no pleasure, no life(旧ブログ名:まちづくり、例えばこんなふうに)

意固地になるほどに"まちづくり"が気になって仕方ない。自分の関わったまちづくりの活動・調査の記録を中心にしつつ、"都市""街の変化"の話題など。 Keyword→まちづくり/都市計画/荒川区町屋/蒲郡/豊橋/三河/谷中

"シビックプライド"なる概念にかぶれそう

ないものねだりは続く。

 

自分の住むまちを、すこーしだけ"自分の"まちと思えるようになってきました。

梅の湯さんやカド珈琲、アッシュカフェをはじめ、行きつけのお店や風呂屋さんができてきました。

ワクワクするような作戦会議に、呼ばれるようにもなりました。

 

これって、二年前くらいの自分からすればとんでもない変化なんです。

二年前、2016年あたりの自分はとにかく、所属する地域というものを欲しくて仕方なく、手に入れたくて渇望してました。

まだ横浜市民でありながら、ターゲットは荒川区だと、照準をあわせて、区の講座に通い始めたりしながら、単なる批評家から、 脱皮しようとしてた頃。

 

そこからしたら今の環境は天と地ほどの違い。

でも、まだまだなんですよね。

いや、正確に言えば、手に入れれば手に入れるほどもっと欲しくなるというアレか。業か。

 

手に入れ始めた区内の人のつながりを、渦みたいなものにするために、ストーリーを作りたくなってきたのです。

そんな中で出会ったのが、この本。

シビックプライド―都市のコミュニケーションをデザインする (宣伝会議Business Books)

シビックプライド―都市のコミュニケーションをデザインする (宣伝会議Business Books)

 

 

この本のプッシュする、"シビックプライド"という概念に出会ったのです。

 

シビックプライドとは何か。

この概念を声高に提唱する研究者である伊藤香織先生は、このように表現しています。

日本語の「郷土愛」といった言葉と似ていますが、単に地域に対する愛着を示すだけではないところが違います。「シビック(市民の/都市の)」には権利と義務を持って活動する主体としての市民性という意味がある。自分自身が関わって地域を良くしていこうとする、ある種の当事者意識に基づく自負心、それがシビックプライドということです。

シビックプライドが地域の価値を再定義する [伊藤香織] | ISSUES | WORKSIGHTより)

 

まちの活性化とか元気にするとか、人をつなげるとか、今まではそういう感じで動き回ってきました。きたつもりです。

なぜかって、それをしながらまちで暮らすという生活そのものが個人的に魅力的だったから。楽しいと思ったから。

そう。

そういう活動の動機について、あまり"公益的"、"公共的"な意味を主張せずにここまできたのです。

もちろん、活動について薄々とは公共的な効果を信じながらも、それよりは"だってこれが楽しいんだもんね!"と開き直ってたのです。

公共性を主張し始めると、"いやいやみんながみんなそう感じてるわけじゃないって!ww"みたいな、行政がすぐ陥るジレンマに踏み込みそうで怖かったというのもある。

 

ただ、少しずつ手に入れ始めてきた、ここまで培ってきたつながりとか勢いとか、信頼関係とか、そういうものってただ自分が消費するためだけのものじゃないわけですよ。

足を止めるのも癪だし、だいいち納得がいかいかない。

 

どうせならもっと表現していこう、街にもっと楔を埋め込んでみようではないか。そんなことを思い始めたわけです。

 

そんな時にこのシビックプライドは、目的とするに十分であると同時に、今まで自分が学生時代から今までずっと追い求めてきたものとか、その理由とかを、「要するにこういうことでしょ?」な感じで、全部ひっくるめて説明してくれる概念だなーと思ったわけです。

卒論で取り上げたシティズンシップ思想も、修論で取り上げた市民社会活動も、趣味で展開する活動は決して一本の線ではないのだけど、包含してくれる感じ。

 

なんだか、そんな感じになってきたのです。