景観まちづくり塾に対する区民の疑問と提案と② - 「町屋銀座まちづくり? 第22回」
(つづき)
グループメンバーの発言。
「荒川区の魅力は、下町独特の人情にこそあるではないか。
その人情が、キレイに保たれた庭先の植栽や路地裏に現れているのではないか?」
そう、そうなのです。
古い建物や路地に情緒を覚えるのは、単に古いからというわけではないと思うのです。
人工物の経年劣化自体が美しいのではなく、美しく保たれている状態の背景に、住まう人の手入れの苦労や心遣いを感じるからだと思うのです。
例えばこんな風景。
手入れされた植木の向こうには、それらに水やりをし、ディスプレイする方の姿が想像されます。
そして大事なことは、自分の住宅の中で完結するのではなく、あくまで通りを向いていること。
それは、多少大袈裟ながら、街をもてなす行為だと思うのです。
確かに住宅地はプライバシーの観点から、ある程度の領域性を持つため、余所者にとって入りにくいものです。
例えばたまプラーザの街を歩いていても、通りと住宅の境界を必要以上に強調する巨大な擁壁や門扉に、街に招かれていない感覚を強めてしまいます。
しかし下町地域は、その境界が極端なほど存在しないのです。
ゆえに招かれていなくても足を運ばせ、人々の生活の息づかいを感じさせてくれるのです。
キレイに保たれた路地裏に温かみを感じるのは、きっとそういうことなんじゃないかと。
話が逸れてしまいました。
景観まちづくり塾の話に戻りましょう。
メンバーの一人、とは言っても私の二倍以上生きている人生の先輩が、冒頭のような発言をなさいました。
この言葉に、興奮したのです。
その発言に続いて、周りの方々からも生産的な発言が続く。
「ステキな路地裏の様子を、コンテストにしてみたら?」
「ただの写真コンテストでは芸がない。防災を絡めることはできないか?」
「ステキな路地裏の写真と、それを保つための活動や、防災時の計画なんかをあわせて応募してもらうのは?」
ここからの時間帯はひたすら楽しかった。
なんとなく場の空気感がまとまった感覚と、前に向かっている感覚。理想を求めている場にいる感覚。
そんな楽しさなら仕方ない。
私も無責任に言えたのです。
「今のお話、我々でやれませんかね?」
さて、どうなる。。