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no pleasure, no life(旧ブログ名:まちづくり、例えばこんなふうに)

意固地になるほどに"まちづくり"が気になって仕方ない。自分の関わったまちづくりの活動・調査の記録を中心にしつつ、"都市""街の変化"の話題など。 Keyword→まちづくり/都市計画/荒川区町屋/蒲郡/豊橋/三河/谷中

福祉概念ってむずかしい

忙殺されているわけではないですが、なかなか新生活に慣れず自分の時間がとれず。

引越しの荷解きがまだ全て終わっていないというのもありますが。

 

さて、少し前のことですが、研修の一環で福祉施設を訪問する機会がありました。

施設の様子を一日見せていただいたわけですが、普段見ることができない光景だけに、いろいろと思うことがありました。

ので、忘れる前に記してみたいと思います。

 

訪問した施設は、「養護老人ホーム」というジャンルに区分されるものでした。

福祉施設と一口に言っても、いろいろな種類があることくらいは知っていましたが、

恥ずかしながらどんな種類があるのかという知識はほぼ皆無でした。

訪問前の下調べで、養護老人ホームというのは『様々な事情で自宅での居住が困難になった65歳以上の方の自立生活を支援する施設です』というような文句を見たのですが、いまいちピンと来なかった。

 

特別養護老人ホーム」「特養」という言葉だけは聞いたことがあって、

“特別”の語が無いということは症状が軽度なものなのかなという推理。

 

 

で、まあ全然違っていたわけです。

 

 

まず大前提として、「養護老人ホーム」は住居。

そしてどんな方々が住んでいるかと言うと、居宅での生活が困難な65歳以上の方。

そして、その居宅での生活が困難となった背景は、大きく分けて「経済的事情」と「家庭内の事情」だということです。

 

前者はまあ想像しやすいのかなと思いますが、後者で主要なもののはDVです。

配偶者や、息子(または娘)家族による暴力を背景に、居宅での生活ができなくなった方が、地域包括や社会福祉協議会等のネットワークを経て、逃げ込むのだそうです。

 

そういうわけで、この養護老人ホームの居住者の特徴は以下の3点でしょう。

「身体機能に異常があるわけではないこと」

「基本的に帰る場所はないということ」

「家庭とのつながりが希薄なこと」

 

 

この施設、運営自体は民間の法人が行なっているのですが、その資金は100%行政から出ています。

 

そして特徴的なのは、居住者は負担可能なお金だけ支払えばよい、ということ。

ほとんど金銭的負担のない居住者もいらっしゃるということでした。

 

 ■

 

ここまで書いて何なのですが、今回主張したいのは、養護老人ホームがどういう施設かということではなく、

普段生活する上でこういうことって意識しないよな、知らなくても困らないよな、ということです。

 

先述したような、福祉施設の種類にどんなものがあるのかという話は氷山の一角に過ぎません。

特に都市部で普段生活する上で、福祉ということを意識する機会が、あまりにもなさすぎると思うのです。

 

例えば地域の中には、独力で生活を送ることが困難な方々が相当程度いるということ。

そんな方が、どうやって社会的にケアされているのかということ。

でも、当事者にならなければ知る必要すらないということ。

 

 

これがなぜ問題かと言えば。

高齢化の進展により、行政支出における福祉関連費の割合は増加しています。

一方で景気の低迷による税収の減少は、行政が使うことのできるお金の全量自体が減っていることを意味しています。

誰しも、「これからは高齢者1人を生産年齢◯人で支えなくてはいけなくなる」といった類いの話は聞いたことがあるのではないかと思います。

これはどこかでなんとかしなくてはならない。

 

そんな状況の打開を狙ってか、行政はどこもかしこも「地域福祉ということを唱えています。

これは、「誰もが身近な地域で安心して自分らしく暮らすために、地域住民と関係団体・社協・行政等が連携して、地域の生活課題の解決に取り組み、地域特性に応じた支えあいの地域社会を作ること」(横浜市「第3期 横浜市地域福祉保健計画」による)です。

つまりは、これまで施設や官任せになっていた「福祉」「ケア」の役割を、少しずつ地域社会が担っていけるようにシフトしていこうという考え方です。

 

「いかにも行政らしく、地に足のついていない理想概念だ。」

と、一笑に付すことは容易でしょう。

しかし一方で、『困った人は全て公共が助けるべきだ。どうして税金を払っている我々がそれ以上の負担をする必要があるのか』という他力本願的な考えは、行政需要のパンクを招きます。

 

 

既に、社会福祉協議会や地域包括センターのように、地域福祉を担う拠点となる機関は整備されてきています。

しかし、まだそうした“施設”に留まっているということも事実なわけです。

 

今回は、そうした行政やアカデミックの提唱する方向性と、

実感ベースの社会状況との間に大きなギャップがあるのではないかということ。

この点に問題意識を感じたというところまでです。

 

 ■■

 

極論すれば、高齢者福祉や障害者福祉といったものは、奢侈品(ぜいたく品)です。

経済や教育といった、社会に必要と思われる最低限のものに対して、少し上の次元に存在するものと言えるでしょう。

対策を行なわなくとも国や経済が止まって困るというようなことはないでしょう。

 

ですが、福祉概念が議論に取り上げられるようになったことは、日本社会の成熟度がかなり進んだということではないでしょうか。

こうした奢侈品的な、「社会的にハンディを背負った方々をケアしていこう」というように日本社会の価値観が移行していくことは、誇り高いことだと感じます。

 

 

ちょっと福祉を意識して、仕事や勉強に取組んでいきたいなと思った次第です。