よんむつの方々と高木神社の例大祭に参加して、文字通り他人の神輿を担いできた話の後半。
ここからは午後の部です。
午前の部はこちらから。
ちなみにお昼はたから会館に昼食が用意されており、参加者一同で舌鼓を打っておりました。
①地域の仕出し屋さんの塩にぎり
②手作りの豚汁
③メンチカツ
と、ラインナップはシンプルながら、地域の暖かさみたいなのが詰まってて泣けるほどおいしかったです。
あ、そうそう。
④ 瓶 ビ ー ル
さてここからは午後の部。
13時に会館を出発して、しばらくは午前と同じ、中神輿と小神輿が再び街中をまわります。
既に午前で要領掴んだ身としては、多少マシかなーと思いきや、それがまた甘かった。
午前中はまだ、神輿の棒が肩にヒットする時だけ痛みを感じる仕組み。
それが蓄積して、いつしか腫れあがってくる。
するともう、一息入れた後の午後は神輿が肩に触れるだけで痛くなるわけです。
ちょうど、激しい運動をした当日は筋肉痛にならないのに、ぐっすり休んだ翌日に筋肉痛が襲いかかってくる感覚に似てます。
それでもなんとかやりきる。
神輿、つらいな。。。。
14:00頃にたから会館へ戻る。
その頃にはいよいよ会館前に大神輿がお目見えしていました。
(スカイツリーと大神輿)
15時出発とのことで、それまでしばし休憩。
と、そのくらいの時間から、たから会館内に人が増え始めてきたことに気づく。
しかもそのほとんどが精悍な顔つきで、いろんな柄の半纏を着た方々。これは。。。
あとから聞いたのですが、大神輿の時間から集まってきた方々は「同好会」のみなさんとのこと。
高齢化と都市化によって、地域コミュニティの担い手不足問題は深刻化しています。
大神輿の担ぎ手一つとっても、もはやその地域だけではまかないきれないところが多くなってきているわけです。
そんな複数の地域同士が、助け合ってお互いの伝統文化を維持していくための仕組みがこの「同好会」。
要はヘルプさんということになるのですが、ただの無償協力というわけでなく、そこには金銭的なやりとりもあるというウワサ。
だから半纏の種類も混在してくるわけで、さらに大神輿の時間だけに限定されているわけですね。
現実的にそういうシステムをとらざるをえないのは納得できますが、実際にそんな方々が神輿を担ぐとこんな感じになります。
(同好会の方々により担がれる大神輿)
これは。。。
感じ方が人それぞれであるのは当然ですが、個人的にはきわめて寂しいことだと感じました。
ちなみに同好会の方々は控えめに言って猛者の方々なので、神輿担ぎの技術とか根性とか気合いの入れようがハンパではありません。
マツリズムを通じた祭り参加者は、どちらかと言えばその時限りのレジャーとしての楽しみを求める(要はウェイ族)傾向がありますが、完全に圧倒されます。
前後の人同士でかなり密着して満員電車状態で担ぐのはもちろん、肩が合わなかった人がいた時などは容赦なく神輿の外へ跳ね除けられます。
これが結構つらい。戦力外通告みたいで。
(あとからの情報だと、肩が合わない時に神輿を離れるのはある意味正しいらしいです)
(もはやどこの氏神様を運んでいるのかわからない大神輿)
この時点で既に肩の痛みが限界かつ、猛者の中で戦い抜く根性を失った自分は完全に離脱。
満身創痍で手拍子だけ送る素人と相成りました。。。悔しい。
大神輿は高木神社まで運ぶことはなく、17:00頃に中途半端な位置でお開き。
ここでビールとおにぎりが再びふるまわれます。
ちなみにずっと神輿につきっきりだと気付くことができないのですが、いつのまにか高木神社はすっかりお祭り状態になっています。
(17:00過ぎ頃の高木神社)
さて、ここでお祭り体験は終わりなのですが、所感を。
”他人の神輿を担ぐ”ということ。
今回、マツリズムという事業者を通じて、地域のお祭りへかなり近い位置で関わらせていただいたわけですが。
自分と同じような祭り参加者にとって今回のような体験は、野外フェスとかスポーツとかバーベキューとか、そんなアクティビティとはまた違う刺激をきっと得られたのでしょう。
いい運動したー!みたいな身体的な満足感と合わせて、こうした”地域くささ”って、特に単身生活者とか流動的に居住地を変える人にとって縁の遠いものだからです。
それはよさこい系のお祭りにはないもの。
だから、こうした層がマツリズムの主要なターゲットなのかもしれない。
休日のアクティビティの選択肢の一つ、ということ。
そんな刹那的かつエンターテインメント的楽しみ方とは別に、こんな楽しみ方もあったのかもしれません。
それは、”もしかしたら今回のお祭りに参加した自分、その地域の役に立てたんじゃ?”というもの。
慈善的な意義を活動に感じるということ。
もしかしたらこれも広い意味での満足感で、マツリズムはこうした層もターゲティングしているのかもしれません。
ですが自分は、なぜか途中からひたすら悔しくて泣きそうになった。
それは体力的に神輿がつらいというのももちろんありましたが。
一番大きかったのは、
「どうして自分は、この地域のために神輿を担いでいるんだろう?」
という感情。
自分としては神輿を担ぐことは単なるエンターテインメントではなく、きわめて場所性に意味を持つ行為。
ここでは宗教的な意義は取り上げませんし信心もそれほどありませんが、まあそれはいいか。
それでも神輿は、神輿を出す地域コミュニティのための格式高い行為であることは明らかです。
確かに貴重な運動をできた満足感はある。
肩の痛みはそんな満足感を増幅されてくれてもいる。
でも、自分の肩の痛みや疲労感も、その地域の氏神様に奉納してしまった感覚がある。
それは神輿という伝統文化のために捧げたわけで。
もう少し説明すると。
今回感じた疎外感。
マツリズムを通じて参加した我々に対するよんむつの方々の接し方は、親しげではあれど明らかにゲストとしてのそれでした。
地域のお祭りを、あくまで手伝ってくれるだけの人ということ。
それは紛れもなく自分たちがヨソモノで、それ以上踏み込むことを許されていない壁のようなものの存在を強く感じてしまった。
自分の頭がカタいことは既に気づいていますが、そんなことで私はひたすら悔しかった。
神輿は自分のために、自分の住むコミュニティのために担ぐものだよな。
実際は、自分の地域として関わる神社祭礼はただ美しいだけのものではないでしょう。
本当は参加したくないのに、地域に住んでいるからこそ避けられないしがらみ、連番でまわってくる面倒な役回り。
好きでもない人でも、先に生まれたというだけで敬わなければいけないクラシックな文化。
それが地域だよな。
でも、そんな地域が欲しいんだと感じた。