荒川区路地風景コンテストPJの胎動(予告)
まちづくりって何なのさ。
流行りのリノベーションまちづくりもコミュニティデザインも、ややクラシックな行政介入型まちづくりも、まちおこしも村おこしも、何もかも、まちづくり。
自分が一番こだわってたような気がするけど、なんかもう定義とか種類とかどうでもいいよねー?
「あらかわ路地風景コンテスト」プロジェクトを構想中。地元の意識ある方々と議論するためのたたき台を作成してるのですが、ぶっちゃけ何も決まってないので何をしてよいかわからない。暗中模索するしかないですよね。 pic.twitter.com/rHZLzkUdV7
— こむば氏@荒川 (@KMB_Masa) 2017年1月1日
作戦会議を始めます。
テーマは、荒川区内の路地。
京都祇園や神楽坂とか、石畳を基調とした路地空間は魅力的だし、来街者にとっても楽しい。
お住いの方々にとっての誇りにもつながる。
京都祇園の路地
祇園界隈のフリー写真素材|東京・日本の街のフリー無料写真素材集【街画ガイド】
神楽坂の路地
話題のおしゃれセレクトショップ神楽坂『la kagu(ラカグ)』 | キナリノ
ちなみにこれらの路地も実は、花柳街という歴史的な経緯だけで存在しているわけではありません。
いずれも、幅員4m未満の細街路であるからこその課題を抱えていたものの、街の魅力の保全を望む方々や、行政の柔軟な制度運用によって活かされた空間なのです。
では、アスファルトとブロック塀、苔や盆栽によって彩られた下町の路地はどうでしょう?
お住まいの方にとってそれはあまりに普通で当たり前である上に、その多くは生活感ありすぎる空間のため、表立って観光的な使われ方がなされるわけではありません。
その結果、"空間的余裕がない""沿道建物も老朽化"といった課題のみがクローズアップされ、お住いの方々にとっても防災的に脆弱であるという自虐的な意識が支配的になり、「荒川区に魅力なんて。。」となってしまう。
それはとてももったいないことだな、と余所者の私は思うわけです。
下町の路地が美しく保たれているのはなぜか?
自邸の前だけでなく、「向こう三軒両隣」まで掃除をするお母さん方の存在。
所有者自身のお宅向けではなく、あくまで通りに向けられたプランターの小さな緑たち。
そんなお住いの方々の気遣いや小さな公共心によって、魅力的な路地空間が維持されているのです。
これは愛でるべき資産であると、思う。
そしてもっとお住いの方々は誇らしく感じてよいと、思うわけです。
もちろん、防災的な話を無視することはできません。
例えば、先の糸魚川市における火災があそこまで延焼してしまったのは、南風という気象要因もさることながら、建物が隙間なく密集していたことも大きな要因とされています。
改めて糸魚川大火の焼失区域をみると,東西を横切る広幅員道路が2本通っているものの,出火点付近は極めて建物密度の高い街区となっており,いくつかの建物がほとんど密着しているような状態でした.火災は初期の対応が最も効果的であり,時間が経てば経つほど火勢が強くなるため,対応が困難になることが知られています.風上側はわずかに建物と建物の間に隙間があったものの,風下側と風横側東部は難しい消火活動を余儀なくされ,飛び火による他街区への着火もあいまって大規模な延焼に繋がったものと考えられます.糸魚川大火のような都市大火は,わが国で今後発生するのか?(廣井悠) - 個人 - Yahoo!ニュース
また、路地空間の多くは建築基準法42条二項道路(幅員4m未満)により構成されています。
建築基準法によれば、建築行為を行うことのできる敷地は原則的に、幅員4m以上の道路に2m以上接していなければならないことから、次回建て替えの際に幅員4mとなるよう敷地後退(セットバック)が義務付けられています。
路地の魅力が、狭いからこそのものであるとするならば、それはまちの更新に伴い、消えていくこと(=魅力の消滅)が約束されている空間なのです。
そこを、なんとか両立できないものか。
荒川区景観まちづくり塾を通じて出会った方々と、そんなテーマでこれから作戦会議を重ねていくこととなりました。
当面の目標は路地コンテストの開催ですが、それで終わってたまるものか。
このジャンルの先進事例は以下の2つのものが考えられます。
横浜市 都市整備局 地域まちづくりの推進 ヨコハマ市民まち普請事業 ヨコハマ市民まち普請事業概要
そんな方向性ではあるのですが、いずれも行政主体の取り組みでありボトムアップ型ではありません。
また、今回取り上げようとしている路地空間の魅力は先述した2項道路による空間的狭さや、プランター等による違法占有といったデリケートな話題に関連するため、行政組織が表立って取り組むことが難しい領域であると考えられます。
そこに、住民組織の強みがあるのではないかというわけです。
誤解を恐れず申し上げれば、慈善行為をしようとしているわけではありません。
もちろん公益性がこの取り組みの肝だとは感じますが、そのモチベーションは「自分にとって住みよい、楽しい街にしたい」という利己的な価値観、下心まみれで進めていくつもりです。
しかし取り組むからには全力で、これまで蓄積した諸々を棚卸ししながら進めていく所存です。
作戦会議の進捗など、またこちらで報告していけれれば。