まち普請事業の意義など。
今週末は。
「ヨコハマ市民まち普請事業」の公開二次コンテストが開催されます。
1 日 時 平成29年1月29日(日) 9:30から17:00まで(予定)
2 場 所 横浜市市民活動支援センター4階(中区桜木町1-1-56)
JR根岸線桜木町駅(北改札)徒歩4分/市営地下鉄桜木町駅 徒歩7分
3 プログラム
9:00 開場
9:30 開会、整備提案の発表
(昼休み)
13:30 公開選考
交流タイム
17:00 閉会(横浜市記者発表資料より)
行政介入型のまちづくりの中でも、ひときわ特殊。
事業開始から12年目を迎え、2015年には都市計画学会の石川賞を受賞したこの事業をご存知でしょうか?
まち普請事業とは?
横浜市 都市整備局 地域まちづくりの推進 ヨコハマ市民まち普請事業 ヨコハマ市民まち普請事業 トップ
「普請(ふしん)」とは聞き慣れない言葉ですが、安普請(やすぶしん)のような表現はたまに使うことがありますよね。
「普請(ふしん)」とは、「普く請う(あまねくこう)」とも読み、「力を合わせて作業に従事すること」という意味が含まれています。「公共」は行政によってのみ担われるものではなく、特に地域に根ざした身近な課題への対応などに市民のみなさんが主体的にかかわることで、参加する人や地域に暮らす人々の満足度を高めることにつながっていきます。「まち普請」には、市民に身近な「まち」に「普請」の輪を広げていきたいという願いが込められています。
(横浜市HPより、太字部筆者)
さて、では、まち普請とはどんな事業か。
簡潔に言うと、『身近な街のハード整備に関して、住民が行政の協力(お金+庁内協力体制)を勝ち取るためのコンテスト』です。
以下、この事業の流れと概要、特徴を掲載しますね。
(横浜市HPより)
■ 事業概要
●この事業は、横浜市地域まちづくり推進条例に基づく支援策のひとつとして、市民のみなさんから身近なまちの整備に関する提案を募集し、2段階にわたる公開コンテストで選考された提案に対し、最高500万円の整備助成金を交付するものです。
●この事業では、市民のみなさんが身近なまちの整備に関するアイデアを出し、共感する人を集め、議論、計画づくり、合意形成、整備、維持管理まですべて自分たちの手で取り組み、市はそれらを市民が主体となって実現できるようサポートを行います。
これは間違いなく、横浜市の都市整備分野、市民まちづくりにおける目玉だと感じます。
なぜか。
それは、"行政介入型市民まちづくりの進化系"と言えるからです。
まちづくり条例が生んだ行政介入型市民まちづくり
"行政介入型市民まちづくり"とは私の造語ですが、まずはこのニュアンスを説明したいと思います。
"まちづくり条例"というものが全国に数多あります。
これは建前上は、市民主体のまちづくり活動に対して、行政が認定するための手続きを定める条例です。
例えば、地縁に基づいて集った住民団体があったとします。
彼ら彼女らがまちづくり活動をしたところで、あくまでそれは民民で相互扶助行為をしているにすぎず、その時点では行政とは関係を持ち得ません。
しかし、時には手段として、道路整備や法制度的なブレイクスルーなど、行政の協力が必要になる場合があるでしょう。
そんな時、たとえ真っ向から「行政はこの道路を整備するべきだ」と主張したところで、以前述べたような理由で、行政がすぐに対応するということはありません。
この時点での、任意団体としての住民の声は一陳情や広聴に過ぎず、公式な意味で行政に声を届けることはできないのです。
行政側にしても、公平性の観点から、そうした要望に逐一対応することが難しい事情があります。
しかしそのままでは、せっかく高まった住民まちづくりをフイにしてしまい、意識を殺してしまいかねません。
また、行政的には、まったく声の上がらない地域に対して施しのように介入していくよりは、声をあげてくれて、なおかつその後の継続的なまちづくりも期待できそうな地域に介入していくほうが、効果も高く、良いと考えます。
では、あらかじめそうした団体と行政の関係について一定の作法を定めることで、関係を明確化すればよいのではないか。
そこで、行政はそうしたまちづくり活動を行政が認定する手続きを条例として定めることで、市民と協働のまちづくりを表立って進めることを可能にしているのです。
一般的な流れはこんなイメージです。
- 地域で一定の割合の参加者が集まったグループが、行政に申請をすることで条例に位置付けられた"まちづくり団体"になる。→条例がなければ任意団体止まりだった
- この"まちづくり団体"は行政の支援要請や専門家(まちづくりコンサルタント)派遣を受けることができ、地域の合意形成を進めながら計画を作成する。→条例がなければ独力で進めるしかなかった
- そうして出来上がった計画は、所定の手続きを経ることで、条例に位置付けられた"市民まちづくりプラン"とされ、今後市長はこの"まちづくりプラン"に沿って行政事務を行うよう努めなければならなくなる→条例がなければ行政に届かなかった
こうして市民からのまちづくり提案は、行政の施策に一定程度反映されることが担保されることとなります。
ただ、こうした条例を作ったところで、まちのルール策定や特定事業の導入など、行政的な"オトシドコロ"を前提とした傀儡的まちづくりに活用されることが実際は多く、本来的な意味での市民発意のまちづくりと言えるのかというジレンマはあります。
地域が本当の意味で自主自立の形で、独力による(条例の定義する狭義の)まちづくりを進めることは難しいのが事実です。
それを逆手に取った行政は、行政発意であるまちづくりさえも、このまちづくり条例に基づくシステムに照らし合わせて、あたかも地元発意のまちづくりであるような演出をするようになるのです。
代表的なのが、行政がある地区に密集事業を導入したいのに、あくまで"防災性に危機感を持った地元組織からの提案を受けて行政が動き出した体にする"、というような。
この状態は、ある種の理想とも言える"意識ある市民が行政の協力を得ながら市民まちづくりを進めていく"という形から、"行政の進めたいまちづくりのために市民に協力してもらう"という形への変容を意味します。
ただ、そうしたまちづくりによって市民は損害を被るわけではなく、むしろ相対的には住環境は維持・保全されるため、この形は暫定的ながらベターな形と言えます。
ここに違和感を持つ要因は、"まちづくりは市民発意に基づき市民主体で進められるべきだ"という潔癖的な価値観なわけですが。。
横浜市はもう一歩進めている
話は戻り、では横浜市のまち普請事業がどのように画期的なのか。
横浜市も同様に、「横浜市地域まちづくり推進条例」というものを平成17年に制定しており、市民まちづくりの流れを定めています。
(横浜市HPより)
この条例そのものは、他の自治体におけるまちづくり条例と基本的に同じ構造です。
ただ、横浜市において光るのは、使えるメニューとしてのまち普請事業です。
それは、行政介入型まちづくりの中では特異なほど住民の自主性を要求している点です。
事業主体である横浜市が主張する、事業の特徴がこちら。
■ この事業の特徴
1 ソフト面(活動)の助成ではなく、ハード面(整備)の助成であること。
2 助成金の助成率を設定しない代わりに、市民に整備に要する費用、整備における労力又は整備した施設の維持管理などの負担などを求めていること。
3 多様化する市民ニーズに対応し、整備分野を限定していないこと。
4 1次コンテストを通過した提案グループに対し、行政との話し合いの場づくりや活動費用などを支援し、その上で2次コンテストを行うという2段階の選考システムとしていること。
5 コンテストでは、選考のプロセスすべてを公開し、公平性、透明性、公開性を確保していること。
これらに加えて、事業概要にあった「共感する人を集め、議論、計画づくり、合意形成、整備、維持管理まですべて自分たちの手で取り組む」という点が特徴です。
さて、引き続き独断と偏見全開で話してみましょう。笑
従来的な行政介入型まちづくりにおいては、市民まちづくりの手続きを定めたとしても、それは儀礼の域を超えないものでした。
これまでの行政にとっては、あくまで理想でしかない"熟議による合意形成"なんかよりは、まちのご意見番である町内会や商店会、PTAといった主体を計画づくりの現場に同席させるというわかりやすい演出こそが重要です。
防災性向上や住環境保全といったお題目を掲げ、ルールの策定やプランの作成といった、見える成果こそが重要なため、どちらかといえば市民協働というものはアリバイ的な性格が強いものでした。
そのためには、"地域みなさんの総意である"、ということにする手続きこそが大切。
確かに、市民協働とは美しい言葉ですが、実際は不確定要素ばかりで難しいもの。
ましてや反対意見を全て解決することなど至難の業。
不測の事態を何より嫌う行政組織にとって、丁寧に合意形成を進めていくことについて気が進まないのも仕方ありません。
こうして、市民まちづくりとは掛け声ばかりに形骸化していくのですが、横浜市ではもう一歩進めているのです。
それがまち普請。
まず、これに応募する市民団体は、地域の合意形成を住民主体で行うことが前提となります。
もちろんそれにあたって、市都市整備局地域まちづくり課がサポートにまわるわけですが、結果ありきで進めるこれまでのまちづくりとはやや異なります。
また、維持保守にかかる負担などは住民側が被るのです。
以上からこの事業は、行政介入型市民まちづくりにしては住民側の負担割合が高いのです。
"自分たちのまちは自分たちの手で"というのが市民まちづくりの理念であるとすれば、かなりその理念に近づいていると感じるのです。
もちろん、こうした事業が可能な要因に、基礎自治体として最大の人口を持つ横浜市の潤沢な歳入や注目度があるのでしょう。
ただ、それを差し引いてもあまりある事業であると感じます。
さて、今週末。
この事業により整備が実現された事例は、以下のページで紹介されています。
横浜市 都市整備局 地域まちづくりの推進 ヨコハマ市民まち普請事業 ヨコハマ市民まち普請事業 整備事例
そんな事業の公開コンテストが、今週末に。
市民まちづくりの最先端を、のぞいてみませんか。
音喜多駿という怪物。
とうとう、きた。
都議会会派「都民ファーストの会東京都議団」 が誕生し、なんと83年生まれの音喜多さんが幹事長に!
東京都も地方自治の一種ではありますが、やはり首都東京ですので報道は全国区。
ここまでの人になりましたか。。。
やはり同い年であり音喜多さんと友達である長坂さんも、このニュースを受けて熱い記事を書いています。
音喜多さんと長坂さんは、ここ10年近く自分の人生ツートップである。
長坂さんの記事にある、お二人の出会いの経緯に関する部分を引用します。
【音喜多駿という恩人】彼との出会いは22歳の11月、大学4年のときでした。豊橋の手筒花火を上げた駒場祭。8年前のこと。
東京で手筒花火を上げるためには、20人近い警備が必須でした。しかし、当時うちの学園祭委員の人数は30名ほど。一企画のために、委員の過半は避けませんでした。
僕は当時隆盛だったmixiで、助けを求めました。その日記を見た、時習⇒早稲田の先輩が、早稲田祭運営スタッフのMLに、その状況を投げてくれました。
そして同じ運営スタッフで、その先輩と仲良かったおときたが中心となり、当日、二十数名を引き連れて、駒場祭に乗り込んで来ました。揃いの早稲田祭運営スタッフの法被を着て。
早稲田祭の法被を来た人間が、統率の取れた動きで並び、東大で警備をしている姿は、異様で個人的にとても高まる光景でした。
お陰で事故なく、東京での手筒花火を終えることができました。彼がいなければ、企画は中止になっていました。
改めて、あのときは、本当にありがとう。
その音喜多が、都議選にチャレンジします。
だからと言って、彼に投票してほしい、という訳ではないですが、東京の方、北区の方、まずは投票に行って来てください。
そして候補者を見比べるとき、できれば彼も比較対象に入れてあげてください。
そしてそんな、音喜多さんを初め早稲田祭の運営スタッフの警備のお陰で東大駒場で手筒花火をあげることのできた一人が、何を隠そう私でした。
当時の私は東大生でも何でもなく、ただただ長坂さんに導かれるままに現場に行き、決められた打ち方を守っただけ。
でもそこでの経験は、当時精神的に追い詰められていた私に劇薬のように作用し、再受験を志すようになるのです。
そんな、きわめて個人的だけど生涯最大とも言えるライブイベントに居合わせた一人が、音喜多さんなのです。
思えば、彼の結婚のお知らせを知った時も感慨深くて一本書いてたな。
東大駒場キャンパスの(今はもうない)同窓会館で、学園祭のことも下ネタのことも、とにかく全てを嬉しそうに話す人。
「突き抜けた人」、という印象。
私が高校までの狭い世界を卒業して大海に出てから初めて出会った、怪物でした。
音喜多さん、ますますのご活躍を。
そろそろ町屋で輪を広げたいです - 「町屋銀座まちづくり 第1回」
昨年11月のエントリで静かに紹介させてもらった、『コリンcafe』さんというお店があります。
※ちなみにこのエントリで紹介させていただいたもう1店舗「n.r store」さんは、荒川区のお友達戸田江美さんによってキュレーションサイト『箱庭』の記事になりました!
なぜか当ブログでも「n.r store」さんの記事がいちばんPV数高いんですよねー。
さて、『コリンcafe』に戻って。
実はあれからすでに、3回ほどお邪魔しておりまして。
景観まちづくり塾の打ち上げで貸切利用する相談をさせていただいていたり、
お知り合いの不動産屋さんを紹介してもらう話を進めていたり、
同級生のパン工場を案内してくださったりと、
普通のヨソ者にしては仲良くさせていただいているわけです。
いやいやお世話になりすぎだろ。。。
ひっそりと、facebookページもあります。
facebookより コリンcafé - 基本データ | Facebook
都電の街・町屋で、築80年の家屋をリノベーションして2016年秋にオープンした小さな隠れ家的カフェ。フレンチモロッカンを意識したエキゾチックな内装インテリアとは裏腹な、あたたかい下町人情あふれるオーナー家族やお客様たちの雰囲気がミスマッチの癒しの異空間(自称)。まだ小さく営業中のためメニューは少なく、特製スパイスカレーとレアチーズケーキ、コナブレンドコーヒーがメインです。ほかにリクエストあればなるべくなんでもお作りします。昼からワイン&チーズのセットもご用意しています。ランチ500円~。夜は完全予約制(紹介のみ)3000円~。
(上記facebookページより)
このイントロダクションは、まさにお店の日常をそのまま描写している感じがします。
かわいい外観とおしゃれな内観に似使わず(?)、地域の年配の方々がふらりと立ち寄って井戸端会議をする場所。
最近はコップ酒飲んで楽しんで行かれるおじいちゃんも増え始めたんだとか。
かと思えば閉鎖的というわけでも全然なく、私のようなヨソ者はじめ、地域に入門しようとする方を優しく受け入れてくれる。
これもひとえに、開店前から地域に根付いていた店主の方の人柄や懐の大きさなんでしょう。
お店に行けば必ず地元の誰かがいて、店主の方と楽しそうにお話をされてる。
そんなお店でついこないだ、こんなやりとりを。
私『お昼の貸切なんてできます?地域にお住まいの方々を中心に読書会なんてやってみたいなと思いまして。』
コリンcafeさん「できますよ。その時は少しレイアウト変えましょうか。」
。。。はい、決まり!
というわけで近日中に仕掛けますよ。
読者会に限らず、荒川六丁目のパン工場見学とかまちあるきとか、ヴァナキュラーなご近所さん企画を、コリンcafeさんを拠点に打っていきます。
荒川町屋エリアにお住まいでご近所指向な方は、チェックしておいてくださいな。
公務員三回生中退の身から見た、「なぜ行政のフットワークは重いか?第4回 いかに役所と付き合うか(試論)①」
さて、完全に自己満ながら、第4回を書いてみます。
これまでの記事はこちら。
ここまで、役所の共通の文化や価値観を紹介してきました。
- 文書主義
- 決裁主義
- 計画行政
- 議会答弁
- 広聴回答
今回はその総括的に、役所とのより良い付き合い方について考えてみたいと思います。
なお、タイトルにもありますように、私は公務員三回生で中退した身。正確には2年と4ヶ月。
それゆえ経験事例は少ない上、異動ももちろんなかったために、行政の価値観にどっぷり浸かったとは言えないかもしれません。
ですからそのあたりの事情を念頭に、ここまでの記事を読んでいただければと思います。
でも、まるっきりホラではないんじゃないかなー。。(自信なさげ)
システムは人を変えるが、人間性までは変えない
これまで連載してきた内容から、役所に対してどのようなイメージを持ったでしょうか。
「役人とはかくも冷たいのか。。」
「自分や自分たちのことしか考えておらず、住民を見ていないなんて奴ら」
と感じてしまった皆様、ちょっとお待ちください。(やや煽った自覚はありますが)
これこそが、公平性・平等性の担保を追求した結果辿り着いた、官僚機構という仕組みなのです。
文書主義や計画行政といった行政組織共通の価値観は、営利追求を求める民間企業では担い得ない、公共という領域を担うためにやむをえないもの。
近年の"新しい公共"という潮流は、従来の官僚機構だけが公共を担う主体ではないことを声高に叫んでいますが、それでもまだまだ彼らの存在意義は少しも霞みません。
むしろ、その潮流に併せて、"私"領域からでも行政組織を使い倒すこと重要性が増しているという側面もあるでしよう。(言ってて混乱してきた
まず言いたいことは、職員の人格自体が冷たいというわけではない、ということ。
むしろ逆で、就職先として役所を選択する方の多くは、行政でしかできない仕事をするため、公共という立場に魅力を感じている人が多いはずです。
そんな方々は、多くの人々のために。。という熱い気持ちを抱きながら官僚機構に入門していきます。
(もちろん、初めから安定性を求めて公務員となる人がいないとは言いませんが)
しかしながら、環境は人間を変えます。
文書主義や計画行政、決裁主義や議会答弁、広聴といった特有の仕組みは、そんな熱い方々の想いを悪戯に揺さぶり、尖った角は丸くさせ、いつしか"仕事のための仕事"という価値観を持たされるようになってしまう。
3、4年周期の終わりなき異動は、望むポジションでやりたい仕事などできないのだという諦めに。
そんな彼らは、本心と実情との乖離に対して、「異動すると転職するレベルで業務が変わるから、転職する必要ないんですよね」という思考停止により、バリアーを張ります。
無機質な広聴対応に対して当初は抱くであろう違和感も、そのうち消えます。
「ゼロ回答で申し訳ないけど、平等性のためには仕方ないよな」
→「あー、他の仕事もあるのに回答するの面倒だな」
→「カタカタ...」(機械的事務処理)
住民のため、と仕事の質をいくら追求しても、自分の高尚な価値観が満たされる以外、誰に評価されることもありません。
いつしか"ノー残業"と"監査での指摘を防ぐ"ための無難な姿勢に変容します。
そこに、守られすぎているとも言える総合的な福利厚生もあいまって。。。
あとは我々のよく知る、イメージ通りの"お役人さん"の出来上がりです。
願望的・役人性善説
ここまで紹介したようなお役人さんの性質は、あくまでシステムが作り上げたものです。
つまり、当の本人が、心の芯から、価値観の底から、そうなっているわけではないのだということ。
見えにくくなってはいると思いますが。
何が言いたいのかと言えば、たとえ「これだから役所は!」と感じたとしても、職員の人格否定をすべきではないということ。
彼ら彼女らが入庁時に抱いてたであろう公共心は、きっと変わらず持ったままなのに、役所の制度がその発現を縛ってしまっているだけなのです。
当人にとっても見えなくさせてしまっている。
だって、そもそも採用面接ではモチベーションこそ問われている(ですよね?)はずなんです。
その自治体のために働く理由について明確な説明ができ、なおかつ意欲のある者。
逆に言えば、新しく職員になろうとしている人間を選考する際に、「安定で事勿れな、役所向きの性格です」という者を採用しますか?
役所でただ事務処理的な執務をする上では、そのほうが生きやすいのは事実。
もちろん選考する側はそれを痛いほど知っているはず。
青臭い価値観では、行政組織の中を渡り歩く上で、精神衛生上難しいことを知っているはずなのです。
逆説的ですが、多くの民間企業がそうであるように、役所も採用選考では意欲・モチベーション面における適性を問うはずなのです。
それが明らかにハリボテであれば落ちるのであろうし、面接官に伝わる程度であれば通過する可能性は高くなる。
ゆえに、入庁時の行政職員の価値観は、「行政でしかできない仕事」「公共でしか取り組めない領域」といった、公共心にこそあるのではないかと思うのです。
そんな公共心を、呼び起こすような付き合い方があるのではないか。
相手や、相手を縛るルールを知る
では、一体どうすればよいか。
まずは、ここまで紹介してきたような行政の性質を理解することです。
文書主義。
法律をはじめとして、明文化されたルールを厳守すること。
提案したい内容が法に抵触する可能性があるならば、まず間違いなく受け入れられません。
決裁主義。
行政が物事を決定には、驚くほど時間がかかります。
たとえその場にいるヒラ職員に何かを主張し、受け入れられなかったとしましょう。当たり前です。
彼らは組織としてYESを勝手に言ってはならないのです。
計画主義。
役所が各種計画を策定したとすれば、それは絶対です。
たとえ数値目標がずれてきたとしても、彼らは黒を白にする腕力があります。
計画こそが、役所が事業を行う上で依拠する最大限の根拠かつ指標なのです。
公平性・平等性という呪いも忘れてはいけません。
ある限られた範囲にしか恩恵をもたらさない事業について、役所は尻込みします。
全体から集めた税金を、限定的に使うという理由を説明する理由があるからです。
例えば、商店街だけが潤ってはダメです。商店街が潤うことを通じて、日常的に利用者の利便性が上がって生活レベルが向上する、ということまで言わなくてはなりません。
とある地区だけが活性化するだけではダメです。その地区には集積の利があって、公共投資によるリターンが大きいということを言わなくてはなりません。
無謬性主義ということもあるでしょう。
彼らは決して、間違えることはありません。建前の上では。
ですから失敗を認めて、修正していくということはありません。
ー
ここで挙げたのはおそらくどこの自治体でも共通ですが、そのほか自治体ごとのマイナーチェンジがあるものと思います。
とにかく、相手をまず知ることが大事だと思うのです。
知っていけばその上で、どう付き合えるのかを考えることができるはず。
我々に限界があるように、彼ら行政組織にとっても限界があって当然。
でも我々は、役所とは"何でも屋さん"だという誤解をしがちではないでしょうか。
私人同士でもそうであるように、誤解があれば彼らとうまく付き合うことはできません。
。。。
いろいろ妄想をもとに書き進めていますが、言われてみれば難しいことかもしれませんね。
今日はこの辺で。
次回で間違いなく終われそうです。
生みの苦しみ(まだあんまり中身はない
まちを面白くしてやろう。
そんな思いで、とあるプロジェクトを始めようと画策しています。
ちょっと多いですが、関連する流れはこのあたりから。
それで本日、キックオフ的なミーティングをしてきたわけです。
もともとまちづくり塾でグループワークしてきた方々に加え、奇妙な経緯で知り合った新しい方を迎えて。
なんだろう、不思議な苦しい感じ。
行政が敷いたレールに沿ったまちづくりを支援する立場と、自らがレールのないまちづくりを進めていくのと、ぜんぜん違う。
道筋も、そもそもどうやったら進むのかもわからない。
ゼロから何かを始めようとするのってこんな感じなのか。
。。。乞うご期待(中身ない
公務員三回生中退の身から見た、「なぜ行政のフットワークは重いか?第3回 広聴というお客様の声」
書き出すと内容が増えてしまい、第3回目になってしまいました。
前回までで述べてきたのは、どちらかと言えば行政組織の閉鎖性でした。
しかし、行政の存在意義は、民間事業者では担うことが困難な"公共"という領域を担うことであり、それは開かれているものでなければなりません。
公共とは単に不特定多数というわけでなく、そこには明確にお客様がいます。
行政にとってのお客様は、その自治範囲に在勤・在住・在学するすべての人。
公共というお客様をターゲットにした仕事である以上、事業者がそうであるように、"お客様の声"を無視することはできません。
そのために存在しているのが、"広聴=広く聴く"という仕組みなのです。
しかし、これまで紹介したような行政組織の体質は、広聴という声に対して、やはり不思議な対応をしてしまいます。
「なぜ有益な意見が、役所に聞き入れられないのか?」
「どうしていつも冷たい対応ばかりなのか?」
その背景にある役所独特のメカニズムを、紹介したいと思います。
広聴とは
広聴とは何でしょう。
おそらくは、 多くの人にとって聞き慣れない言葉かもしれません。
音は一緒ですが字の異なる、"公聴"という言葉はどうでしょう。
こちらは、"公聴会"という言葉にあるように、計画や条例といった特定の事案について、決定する前に利害関係者の意見を聞く場を指します。
「こんなこと決めようと思ってますが、ご意見あればお寄せください」ということ。
一方で広聴は、事案を特定しないことが特徴です。
住民が行政に対して意見を届けられるチャンネルは、常に開かれているのです。
広聴のチャンネルは多い
では、住民はどのように役所に声を届けることができるのか。
これには、クラシックなものから現代的なものまで、様々なチャンネルがあります。
①インターネット
現在の主流は、インターネットを利用したものです。
多くの自治体で導入されていると考えられますが、そうでないところもあるよう。(蒲郡市はなさそう)
インターネットを通じた投書はコストがかからなく気軽な上に、きわめて匿名性が高いため、住民にとって利用するハードルがとても小さいと言えます。
簡単なフォームが作成されていて、必要事項を入力するだけでよいのです。
横浜市の事例を示すと、こんなイメージです。
横浜市HPより
トップページに、このフォームに飛べるボタンがあります。
横浜市HPより
荒川区HPより
②電話・窓口
ややクラシックな手法ですが、現在でも根強く利用されます。
意見を言いたい事業の所管課に直接電話をかけるのはもちろん、そうでない場合も、代表して振り分ける交通整理専門の部門がある自治体もあります。
例えば、横浜市コールセンターはその代表例ですね。
電話の場合の特徴が一つあります。
窓口にも共通してリアルタイムなやりとりのため、即時的な応答が求められます。
正確な相手に電話をかけており、かつ質問や意見の内容が軽微なものであれば、その場で解決・回答を得られることもあるでしょう。
しかし多くの場合はそうではなく、最初の電話では聞き置くのみとし、回答が必要な場合は課内検討→決裁の後に折り返すということになります。
インターネットではなく電話を使うような方は、直接伝えたいという想いが強い傾向があるため、電話の内容も白熱します。
それゆえに、対応も容易ではないのです。
さて、窓口。
電話であれば、一旦切って出直すということができますが、窓口はそうはいきません。
そして、インターネットでも電話でもなく、窓口まで足を運ぶような住民の方は、直接伝えたいという想い以上に、ボルテージも上がり切ってしまっていることが多いです。
その場合はバトルになりかねません。
また、少し面白い現象ですが、毎日のように通ってクレームを伝える方もいます。
このレベルになると、もはや職員と仲良くなってしまうケースも。
(もちろん、通常の要件で窓口訪問する方もいます)
③その他
手紙なんてのもあります。
達筆な文面に、つい姿勢をただしてしまうことも。
つまりは
つまりは、住民にとって役所に意見を伝える手段は豊富ということです。
では行政組織は、そんなふうにして届いたたくさんの声に、耳を傾けているのでしょうか?
役所は回答に決裁が必要
寄せられた声に対して、役所はどのように回答をするのか。
単純に言えば、こう答えます、という回答案を決裁するわけです。
担当者が起案して、係長→課長が承認することで、ようやく実際に回答することのできる文章が出来上がります。
それだけでは議会答弁の作成と変わりませんが、そうではありません。
明確に違う特徴が、二つあるのです。
特徴その一、ゼロ回答
一つ目は、基本的にゼロ回答だということ。
役所にとって広聴とは業務です。
多くの場合、通常業務と並行して、自分の課に到達した広聴に対応することになります。
定時退庁というプレッシャーが強い役所は、不測の業務の発生を著しく嫌う傾向にあります。残業代はありますけどね。
ゆえに、あらかじめ計画的な対策のできない、発生次第対応せざるをえない広聴という案件は、それだけで厄介なのです。
そしてよしんば、そんな厄介な、回答しなければならない広聴案件が来てしまったとします。
その場合に、どのように回答文案を作成するか。
- 過去の回答履歴を検索し、使えそうな文章をコピペして起案する
- 以前の回答と同じだということを念入りに説明して、優先的に決裁をもらう(行政は広聴到達から返信までの期限を設けています)
- 上司の作文チェックを受けた後、返信(この間、何度も手戻りあり)
もちろんコピペとは言え、案件に応じたクッション言葉の違い程度の変化はあるでしょう。
事業フェーズによって、"優先順位も見ながら検討を進めてまいります"だった表現が、"実施に向けて準備を進めております"に変わることもあります。
とはいえ、あくまで質問に対する回答なのです。
回答の正確さについては入念なチェックが入るので、まず間違いないでしょう。
でも、0から1が生まれることはないんだ。
どういうことか。
何の計画もない時点で、「こんな有益な事業はどうしてやらないのか?」→『やりましょう!』ということは、皆無なのです。
広聴レベルのチャンネルに、ぽっと出の提案があったとしても、そこから行政が重い腰を上げるということは、まず、ない。
特徴その二、連携は進まない
二つ目の特徴は、広聴をきっかけに行政組織に横串は刺せないということ。
議会答弁台本の作成では、期間が限られていることもあり、議員とのやりとり、質疑応答を作成するために複数の部門が連携して文章を作成します。
議会という大義名分で、一応は一時的な連携が進むのです。
でも、一般的な広聴ではそれはない。
ただ、受け取った担当課が、いかに大事にしないかを考え、危なげない回答案を前例踏襲で作るのみ。
まとめ
官僚機構におけるお客様の声の扱い方が、このようになってしまうのもうなずけます。
構造的に、そうなっているのだから。
こうした事態に対して、松戸市のすぐやる課のような取り組みはあります。
理念ある首長によるトップダウンでしか、この仕組みを構造的に変えることはできないのでしょう。
でも、そんなものは待っていられない。
嘆いてもいられない。
では、役所とどうやって付き合っていけばいいのか?
次回はそのあたりのことを書いてみたいと思います。
公務員三回生中退の身から見た、「なぜ行政のフットワークは重いか?第2回 決裁主義と議会答弁」
さて、間があまり空かないうちに第2回を書いてみます。
今日は、行政事務を貫く価値観である"決裁主義"について。
第2回
決裁主義とは
役所では、意思決定をすることを決裁と言います。
用例では、「あの件、課長の決裁おりた?」とか、
「まだ決裁前なので正式にはお話できませんが。。」
といったもの。
奇妙な話なのですが、本来的には地方行政とはあくまで"首長"によって担われることになっています。
ですがもちろん、多岐に渡る行政事務を、個人としての市長一人で処理するということは非現実的なので、市役所や区役所という組織が存在し、そこで職員を雇うわけです。
こうした行政職員を補助機関といいます。
それに対して、首長や各種委員会(選挙管理委員会、教育委員会など)は執行機関と呼ばれます。
総務省資料より
まあこうした分類はどうでもよいのですが、大切なのは、職員はあくまで脇役であり、ほとんどの対外的な仕事は首長名義で行うということです。
建前的には首長であるとしても、実務的には事務を処理するのは職員。
そして、職員が事務処理する上では、意思決定が当然求められます。
たとえ、いちヒラ職員の言動であったとしても、あくまでその自治体(=首長)の意思として重みを持ちます。
この、重みを持たせる儀式こそが決裁なのです。
決裁とは、"それが自治体を代表した意思である"という、オーソライズの手続きなわけですね。
こちらが、決裁という仕組みのために用いる起案用紙の例になります。
ここで、"起案者"とあるのが担当レベルの職員だと思ってください。
起案者とはつまり、発案者。
起案者をスタートに、担当職員→係長→課長→関係課(職員→係長→課長)という順に文書が回議され、それぞれがハンコを押していきます。(実際は電子的なシステムも導入されています)
最後にハンコを押すのが決裁権者で、案件によって課長や部長、大きなものでは市長であったりします。
決裁権のある職員の職位によって、課長専決案件、市長専決案件とか呼ばれます。
そしてこの意思決定メカニズムは、対外的な文書に限られません。
例えば細かな部分では、職員個人の有休取得にも同様に決裁が行われますし、庁内照会にあたって、「本案にてXX課に報告します」という場合にも決裁が行われます。
それほど、決裁主義とは行政組織に染み付いた価値観なのです。
決裁主義の影響
この決裁主義が、いかに行政組織のフットワークの重さと結びついてくるかは、容易に想像できることかと思います。
本来的には単独では意思決定できない担当レベルや係長級の職員が、実質の作業を担うということ。
前回の文書主義ともあいまって、それはヘタなことを勝手に、かつ単独にはできないということにつながります。
構造的に、制限された裁量の中で仕事をするという仕組みになっているのです。
「役所はいつも、奥歯にものが挟まったような回答しかしてくれない。。」
という不満をお持ちになったことがあるとすれば、こうした事情が大いに影響していることでしょう。
彼らにとって、独断でヘタな回答をするのは危険だとまで考えているからです。
したがって、例えば説明会の場で思わぬ質問をされた時などは、巧妙に論点をずらすなどして、踏み込んだ回答を避けるのです。
対策として、彼らは念入りな想定問答集を作って説明会などにのぞむこともあります。
口篭ったり、無責任に曖昧な回答をすることで住民を戸惑わせないように対策していくわけですが、他の課の業務に関することについてはやはり口が重くなってしまいます。
柔軟な庁内連携の難しさが、ここにもあるとあうわけです。
そして、次から述べる議会答弁や、次回ご説明する広聴という分野でも、この決裁主義が大きく影響することになります。
議会答弁
自治体は、議会を持っています。
国における国会とはやや性格は異なりますが、直接選挙によって選ばれた地域代表が執行機関を監視する基本的な仕組みは変わりません。
議会と言えば、国会中継のような問答を想像されるかと思います。
議員が質問を行い、役所が回答をするのです。
おそらく有名な話だと思いますが、ここでの議会答弁のやりとりは、完全アドリブのガチバトルではありません。
あくまで事前に細かく調整され、(多くの場合)質問文や回答文についても一字一句合意がなされた台本をお互い読み合っているパフォーマンスなのです。
このあたりは、現職議員お二人のこちらの記事もご参考に。
ただ、パフォーマンスとは言っても、議会における議事は記録・公開されますので、そこで出た発言が一定の重みを持つことは事実です。
テレビ慣れしてしまった僕らは、肉薄した丁々発止なやり取りを期待されるかもしれませんが、残念ながら議会は、テレビのためのエンターテイメントとしてやってるわけではありません。 むしろ、とても儀式的です。 どういう儀式かというと、「約束」の儀式です。 それだけ、議会での発言は重い、特に市役所からの答弁は、内容や答え方によっては、実質的に「〇〇やります」という約束を宣言したことになります。
(上記記事より、下線筆者)
では、その台本を書いているのは誰か。
これは経験的にですが、多くの場合において役所側の職員であろうと思います。
いやまあ、私も書いたことあるので。
横浜市会会議録より
横浜市会 会議録 平成28年 水道・交通委員会-03月16日−02号
繰り返しになりますが、この議会答弁というものは大変位置づけとして重いものです。
その答弁の台本、つまりは読み原稿がどう決まるかを、フローで示しましょう。
ちなみにとある自治体のとある企業部局での経験に基づくものなので、全国一律というわけではないはず。そしてこれは役所側の立場です。
- 係長以上の職員がグループを組んで議員控室を訪ね、議員の興味分野を探る(議員接触)
- ↑の内容を持ち帰って準備して議員を再訪。興味分野に関わる事業についてレクチャーをする。
- その際の議員の反応などを見て、持ち帰って質問項目を挙げる。
- 関連する課を集めて調整などをして、回答案まで作成した後、議員を再訪。(以下、固まるまで繰り返し)
- (答弁案が固まってきたところで)局長室にて部長級以上が集まり、ppt映写しながら回答文の再確認(勉強会)。ここで一字一句レベルの修正が行われる。
ざっとこんな感じでした。
この議会対応の時期が、関連する行政職員にとっては夏の予算要求と並ぶ繁忙期となります。
それもそのはず、議会対応という大義名分のもと、急速に庁内連携・調整が進むわけなのですから。
この庁内調整が、行政職員にとっては非常に面倒なのです。
それゆえに、フローの1である議員接触において、まるで腫れ物に触るかのような対応をしてしまうのです。
「先生、いかがでしょうかね?」のような。
ここでも、ヘタなことを言ってことを大きくしたくない、という決裁主義・文書主義の影響が見られます。
この議会答弁は、明確な起案者→決裁という手続きはとらないわけですが。
でも、局長のような職位最上位の人間の承認を必ず必要とするだけに、ある意味では決裁よりも煩雑だと言えます。
以上、役所の決裁主義価値観と、議会答弁という特殊な業務について書いてみました。
第3回以降は、「広聴」「あえて"レールに乗る"」をテーマに書いてみます。