景観まちづくり塾に対する区民の疑問と提案と - 「町屋銀座まちづくり? 第21回」
荒川区景観まちづくり塾での出来事。
区主催のオフィシャルな場ではなく、グループの自主的なミーティングがあったのですが、私も感じていた違和感が他の受講生の方々からも噴出していました。
「マップをまとめてどうすんの?」
「防災と景観を並べるのは無理があるんじゃないの?」
というもの。
改めて確認すると、今回の連続講座「荒川区景観まちづくり塾」の成果物は、まちの防災・景観スポットを台帳化し、それを携帯できるマップに落とし込むこと。
その意図としては、以下のような感じ。
生存の基本ではあるものの、常に気を張っているわけにはいかない"防災情報"だけをまとめたマップでは日常的に携帯されず、すぐにタンスや書棚の奥にしまわれしまいます。
それではいざ有事の時に活用されないという、本末転倒なことになってしまう。
より防災を日常に近づけるためは"景観まちづくり"の要素が必要だということ。
防災マップよりは日常に近づいた、まちあるきマップのようにすることが有効ではないかと考えられているのです。
まちあるきマップが身近かどうかは置いておくとしても、この総論的な内容は十分に理解できるものです。
本講座の顧問として日本大学まちづくり工学科の岡田先生がついていますが、先生が事前講義にて事例として挙げたのは、例えばこんなもの。
津波や高潮時の避難場所としての小高い丘「命山」を、平常時には市民の憩いの場として整備した事例。
十分に防災と日常を近づけた好事例でしょう。
しかし実際に荒川区を歩いて見ると、事情が少し異なるのです。
例えば区内を歩いてみると、防災的に危険な箇所としては狭い路地や空き家が挙がります。
他にも防災広場やかまどベンチやマンホールトイレなどを挙げることはできます。
それらは、災害時の危険性を表したり、有事に活用されるべきものではあれど、あまりに"防災"に特化しすぎているのです。
景観的な重要性があるかと言えば、そこには大きな乖離があると言わざるをえません。
逆に、"景観"と言われた時に荒川区で何があるかといえばどうでしょう。
隅田川がつくる親水空間や荒川自然公園の広大なオープンスペースのように、ある程度の大きさと広がりを持つ要素であれば、まだ景観と防災の俎上に上がるでしょう。
でもそれ以外に、あくまで街場の良好な景観として挙がるものと言えば?
江戸以前の歴史的な要素は点在していますが、多くの古い街並み(関東大震災後?)は風情があるものの、その多くは老朽木造住宅。
付近にお住まいの人にとっては災害時の火種としての危険性ばかりが気になってしまいます。
未接道であったり経済的な理由であったりで容易に建て替えられない、だからこそ年月を経て深みを増した建物も、今や街の防災力を押し下げる足枷と言わざるを得ません。
事実、私が本講座において「古い密集した街並みが好きなんですよね」と言っても、意外な顔をされるばかり。
そんな荒川区で、求められるようなマップを作ったとしても、受講者自身がそれに何の価値も見出さないものとなってしまいます。
乖離した要素である景観と防災をごった煮にしたところで?という。
これはあまりに邪推であるとは思いますが、単なるマップづくりをすることで行政の成果物として報告することが主なのか、
それともそこから次の政策なり、まちづくり活動が始まることまで想定されているのか。
つまりは本講座が、まちづくりのための講座なのか、
それともあくまで理念のないカルチャースクール、単なる生涯学習としての講座なのか。
そんな、着地点のない議論を、グループで3時間(!)は繰り返したでしょうか。
少しずつ、見えてきたものがあるのです。
「荒川区の魅力は、下町独特の人情にこそあるではないか。
その人情が、キレイに保たれた庭先の植栽や路地裏に現れているのではないか?」
(つづく)