の言われか、町屋地区の氏子達が本社神輿を宮出しすることになっているらしいのです。

その後は南千住地区・三河島地区連合がそれぞれ本社神輿を担いだのちに、15時頃から町屋地区連合が荒木田交差点から本社神輿巡行して、18時に原稲荷神社へ宮入り。

町会神輿は、ようやく18、19時頃から巡行を開始。遅い。

1時間くらい町内巡行した後、終わってしまいました。。

 

2日目も、町内神輿が出るのは13時からの1度のみ。

 

本社神輿と同じ時間帯には基本的に町内神輿の出番はないので、どうも出番の少ないお祭りでした。

本社神輿を担ぐには、専用の羽織("白鳥"と呼ばれているもので、上の写真の白い衣装)を着用せねばならず、それを借りるには町内貸半纏とは異なる手続きが必要だったらしいのです。

そんなことまったく知らずな私は、完全に2日間手持ち無沙汰だったのでした。。。笑

 

貸半纏の効果

三年に一度の本祭でしたが、本社神輿を担ぐことは叶いませんでした。

しかし、少なくとも貸半纏さえ着ていれば、町会の人間として見てもらえるようです。

町内神輿の巡行のために、今年も昨年と同様、相互協力の関係にある他地区の氏子(違う神社)に協力依頼をしていたようですが、あくまで町会半纏・紫半纏が神輿の内側、他地区の人間が神輿の外側という不文律があったようです。

知らずに神輿の外側を担ごうとしていると、彼らが「町会さんは内側に入ってください」と言ってくれたのでした。

 

酒、酒、酒。酒三昧。

お祭り中はひたすらお酒でした。 

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まず、神輿が出ていない時間帯は、公園に設置された拠点で待機。

なんとここでは、アルコール飲み放題、しかも時間無制限でした。

公園に入ると、「なに飲む?」とお店のように聞かれ、飲み終わるとすかさず次の飲み物を聞いていただけるのです。

選べるラインナップも、サーバーからのビールのほか、緑茶ハイ、ウーロンハイなど、限られているとはいえ手厚さを感じます。

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(青年部の拠点、町屋二丁目くすのき山公園)

 

また、神酒所から神輿を出す際にも、出発式としてお神酒が配布されます。

「いやさか!」の掛け声のもとで、ぐいっと。

 

神輿を担いでいる時間こそ(物理的に)飲めませんが、途中たびたびある休憩ポイントでは、給水としてアルコールが出されます。

紙コップいっぱいのこともあれば、贅沢に350ml缶が振舞われることも。

あわせて焼き鳥やフルーツ、キュウリといったつまみも出されます。手厚い。。。

 

そして1日目2日目ともに、神輿が終わった後、拠点である公園にて小宴。これが直会。。?

 

お祭りとは、これだけ酒が飲める環境なのです。

「酔えば神の領域に近づく」なんて言われますが、それもここまでくるかという感覚。

納得はできるのですが、その環境を作るために奉賛金で酒が買われていることはもちろん、炎天下で必死に働く町会婦人部があってこその環境であることを忘れてはなりません。

 

酒の勢いで図らずも手にした"地元"というチケット

日中からだらだらと飲酒が続くものだから、当然タチの悪い酔いがじわじわと回ってきます。

特に2日目の夜は頂点で、そこまでの酒の積み重ねに加えて、打ち上げと称しての地元スナックでのカラオケ騒ぎがトドメでした。

 

年代に合わせて尾崎豊海援隊で対応していたのですが、次第に楽しくなってきてしまった一方で記憶は薄れていくばかり。

なんとか地元に自分の存在を焼き付けてやろう、、とばかりに。

 

そして気付いたら、地元町会の青年部に入会し、グループLINEに加わっていたのでした。。

 

ちなみに青年部とは、正式には「町屋二丁目仲町会 青少年部」という町会の一部会です。

なのですが、その実態は祭礼や縁日の時に力仕事や運営を町会本体から依頼されて一手に担う、やや独立会計の組織。

年配ばかりの町会本体とは異なる、30-40代の受け皿である一方で、主張や青年部内での同胞意識が強く、町会本体との関係は良いとはいえないティターンズ系組織。

ちなみに中学時代のつながりで形成されるので、本来の町会圏域の外に住んでる人もけっこういます。。。

 

ともあれ、氏子として初めての祭礼に参加したことで、本来の“地元“へ入門するための足がかりができました。

今後は、青年部の内部から見た、しがらみに満ちた地元というものを観察・発信していけるような気がします。

粉々に砕かれる理想の一方で、それに勝るような希望が見えてくるとよいのですが。

 

たぶん(震え