荒川区路地風景コンテストPJの胎動(予告)
まちづくりって何なのさ。
流行りのリノベーションまちづくりもコミュニティデザインも、ややクラシックな行政介入型まちづくりも、まちおこしも村おこしも、何もかも、まちづくり。
自分が一番こだわってたような気がするけど、なんかもう定義とか種類とかどうでもいいよねー?
「あらかわ路地風景コンテスト」プロジェクトを構想中。地元の意識ある方々と議論するためのたたき台を作成してるのですが、ぶっちゃけ何も決まってないので何をしてよいかわからない。暗中模索するしかないですよね。 pic.twitter.com/rHZLzkUdV7
— こむば氏@荒川 (@KMB_Masa) 2017年1月1日
作戦会議を始めます。
テーマは、荒川区内の路地。
京都祇園や神楽坂とか、石畳を基調とした路地空間は魅力的だし、来街者にとっても楽しい。
お住いの方々にとっての誇りにもつながる。
京都祇園の路地
祇園界隈のフリー写真素材|東京・日本の街のフリー無料写真素材集【街画ガイド】
神楽坂の路地
話題のおしゃれセレクトショップ神楽坂『la kagu(ラカグ)』 | キナリノ
ちなみにこれらの路地も実は、花柳街という歴史的な経緯だけで存在しているわけではありません。
いずれも、幅員4m未満の細街路であるからこその課題を抱えていたものの、街の魅力の保全を望む方々や、行政の柔軟な制度運用によって活かされた空間なのです。
では、アスファルトとブロック塀、苔や盆栽によって彩られた下町の路地はどうでしょう?
お住まいの方にとってそれはあまりに普通で当たり前である上に、その多くは生活感ありすぎる空間のため、表立って観光的な使われ方がなされるわけではありません。
その結果、"空間的余裕がない""沿道建物も老朽化"といった課題のみがクローズアップされ、お住いの方々にとっても防災的に脆弱であるという自虐的な意識が支配的になり、「荒川区に魅力なんて。。」となってしまう。
それはとてももったいないことだな、と余所者の私は思うわけです。
下町の路地が美しく保たれているのはなぜか?
自邸の前だけでなく、「向こう三軒両隣」まで掃除をするお母さん方の存在。
所有者自身のお宅向けではなく、あくまで通りに向けられたプランターの小さな緑たち。
そんなお住いの方々の気遣いや小さな公共心によって、魅力的な路地空間が維持されているのです。
これは愛でるべき資産であると、思う。
そしてもっとお住いの方々は誇らしく感じてよいと、思うわけです。
もちろん、防災的な話を無視することはできません。
例えば、先の糸魚川市における火災があそこまで延焼してしまったのは、南風という気象要因もさることながら、建物が隙間なく密集していたことも大きな要因とされています。
改めて糸魚川大火の焼失区域をみると,東西を横切る広幅員道路が2本通っているものの,出火点付近は極めて建物密度の高い街区となっており,いくつかの建物がほとんど密着しているような状態でした.火災は初期の対応が最も効果的であり,時間が経てば経つほど火勢が強くなるため,対応が困難になることが知られています.風上側はわずかに建物と建物の間に隙間があったものの,風下側と風横側東部は難しい消火活動を余儀なくされ,飛び火による他街区への着火もあいまって大規模な延焼に繋がったものと考えられます.糸魚川大火のような都市大火は,わが国で今後発生するのか?(廣井悠) - 個人 - Yahoo!ニュース
また、路地空間の多くは建築基準法42条二項道路(幅員4m未満)により構成されています。
建築基準法によれば、建築行為を行うことのできる敷地は原則的に、幅員4m以上の道路に2m以上接していなければならないことから、次回建て替えの際に幅員4mとなるよう敷地後退(セットバック)が義務付けられています。
路地の魅力が、狭いからこそのものであるとするならば、それはまちの更新に伴い、消えていくこと(=魅力の消滅)が約束されている空間なのです。
そこを、なんとか両立できないものか。
荒川区景観まちづくり塾を通じて出会った方々と、そんなテーマでこれから作戦会議を重ねていくこととなりました。
当面の目標は路地コンテストの開催ですが、それで終わってたまるものか。
このジャンルの先進事例は以下の2つのものが考えられます。
横浜市 都市整備局 地域まちづくりの推進 ヨコハマ市民まち普請事業 ヨコハマ市民まち普請事業概要
そんな方向性ではあるのですが、いずれも行政主体の取り組みでありボトムアップ型ではありません。
また、今回取り上げようとしている路地空間の魅力は先述した2項道路による空間的狭さや、プランター等による違法占有といったデリケートな話題に関連するため、行政組織が表立って取り組むことが難しい領域であると考えられます。
そこに、住民組織の強みがあるのではないかというわけです。
誤解を恐れず申し上げれば、慈善行為をしようとしているわけではありません。
もちろん公益性がこの取り組みの肝だとは感じますが、そのモチベーションは「自分にとって住みよい、楽しい街にしたい」という利己的な価値観、下心まみれで進めていくつもりです。
しかし取り組むからには全力で、これまで蓄積した諸々を棚卸ししながら進めていく所存です。
作戦会議の進捗など、またこちらで報告していけれれば。
【雑談】帰省中に発動する自己防衛的マウンティング
今回の年末年始は地元でゆっくりしていました。
父母それぞれの在住地がスプリットしているせいで、やや移動時間に割合を割くということはありましたが。
それでも、友達と会って遊んだり飲んだり、親族の集まる場に顔を出したりと、一通りの自分的恒例行事は済ませられたかなと思います。
横浜に戻るバスの中でヒマなので、そんな帰省生活中に感じた自己防衛について書いてみる。
果たして特殊な感覚なのか、はたまたあるあるなのか。。。?
"夢だった"感
帰省して親元に帰ると、"頑張らなくてよい"スイッチが入りますよね。
普段職場などで緊張感持って接する顧客や同僚が、生活から全く消える。
さらに(場合にもよりますが)炊事をはじめとした家事労働からも、一時的に解放される。
単身生活では全て自分で決めて行動することが当たり前で、ある意味オンもオフも"頑張っていた"と言えます。
肩肘張ってた、とも言うのでしょうかね。
それが、ほとんど一切なくなる。
その感覚が、まるで別の世界に来てしまったかのような感じなのです。
横浜に住んで都内に勤務して、休日も荒川区絡みで意識高めに活動してた毎日が、"まるで夢だった"のではないかと。
実際は空間的に連続な世界で、ただ"帰宅しただけ"なのですが、緩む方向の変化が著しいからこそ、そんな感覚を持ってしまうのです。
でもステータスとしての"頑張ってるワタシ"はこびりついてる
それでも実際は夢なんかではないわけで、"東大院卒→地方公務員経由→まちづくりコンサルタント"という偏ったステータスに拘っている自分は明らかにいるわけです。
だから地元にとどまっている昔からの友人達と飲んでる時に話す内容や、親族の集まった場で話される内容についても、そのステータス・視点で解釈してしまう。
例を挙げると角が立ちそうなので述べませんが、つまりはなんだか下に見てしまうのです。
うん、とても性格悪い。
が、条件反射的な適応機制(防衛機制)でもあると感じているので、敢えてもう少し考えてみます。
防衛機制(ぼうえいきせい、英: defence mechanism)とは、精神分析で用いられる用語であり、欲求不満などによって社会に適応が出来ない状態に陥った時に行われる自我の再適応メカニズムを指す。広義においては、自我と超自我が本能的衝動をコントロールする全ての操作を指す。
(wikipediaより)
そこには、人より苦労して頑張ってきた自分すごいな、という可哀想な自尊心があります。
実際は肩書きは記号に過ぎないのですが、人生のあるフェーズ(大学受験)までは、その記号を手に入れることで人間の価値が決まるのだというくらいに盲目的に考えていたわけです。
もちろん今では、本当の意味で生き方や輝き方が多様であることを、頭では理解しています。
それでも、前述した盲目的価値観に基づいた選択行動に、人生の多くを注いできた過去の自分に同情して、心の上ではこの多様性を理解できていないのです。
それは、マウンティングという言葉に近いような気がします。
悲しい消極的マウンティング
マウンティングとは。
マウンティングとは、本来、動物が自分の優位性を表すために相手に対して馬乗りになる様子をいいますが、人間関係においては、「自分の方が優位」と思いたいがゆえに、「私の方が他人よりも幸せである」と一方的に格付けし、自分の方が立場は上であると主張し、更にそれをアピールするのがマウンティング女子です。
(@typeより)
ここで表されているマウンティングと今回の事情がやや異なるのが、具体的な言動には出ないということです。
前述したように、あくまで他人の言動を解釈する際の、防衛機制としての消極的マウンティング。
だから、コミュニケーションの相手に対して、実際に卑下する言動をとらないのです。
自分の発言の節々に現れている可能性は否定できませんが、意識としては本当にありません。
なぜ最近強まってきたのか?
この感覚、もちろん今に始まったことではありません。
20歳近くで地元を離れてから、年に数えるほどしか故郷に帰らなくなって10年は経っています。
最初からそんな感覚はあった。
しかし、やや強まってきた気はするのです。
その原因は明らかで、"生き遅れている"感です。
私の故郷をはじめとして地方では、ライフステージの変化が早まる傾向があると感じます。
要は、就職→結婚→出産を迎えた同学年が多数を占めてきたわけです。
中では終の住処としてのマイホームを建てている同学も珍しくなくなってきました。
また、地方ではそんな傾向もあいまってか、そんな価値観こそ是とされるような被害妄想があります。
結婚至上主義の価値観はやや弱まってきているのか、親族にもはっきりと"まだ結婚しないの?"と言われることはありませんでした。
でも現実に、ライフステージを順調に登っている人間が多数派になった空間にどっぷり浸かると、無言の圧力や生き遅れ感を、必要以上に感じてしまっています。
そんなプレッシャーを受けても、"はいそうですか"と価値観を同調させるということはありません。
そこは先のステータス意識が、頑ななほどに胡座をかいて価値観の同調を阻んでおり、自分を肯定するために消極的マウンティングに走るのです。
「忘れたのか?オマエは彼らとは生き方が違うのだ」と。
むすびに
わりかし恐る恐る書いてみました。
どうなのかなー、自分だけなのかな?
書き忘れてましたが、今回書いたような"呪い"にまだ振り回されてるのは、きっと自分がまだ途上段階にいると思っているからだと考えています。
自分が納得できる一定の状態、それは記号としてのステータスなのか成果をあげた状態なのか不明ですが、そこに至ろうとしている途上だということ。
ならば頑張るしかないでしょう。
と、いうことで。
それが言いたかったわけで、元旦所信表明の延長でした。
やりがい搾取vsやりがい潔癖性 - 「なぜ役所を辞めたのか?第4回(最終回) 地方公務員という生き方」
さて、このシリーズもそろそろ終えましょう。
私は2016年7月末をもって、勤続2年4ヶ月の役所を退職して民間人となりました。
その背景を説明するために、役所における建築系技術職員としての働き方をレビューしてみました。
ややマニアックかつ、冗長な文字情報だけではイメージしづらい部分もあったかと思います。
役所で働くとは
前回までんエントリでは、私の経験ベースではありますが、事実を中心に書いてきました。
ここからは主観ベースで書いていきます。
まずは大前提。
建築系であるかないかを問わず、役所で地方公務員として働くということは、人生をその自治体に捧げるということに他なりません。
それは建前上のこと(全体の奉仕者)ですが、実際はそれ以上に実生活に影響してきました。
地方公務員は、一年間の担当を"◯◯係"と呼びます。
まるで小中学校時代のクラス係分担をイメージさせる、あれです。
学校のように1年や半年周期とまではいきませんが、役所におけるキャリアパスはこの"係"を2〜4年周期で渡り歩くことです。
"係"であるがゆえに、どんな職員がローテーションでその係に就いたとしても、基本的に同質のパフォーマンスとなるような人事システムとなっています。
事務職であれば、本当にポジションは様々。
窓口で住民票や戸籍を担当していたかと思えば、税金の回収業務(取り立て)にいくかもしれない。その次は、技術職ばかりの課で庶務担当をしているかもしれない。
建築や土木といった技術職であっても、先日のエントリにあったような営繕業務・審査業務・都市整備業務を中心にどこに就くかは予測できません。
このシステムを肯定する人にとっては、「異動のたびに仕事が大きく変わるから、転職する必要がない」と感じるようです。
なるほど、一定の周期で仕事が大きく変わるからこそ、実務に飽きることはないということはメリットでもあるのでしょう。
しかしここには、"いったい役所でどんな仕事をしたかったのか"という、入庁時の青臭いモチベーションを忘れさせてしまう大きな罠があります。
このシステムに慣れてしまうと、「入庁時はやりたかった仕事があるような気がするけど、まあ大組織だから仕方ないよね。でも社会的に守られながら安定した人生を遅れるし、このまま公務員を続ければいいかな」という考えに傾いても仕方ないのです。
役所志望者の2類型-「生き方」型と「やりがい」型
転職で役所に入る人はともかく、新卒で役所を志す人には2タイプあると考えます。
それは、「①役所という生き方に惹かれる」という人と、「②学んだことを、社会のために還元したい。そして、それは役所でしかできない」という人。
①を「生き方」型、②を「やりがい」型とここでは呼ぶこととしましょう。
①はどちらかと言えば、仕事に対してやりがいをそれほど求めてはおらず、前述のような安定性を承知の上で入庁してきます。
②は技術職や専門職に多い傾向ですが、要はやりがいベースで入庁する人々です。
このシステムは、②の人を①にしてしまう圧力があるのです。
彼または彼女が抱いていた、"やりたかったこと"に対して、いつまでも人事異動上のおあずけを強いられた結果、もはや②「やりがい」型でいることはリスクでしかなくなってしまうのです。
なぜか?
それは、搾取を感じてしまうから。
参考イメージ(togetterより)
やりがい搾取vsやりがい潔癖性
さて、ここまで書いてきた被害妄想ですが、つまりは私が感じ続けてきたことです。
私は大学院までで学んだ都市計画・まちづくりを仕事にして、社会に還元したかった。
そしてそれは役所の仕事としての都市計画で、実現させるために建築職員として入庁したわけです。
ただ、それは無限定な"社会への還元"や"やりがい"といったもので、具体的に"何のために何をしたいか"という意識は低かった。
でも、「何のためには働きたくはないか」ということはハッキリしすぎていた。
そんな"やりがい潔癖性"だった私にとって、"やりがい搾取"という妄想はみるみる膨れ上がります。
もちろん、感じていた価値観が、公務員の建前上の価値観と親和性が高かったことは事実でしょう。
"住民参加のまちづくり""住民主体のまちづくり"。。。
意欲的な政策もありました。
横浜市 都市整備局 地域まちづくりの推進 ヨコハマ市民まち普請事業 ヨコハマ市民まち普請事業 トップ
また、最初の配属が特殊な営繕業務であったことで、異動のタイミングがかなり遅れそうだということも影響しました。
5年後?7年後?
いつまでこの仕事をするのだろう?いつ、やりたいポジションに就けるのだろう?
よしんばやりたいポジションに就けたとして、その先また異動した後はどうするのだろう?
担当監督員時代の解体工事
まとめ
以上、役所の業務のレビューから、私が役所を辞めて転職をしたpull要因を説明してみました。
2年4ヶ月で何がわかったのか。
我慢が足りなかったのではないか。
そんな指摘はあり得るでしょう。的を射ています。
私もそう思うところはあります。
それでも人生は有限であり、タイミングは自分で決めるのです。
違和感を感じて、耐えながらもこの先歩んでいくことと、
自らの意思で立場を変えながら、いるべき場所ややるべき使命を求めながら試行錯誤していくことを比較して、私は後者の生き方を選択しました。
"マドルスルー"という言葉が好きです。
それはもがいてもがいて、試行錯誤の結果ようやく前進させていく突破の仕方を指す言葉です。
"正しい方法による劇的な突破"を表す、ブレイクスルーに対する言葉です。
2017年もマドルスルーの精神で、公私ともに頑張っていきます。
役所の工事監督業務について詳しめに書いてみた - 「なぜ役所を辞めたのか?第3回 営繕業務とは【後編・監督編】」
今日は第3回。
役所の営繕業務のうち、設計業務の後に発生する工事監督業務について書いてみます。
第1回、第2回はこちらからどうぞ。
工事請負契約
前回までに述べたような工事情報を入札情報として公告した後、適正な有資格者が落札したとします。
ここから、改めてその契約候補者の適正が審査され、問題がなければ工事請負契約の締結となります。
一体何が審査されるのかと言えば、建設業の許可状況であったり、雇用している技術者の資格状況や、兼任の工事の存在などです。
工事請負契約書は、工事入札時の設計図書一式に加えて、表紙と約款によって構成されます。
表紙はこんな感じ。
工事請負契約書の参考イメージ(全建総連HPより)
そして、約款はこんな感じです。
工事請負契約約款のイメージ(横浜市HPより)
約款とは、契約の履行にあたって両者が守るべき細かなルール一式をまとめたもので、自治体ごとに作られているようです。
契約日から何日以内に工程表を提出しなければいけない、とか、そんなことが定められています。
契約に至った後は、正式な請負人の代表者が担当課の窓口に赴き、ここでようやく初顔合わせ。
そこから、工事監督業務が始まることとなります。
え、工事監督って、、、現場に出るの??
工事監督≠現場監督
役所における工事監督とは、工事施工における現場監督とは全く意味が異なります。
工事現場に常駐する、請負人側の現場監督は、あくまで施工管理をするためのもの。
様々な工種の作業員さんのアタマとして、仕事を仕切ります。
こちらのほうはあくまで管理をする監督なので、"たけかん"と呼ばれます。
一方で役所で任命される工事監督は、公金を支払って実施される工事が、契約内容通り、品質面でも安全面でも無事に完成することを監督する立場です。
建築基準法上の"工事監理"にほぼ近く、そうであれば"さらかん"と表現する立場に近いですね。
「工事監理」とは、その者の責任において、工事を設計図書と照合し、それが設計図書のとおりに実施されているかいないかを確認すること
(建築士法第2条より)
従って、工事請負契約を締結した後、役所側がまず最初にすることは、監督員を明示することです。
請負人に対して「この工事の監督員(担当職員)はAです。今後はAとやりとりを行ってくださいね。」と通知するわけです。
実際の監督員任命通知(横浜市工事監督事務取扱要綱より)
監督員の具体的な実務
さて、工事監督業務が始まりました。
契約直後は比較的動きが慌ただしくなる傾向にあり、
- 契約内容の読み合わせ
- 着手時書類の提出
- 工事の流れの説明
- 現場調査への同行
- 監督官庁(道路占有・道路使用関係ほか)との打ち合わせ
- 実施工程・施工計画書ほか施工書類の承認
という流れになります。
現場調査を踏まえて請負人さんは施工計画書の作成に入るので、資材搬入や仮囲いの設置といった実際の現場乗り込みは、契約後1ヶ月半後程度という傾向でした。
もちろん工事規模に応じて、事前調整だけで数ヶ月間ということもあり得ます。
ちなみに、施工計画書とはその名の通り、施工プロセスや安全管理の方法を明文化した計画書です。
コンクリート工事や鉄骨工事といった工種別に施工計画書が作られることもありますし、小規模な工事の場合は複数工種であっても総合施工計画書一本で済ませるということもあります。
工事監督の実務で重要なことは2つあったと感じます。
それは、「①マニュアルがない」ことと、「②基本的に書類仕事である」ことです。
現場が始まるとフリーダム化
「①マニュアルがない」だけに自由で、担当職員によって工事監督の具体的なやり方は様々です。
もちろん工事内容にもよりますが、極端にいえば。
足繁く現場に通って状況を目視する監督員もいれば、
工事中ほとんど現場に行くことのない監督員もいます。
監督実務の方法が分かれる大きな要因は、現場で監督員がすることがないからです。
当たり前ながら工事は"請け負われて"いるのであり、契約履行は請負人によって行われます。
仮設計画直後や墨出し・位置出し、解体範囲の確認など、現場で確認すべきフェーズはあるわけですが、そうした必要なタイミングに限って現場に行けばよいのであり、訪問頻度を上げることによるメリットはあまりありません。
作業員にプレッシャーをかけることが良い方向に出ればよいですが。。。
考えられる二つ目の要因として、安全の管理には際限がないからということもあります。
これは言わずもがなですが、実務となると難しいものです。
以上から、監督員が現場確認する頻度は自ずと少なくなります。
多くは、週1回程度の工程会議開催前後に現場を確認するくらいになるほか、小規模な工事では工程会議すら開かれません。
すると、「②基本的に書類仕事」となるのです。
前述した施工計画書や実施工程表、週間工程表や作業日報など、請負人から提出される書類を読み、承認する。決裁ですね。
これらを、担当監督員→主任監督員→総括監督員といった順序で回議し、決裁されたところで請負人に返却する。
このサイクルを続けていれば、乱暴な話、工事は進みます。
設計変更
工事が始まって現場が進むと、設計時に想定していなかった作業が必要になることもあります。
例えば改修工事において既存部分の解体を進めている際に、石綿(アスベスト)が見つかってしまった場合はどうでしょうか。
いろいろなことが考えられますが、この場合は石綿を除去する作業が必要になります。
契約時の設計図書にないのであれば、その除去作業を追加した契約内容に変更してやる必要が生じるわけです。
請負人にとっては工事全体の収支に関わる重要な設計変更なのですが、行政職員にとっては気軽なものではありません。
それは、予め確保した予算を超えたくないという事情ももちろんあるわけですが、なんと事務作業が面倒であるというトンデモ理由もあります。
設計変更を行う場合、設計業務に戻ってほぼ同じ作業をやり直す必要があるので、行政職員は尻込みしてしまうのです。
検査
一般的な事業所では、注文した物品が納品されたらすぐに代金を支払うのでしょう。
しかし役所では、納品から支払いの間に、「納品された物品は本当に契約内容の通りである」ことを確認する検査があります。
もちろん工事においても同様で、契約通りの内容が履行されたということを検査します。
具体的な工事検査には、書類検査と現場検査に分かれます。
書類検査では、工事中にやりとりされた書類や工事写真、完成図等をまとめた工事完成図書を確認します。
現場検査は言わずもがな、ですかね。
検査で無事に合格となれば、請負人さんはようやく工事代金を請求する権利が発生します。
まとめ
またしても冗長な文となってしまいましたが、ここで主張したいことは少ないです。
それは、工事監督はやりがいを感じにくい仕事であるということ。
よく、役所の仕事の中で営繕業務を、"実際に形になる、見える"仕事として評価する向きがあります。
しかし私はそうは思えませんでした。
工事するのは請負人さんです。請負人さんが建物や工作物を作ってくれるのです。
その完成物を見て、担当監督員に過ぎない自分が、"これは私がつくったものだ"という感覚を持つことは難しいです。
営繕部門の行政職員の使命とは、予め定めた発注スケジュールに沿って、予定通りの工事を進めることです。
ゆえにできるだけ工事契約期間以内で、突然の設計変更も発生させず。仕事も増やさず。
もちろん、設計内容に個人的な嗜好を挟んだりすることは可能なわけですが。
そして厄介なのが、監督員と現場代理人(請負人の代表者)の、決して対等ではない関係性です。
いや、本来的には対等なのです。
一つ目の要因は、現場代理人は担当監督員よりも遥かに年上の方が務めることが多いのですが、必要以上にペコペコしてしまうことです(もちろん気持ちはわかるのです)。
二つ目の要因として、担当監督員は大した専門的蓄積もないのに、承認一つで現場代理人を振り回すことができる立場にあることです。
あくまで役所のお金を使った工事であるのに、”いかに請負人に金額以上の働きをさせるか”という、お客であるような、傲慢でおかしな感覚を持ってしまいがちなのです。
これはあくまで個人的意見ですが。
そんな違和感の蓄積が、役所を辞めて転職したpush要因の一つです。
2017年の幕開けと願いと
無事に新しい年が明けましたね。
ありがとう2016年、2017年これからよろしく。
2016年→2017年のカウントダウンは、愛知県蒲郡市の生家近くの氏神様「竹谷神社」にて過ごしました。
ちなみに生家は既に売却されており、ありませんが。。
年明け直後の竹谷神社
年明け前に列に並び、氏子連の方々から絵馬とお菓子を受け取る。
そしてお参り。
祈願の内容は神様だけに伝わればいいのでしょうが、決意表明も込めてこちらでも。
絵馬の表面が独特な感触で書きにくかった。。。下手でお恥ずかしい
無病息災(定番)→30代も本格的に突入なので、より一層身体には気をつけねば。バドミントンクラブ入りますよ。
専門熟達(造語)→とにかく仕事に慣れる!というか慣れる以上に、専門性を増して自分の存在を目立たせるように。FPなど新たな資格にも挑んでいきますよ。デザイン系の技能も欲しい。
実践反復(造語)→頭でっかちから離れて、自ら動く人になるために。
もう本当に、一年間という単位が、体感としてどんどん短くなっている印象。
この現象はなぜでしょうか。なぜだろう。
それは、小・中学生の頃のような、新たな知識や世界との出会い、はたまた世界の広がりというものが、どんどん減ってきているからなのかなーと思います。
例えるなら、昔は新品のスポンジのような状態で多くを吸収できるような気持ちでいられたのが、年を経るに連れて余地が減ってきている状態に似ているのかなと。
しかし、それでよいものか。
それで気持ちが萎縮してしまったり「ああ、人生ってまあこんなもんだよな」という達観に至ってたまるものか。
それは精神の老化だと、思う。
2017年はこれまで以上に新たな出会いや挑戦に臆せず、歩みを止めずに邁進していく次第です。
"青臭い""大人になれない"という指摘は甘んじて受けましょう。
そっちのほうが自分は、面白い人生だと思うので。
役所の設計業務について詳しめに書いてみた - 「なぜ役所を辞めたのか?第2回 営繕業務とは【前半・設計編】」
前回のエントリでは、役所における建築系職員の職域を簡単にレビューしてみました。
役所には「建築行政」「都市整備」「建築営繕」の3つの職域があって、大まかな人数比では5:3:2くらいの感覚です。
営繕とは
まず、私が役所でどんな仕事に従事していたのかということ。
それは、3つの職域のうち三つ目に挙げた営繕業務でした。
営繕とは、「建築物の営造と修繕」のことをいい、建築物の新築、増築、改築、修繕、模様替等の工事を指します。
(国土交通省HPより)
以下に、実務の具体的な流れを説明してみます。
私は改修工事しか経験がないので、改修に限った場合としてご理解いただければ。
設計(狭義)
まずは工事図面を作成するところから。。。と思いきや、その前に計画を策定することが必要になります。
一般に、計画のフェーズには以下の4段階があると言われます。
①基本構想→②基本計画→③基本設計→④実施設計
このうち四つ目の④実施設計こそが実際の工事発注に使われるものなのですが、小規模な改修工事では最終段階の実施設計から始めることが少なくありません。
もちろん中規模以上の工事、例えば庁舎の新築やリニューアルにおいては、基本計画や基本設計、基本構想の段階から始めることになります。
参考イメージとして、「ゆいの森あらかわ」における基本構想と基本計画、基本設計を示しておきましょう。
「(仮称)吉村昭記念文学館基本構想」がまとまりました 荒川区公式ホームページ
(仮称)荒川二丁目複合施設基本計画を策定しました 荒川区公式ホームページ
(仮称)荒川二丁目複合施設の基本設計がまとまりました 荒川区公式ホームページ
さて、実施設計まで進んだとします。
まずは現地調査で得られた情報や事前計画を材料に、工事の図面を作成することになります。
作成するのは、配置図や全体平面図、断面図、天伏図、必要があればそれぞれの詳細図面。
改修工事では既存施設のどの部分を改修するのかをハッチで示したり、現況と改修内容がきちんとわかるような図面を作成しなければなりません。
これらを、CADと呼ばれる作図ソフトを使用して作成します。
実施設計図の参考イメージ(福井コンピュータアーキテクトHPより)
工事図面が完成した後は、図面で表現できない事項を書き連ねた各種仕様書を作成します。
どこの官庁営繕工事でも従う内容は国土交通省作成の共通仕様書に記載されていますので、工事毎に作成する仕様書は特記仕様書とか特則仕様書とか呼ばれます。
積算
次は工事の金額を計算するフェーズで、積算と呼ばれます。
作成した工事図面から、必要な材料や作業の数量を全て拾い上げます。(数量拾い)
次にそれらを数量計算書としてまとめ、必要な数量を決定します。
数量計算書の参考イメージ(建物診断設計事業協同組合HPより)
数量計算書が完成した後は、設計書と呼ばれる工事の内訳書を作成します。
工事図面からだけでも、工事に必要な作業や材料についての情報を読み取ることは可能ですが、それだけでは解釈に幅のある部分も出てしまいます。
それを防ぐための参考として、役所では工事金額の算定に用いた項目(細目など)とそれぞれの数量を、補助的に公開するのです。
例(適当です)
細目 | 摘要 | 数量 | 単価 | 金額 |
---|---|---|---|---|
コンクリート打設 |
普通コンクリート 呼び強度?? スランプ?? 打設手間共 人力 |
??㎥ |
ここで大事なのは、公開されるのは細目名称と数量のみで、単価の情報は隠されていることです。
役所で使っている単価は機密情報とされ、流出が厳しく禁止されています。
入札候補者はその空欄に独自の金額を入れて、入札価格を決めるわけです。
実際のRIBC画面イメージ(一般財団法人建築コスト管理システム研究所HPより)
この設計書が確定することで設計作業は完了。
ここで作成した一式のものが、設計図書となるわけです。
設計図書(せっけいとしょ)とは、工事を実施するために必要な図書で、設計の内容を示す書類。図面(設計図面)・設計書及び仕様書・その他の書類(現場説明事項書や構造計算書等)からなる。建築物や工作物の製作・施工に必要な図面類と仕様書の総称。実施設計図書とも呼ばれる。
(wikipediaより)
決裁
営繕業務に限ったことではありませんが、役所が意思決定することを一般に決裁と呼びます。
これで決定、フィックスだということですね。
設計図書の作成においても、
①金額算定前(金額抜き設計図書)→②金額算定後(金額入り設計図書)→③工事契約を依頼しますよ(工事施行)の3段階において決裁をする必要があります。
決裁とはつまり、ハンコです。
工事の規模に応じて、課長までの案件であったり、部長までの案件であったり、局長までのハンコが必要な案件と様々。
担当者から始まって順番に回議し、必要なハンコが揃った時に、決裁となるのです。
横浜市の起案用紙(横浜市行政文書取扱規程より)
工事の設計図書が確定したところで、工事契約を担当する部門に持ち込みを行い、工事入札となるのです。
設計業務委託
大事な情報を最後に出すわけですが。。
ここまでに説明した設計業務を、公務員が直営で行うことはほとんどありません。
小規模な工事を除いては、設計業務自体を設計事務所やコンサルタントに丸投げ委託するのです。
ですので、複雑の図面の作成や積算業務、実際に手と頭を動かすのは受託業者ということになり、行政担当者はあくまで委託業務を監督する立場にすぎません。
もちろん、監督する上では工事の内容を理解する必要はあるのですが、専門技術を有する設計事務所が実作業を担うことになります。
行政担当者は必要な調整(庁内関係課や監督官庁との打合せ設定など)を行うほか、図面の途中チェックをすることとなるのですが、技術や専門知識が蓄積されていない素人目線のチェックになってしまいがちなデメリットは残ります。
行政担当者が直営設計を行わなくなった背景には、市内中小企業へ仕事機会を与えようという意図があります。
まとめ
以上、役所の営繕業務の半分である設計業務について、簡単に説明してみました。
工事を発注する前に、設計図書を作成するということ。
そして、その作成業務自体も外注化されており、行政職員が自ら図面を描画することは少なくなっているということ。
行政職員が、外注化された仕事のチェック係になってしまう昨今においては、責任が不明瞭になってしまうことから、積算ミスが増えてしまうのも経験的にうなずけるものです。
その積算ミスは、たまに起こる事件によって明るみに出ることとなるわけですね。
役所就職志望の建築学生への参考に - 「なぜ役所を辞めたのか?第1回 役所における建築の仕事」
先日、市役所勤務時代の職種同期の忘年会にお邪魔しました。
実は退職してから集まりに顔を一切出しておらず、緊張しながら久々の横浜へ。
どんな顔を見せれば。。。?
そんな心配はいらぬものでした。
フタを開けると、なんとそれはサプライズの送別会でした。
緊張で過呼吸になりながら職場同期の忘年会に行ったらサプライズで送別会されて寄書きと花束もらってカラオケまで楽しんだのに終電逃しそうになって豪雨の中駅まで全力疾走したら紙袋の底が抜けて寄書きを紛失したのが今。。
— こむば氏@荒川 (@KMB_Masa) 2016年12月22日
職種同期より送られた花束
さて、そういえば退職に関する記事を書いていませんでした。
今年のこととは言えやはり記憶が薄まってきているな。。
よし、思い出せるうちに書きとどめておこうと思います。
なぜ退職を決めたのか。
そもそも役所で建築職員は何をやっているのか。
そして公務員を辞めるとどうなるのか。
第1回 役所で、建築職員は何をやっているのか?
今日はさわりとして、ここから。
私は2014年4月に、人口日本一の政令指定都市に技術職員として入庁しました。
大学院で都市計画・まちづくりを専攻していた私は、建築専門の技術職員を選択。
有り体に言えば、”大学で学んだことを公共に還元したかった”のです。
ここで基礎的な情報ですが、役所で建築系の技術職員といえば3つの職域に分かれます。
もちろん、その自治体が市町村レベルの基礎自治体か、それとも都道府県レベルの広域自治体かどうかということや、建築主事を置く特定行政庁なのかどうかということも関わってきますので、一概なことは言えません。
今回挙げる例は、神奈川県のとある政令指定都市(もちろん特定行政庁)を想定しています。
特定行政庁(とくていぎょうせいちょう)は、建築主事を置く地方公共団体、およびその長のこと。建築の確認申請、違反建築物に対する是正命令等の建築行政全般を司る行政機関。 建築基準法第二条第三十五号に規定されている。
(wikipediaより)
①建築行政を司る職域(建築行政)
これから工事されようとしている建築物が、果たして適法かどうかを審査する業務です。
建築という行為はもちろん個人的なものですが、各々が敷地に好き勝手な建築物を作っていては秩序ある街が形成されないことから、法律に基づくルールに則って立てられる必要があります。
具体的には、建築確認申請(建築基準法)や開発許可(都市計画法)などが代表的で、総じて法律を司る番人としてのお仕事と言えます。
役所においては新人職員の登竜門と位置付けられ、ここで洗礼を受けることで、法解釈に関する専門性を向上させることとなります。
実際、一年目の半数近くがこの部門への配属でした。
②自ら都市整備をコーディネートする職域(都市整備)
※参考 高島二丁目地区第一種市街地再開発事業(横浜市HPより)
本来的には、住民から税金を集めて行う行政事業には、公平性や平等性が求められます。
当然ながらそれゆえに、投資の恩恵が限定されてしまう事業は難しい(「不公平だ!」となる)ものなのですが、都市のポテンシャルや課題解決の必要性を鑑みて、あえて全体ではなく”部分”に投資をする事業の一つが、都市整備事業だというわけです。
例えば、ターミナル駅の駅前などは人の流れも集積することから、土地利用を高度化すべきだという考え方があります。
床を増やして、商業など消費の舞台を増やすことが、ゆくゆくは公共に資することとなり、自治体経営という意味でも望ましい姿だと考えられているのです。
しかし実際多くの都市において、駅前に老朽建物が密集しているなど、本来的な土地利用がされていない、という状態になっています。
この状態を”土地の低未利用”と呼び、行政がテコ入れすることが共同建て替えや再開発事業を行い、高度化が試みられることとなるのです。
※参考記事
都市整備の別パターンとして、課題を抱えた市街地の解決ということもあります。
共同建て替えや再開発事業が、”プラスを倍増させる”動きだとすれば、こちらは”マイナスを縮める”動きと言えるでしょう。
この最たるものが密集市街地の問題で、以前のエントリにて取り上げたこともありました。
このように、都市のポテンシャルを活かしたり、課題解決のために特定地区に行政介入を行うことこそ、行政の都市整備業務です。
実務は権利者との息の長い調整や、行政内部の調整など、地道かつ長期間の仕事です。
さらに言えばこの分野は、業務のうち一定の割合が外注化されていることも特徴です。
都市計画のコンサルタントや開発事業者に業務委託を行うことで専門的作業はそちらに任せ、行政担当者は取捨選択や判断・決定をしていくことが仕事となります。
③行政組織が保有する施設のお守りを行う(建築営繕)
3つ目は比較的わかりやすいものです。
市役所や公民館、学校や公営住宅など、行政は本当に多くの建築物を保有しています。
それらを新設することも大事ですが、もちろん作って終わりではありません。
例えばタイル仕上げは経年劣化による剥落が懸念されますし、エレベーターなどの昇降機設備は定期的なメンテナンスを欠かせることができません。
ゆえに内外装や設備など、それぞれに適した周期で改修や更新を行う必要があり、工事を発注する必要が生じるのです。
実務の流れとしては、工事の内容を設計し、図面や仕様書、内訳書等からなる設計図書を作成します。
その工事情報が公告され、入札となります。
開札後、適正な有資格者が落札していれば、工事請負契約が締結されます。
そこからは、請負人が本当に設計図通りに仕上げるどうかを監督(監視)する業務。
各種施工計画書や施工図面を承認し、日々動く現場を監視し、無事かつ安全に完成されることを見届けるという。
これを営繕業務と呼びます。
ちなみに私が行政で経験したのはこの分野で、先日のエントリでそれに関連したことを書いたりもしました。
以上、そんな3分野に分けることができます。
この分類はあくまで我流のものなので、こちらもご参照ください。
http://www.city.yokohama.lg.jp/jinji/setsumeikai/semina/pdf/h26/kozima.pdf
さて次回は、なぜ退職するという決断に至ったのか。
そのへんを思い出せる範囲で書いてみようと思います。