no pleasure, no life(旧ブログ名:まちづくり、例えばこんなふうに)

意固地になるほどに"まちづくり"が気になって仕方ない。自分の関わったまちづくりの活動・調査の記録を中心にしつつ、"都市""街の変化"の話題など。 Keyword→まちづくり/都市計画/荒川区町屋/蒲郡/豊橋/三河/谷中

景観まちづくり塾に対する区民の疑問と提案と② - 「町屋銀座まちづくり? 第22回」

phantom-gon.hatenadiary.com

 

(つづき) 

 

グループメンバーの発言。

 

荒川区の魅力は、下町独特の人情にこそあるではないか。

その人情が、キレイに保たれた庭先の植栽や路地裏に現れているのではないか?」

 

そう、そうなのです。

古い建物や路地に情緒を覚えるのは、単に古いからというわけではないと思うのです。

人工物の経年劣化自体が美しいのではなく、美しく保たれている状態の背景に、住まう人の手入れの苦労や心遣いを感じるからだと思うのです。

f:id:phantom_gon:20161206011424j:plain

f:id:phantom_gon:20160521162127j:plain

f:id:phantom_gon:20161127112209j:plain

 

例えばこんな風景。

手入れされた植木の向こうには、それらに水やりをし、ディスプレイする方の姿が想像されます。

そして大事なことは、自分の住宅の中で完結するのではなく、あくまで通りを向いていること。

それは、多少大袈裟ながら、街をもてなす行為だと思うのです。

 

確かに住宅地はプライバシーの観点から、ある程度の領域性を持つため、余所者にとって入りにくいものです。

例えばたまプラーザの街を歩いていても、通りと住宅の境界を必要以上に強調する巨大な擁壁や門扉に、街に招かれていない感覚を強めてしまいます。

しかし下町地域は、その境界が極端なほど存在しないのです。

ゆえに招かれていなくても足を運ばせ、人々の生活の息づかいを感じさせてくれるのです。

キレイに保たれた路地裏に温かみを感じるのは、きっとそういうことなんじゃないかと。

 

 

話が逸れてしまいました。

景観まちづくり塾の話に戻りましょう。

 

メンバーの一人、とは言っても私の二倍以上生きている人生の先輩が、冒頭のような発言をなさいました。

この言葉に、興奮したのです。

 

その発言に続いて、周りの方々からも生産的な発言が続く。

 

「ステキな路地裏の様子を、コンテストにしてみたら?」

「ただの写真コンテストでは芸がない。防災を絡めることはできないか?」

「ステキな路地裏の写真と、それを保つための活動や、防災時の計画なんかをあわせて応募してもらうのは?」

 

ここからの時間帯はひたすら楽しかった。

なんとなく場の空気感がまとまった感覚と、前に向かっている感覚。理想を求めている場にいる感覚。

 

そんな楽しさなら仕方ない。

私も無責任に言えたのです。

 

今のお話、我々でやれませんかね?

 

 

さて、どうなる。。