no pleasure, no life(旧ブログ名:まちづくり、例えばこんなふうに)

意固地になるほどに"まちづくり"が気になって仕方ない。自分の関わったまちづくりの活動・調査の記録を中心にしつつ、"都市""街の変化"の話題など。 Keyword→まちづくり/都市計画/荒川区町屋/蒲郡/豊橋/三河/谷中

“結婚”のインフレ、それによる結婚感のデフレとか

光栄なことに、友人の結婚披露に招待いただきました。

そしてこの日曜日、地元蒲郡のホテルにて行なわれた宴に出席してきました。

 

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二次会は開催せず、キリスト教式の神前挙式と、宴会場での結婚披露宴。

 

新郎は小学校中学校という思春期を10年近く同じ空間で過ごした中ですが、その後の高校、大学、社会人とずっと違う環境で生きています。

年に2、3回程度仲間で集まったりはするものの、その後の彼の人生の変遷について、しっかりとは知らないわけで。

なので、例えばスライドショーで自分の知らない新郎の「大学時代の姿」が出てくることとか、乾杯挨拶や祝福の言葉で会社の人が彼の「会社での姿」を話すことで、新鮮な気持ちにさせられます。

そしてこのことが、旧友の結婚披露宴に出席する一番の楽しみでもある。

 

本当に、羨望だとかとは違うニュアンスで、「いいなあ。いい人生送ってるなあ。」と思わせてくれるのは結婚式マジックなのかもしれません。

 

 

さて、そんな素晴らしい結婚披露宴なのですが、なんと今年に入って4回目

私も今年で28歳になる身なので、どうも同世代のみなさん結婚のタイミングが重なるわけです。かなり。

22歳や24歳で大学から社会に出て、仕事も一人前になってくるであろう時期に、身を固めてライフステージを次の段階へ進めるという。

家を購入した高校の同級生や、2人兄弟を生んだという中学校の同級生も、もはや珍しいとは言えなくなくなりました。

そういう年だということ。

 

これはどうしようもない悩みなのですが、こう立て続けに、しかも忙しく人を祝福していると、少し戸惑うこともあるわけです。

結婚、多くない?と。

 

もちろん、御祝儀がどうこうというような、器の小さい話ではありません。。。いやそれは少しあるかなー

「自分て生き遅れてるよなー」というような被害妄想では、少なくともありません。

 

多分それは単純に、“祝い疲れ”なのでしょう。

特に、こうしたリアルの結婚式出席以外にも、Facebookを見れば毎週末毎週末どこかで何かのつながりで結婚式の写真がアップされるという現代。

一つ一つのそれは、その人の人生にとってあまりに大きなイベントなのに、見る眼や、感じる心が慣れてきて鈍くなってきてしまう。

結婚という行為自体は自分にとってまだまだあまりに遠くにあるけれども、結婚式というイベントは年中行事みたいになってきてしまったわけです。笑

 

 

また自分が主役になったりすれば変わるのでしょうが、それは全く先のこと。

「そんなすねたこと言わずに、ちゃんと祝福しなきゃ!」と自分に鞭打って説得するようなことも、なんか違う気がする。

 

会う人会う人に、結婚感についていろいろ聞いてみたいなあと思うところです。