もうすぐ素盞雄神社の天王祭ですよという話。
町屋のまちなかで近頃、こんなの見かけませんか?
今年の6月2、3、4日は、素盞雄神社の天王祭です。
荒川区エリアの半分近くを氏子に持つ神社なので、この三日間は荒川の町に、おびただしい数の御輿が出ます。
町屋地区だけでも、15の御輿があるとか。。。
素盞雄神社とは
(昨年の天王祭時の素盞雄神社の様子)
さて、素盞雄神社とは。
素盞雄大神(スサノオオオカミ)と飛鳥大神(アスカオオカミ)をご祭神とする荒川区内でもっとも広い氏子区域をもつ神社です。
(素盞雄神社サイトより)
近頃の神社はFacebookページもあるようで。
http://www.facebook.com/susanoojinja
場所はこちら。
町屋駅から向かうとやや遠いですが、足立区及び日光街道への入り口である千住大橋の南にあります。
御祭神は二柱で、
天照大御神の御弟神であり、八岐大蛇を倒したとされる素盞雄大神(天王さま)と、
天王さまが“災厄除け”、えびすさまが“商売繁盛”の神様とされています。
町屋地区だけで15町の御輿、と書きましたが、氏子区域全体では61ケ町になるということです。
参考に、他地区のお祭りにおける氏子町会の数をご紹介すると、
神田祭(神田明神)…108町会 ※平成29年度神田祭特設サイト|氏子町会神輿神霊入れ
三社祭(浅草神社)…44町会 ※浅草神社 | 三社祭 | 三社祭とは?
という感じです。
天王祭
毎年この時期に、荒川区(及び台東区の一部)の大半を祭り一色に染めるのが、このお祭りです。
期間中は老若男女が外に出て、神輿を担いだり、酒を飲んだり暴れたりと、良くも悪くも熱気に包まれます。
これまで、地域への関わりをずっと求めつつも今一歩及ばなかった私にとって、指を咥えて見るのはあまりに悔しいお祭りだというのがこの天王祭に対する認識です。
それゆえこの時期になると、どこか胸の奥がくすぐられる感覚。
昨年はそれをごまかすためか、別のお祭りに堂々と余所者として参加していました。
天王祭とは(公式情報など)
公式情報はこちらから。
いかなる神社祭礼も、神様に神饌(神に供える酒食)を捧げることで接待を行い、神様に喜んでいただき、祝詞を奏上することで御神徳をいただき、繁栄を祈るという形は基本的に共通しています。
違うのはテーマで、家内安全や商売繁昌、安産、病気平癒、厄除けなど様々です。
素盞雄神社の天王祭では、「夏に流行する疫病を振り祓う」ことをテーマとしており、春秋に稲の収穫を祈念感謝する農村型祭禮に対して“都市型祭禮”とされます。
起源は1541(天文2)年まで遡るようで、絶え間なく続いてきたのだとすると480年近い歴史を持つお祭りということになりますね。
震災や戦災による影響も調べたいところです。
過去の天王祭
三年に一度の本祭
富岡八幡宮の深川祭(三年おき)や神田明神の神田祭(二年おき)など、本祭と簡略的な陰祭を分けるお祭りは少なくありません。
ここ素盞雄神社天王祭においても本祭が行われるのは三年に一度となっています。
天王祭の本祭では、長柄二本(二天棒)が特徴的な本社神輿が出されます。
直近の本祭は2015年なので、すると次回の本祭は2018年ということになりますね。
さて、まずは敬愛する荒川102が、前回の本祭である2015年の様子をまとめられていますのでご紹介します。
youtubeでは本社神輿振りの動画も見つけました。勇壮。
2016年天王祭時の町屋周辺(ギャラリー)
続いて、自前で記録した昨年2016年の様子を紹介。
ふらふらと歩いて撮っていたわけですが、その間中ずっと胸のざわざわがありましたね。。。
町屋二丁目の大黒屋前、町屋東栄町会の神輿振り。
都電通りが人、人、人で埋め尽くされておりました。
荒川六丁目の第四峡田小学校付近、荒川六丁目新地町会。
荒川六丁目のサンクス付近、荒川六丁目西町会。
建物の密集した細い道も、下町の神輿は進んでいきますよ。
さて、今年は
さて、文中でたびたび未練がましいことを書いてきたわけですが。
参加させてもらえないかな。
まだ荒川区への入国前だというのは大前提なのですが、この一年間何かしら動いてきた結果、一歩踏み出せば可能になるような気がする。
”これから転入しようとする地域の氏神様に、一足先にご挨拶する”って、まああるよな。←
昨年同様に墨田区高木神社で、よんむつの方々のお手伝いをするという選択肢もあるわけですが。
世話人がいて、パッケージングされて、楽しさも安全も担保された選択肢を、とることもできるわけですが。
その度によぎるのが、この時感じたこの感覚なのです。
”他人の神輿を担ぐ”ということ。
今回、マツリズムという事業者を通じて、地域のお祭りへかなり近い位置で関わらせていただいたわけですが。
自分と同じような祭り参加者にとって今回のような体験は、野外フェスとかスポーツとかバーベキューとか、そんなアクティビティとはまた違う刺激をきっと得られたのでしょう。
いい運動したー!みたいな身体的な満足感と合わせて、こうした”地域くささ”って、特に単身生活者とか流動的に居住地を変える人にとって縁の遠いものだからです。
それはよさこい系のお祭りにはないもの。
だから、こうした層がマツリズムの主要なターゲットなのかもしれない。
休日のアクティビティの選択肢の一つ、ということ。
そんな刹那的かつエンターテインメント的楽しみ方とは別に、こんな楽しみ方もあったのかもしれません。
それは、”もしかしたら今回のお祭りに参加した自分、その地域の役に立てたんじゃ?”というもの。
慈善的な意義を活動に感じるということ。もしかしたらこれも広い意味での満足感で、マツリズムはこうした層もターゲティングしているのかもしれません。
ですが自分は、なぜか途中からひたすら悔しくて泣きそうになった。
それは体力的に神輿がつらいというのももちろんありましたが。
一番大きかったのは、「どうして自分は、この地域のために神輿を担いでいるんだろう?」という感情。
自分としては神輿を担ぐことは単なるエンターテインメントではなく、きわめて場所性に意味を持つ行為。
ここでは宗教的な意義は取り上げませんし信心もそれほどありませんが、まあそれはいいか。
それでも神輿は、神輿を出す地域コミュニティのための格式高い行為であることは明らかです。
確かに貴重な運動をできた満足感はある。
肩の痛みはそんな満足感を増幅されてくれてもいる。
でも、自分の肩の痛みや疲労感も、その地域の氏神様に奉納してしまった感覚がある。
それは神輿という伝統文化のために捧げたわけで。
もう少し説明すると。
今回感じた疎外感。
マツリズムを通じて参加した我々に対するよんむつの方々の接し方は、親しげではあれど明らかにゲストとしてのそれでした。
地域のお祭りを、あくまで手伝ってくれるだけの人ということ。
それは紛れもなく自分たちがヨソモノで、それ以上踏み込むことを許されていない壁のようなものの存在を強く感じてしまった。
自分の頭がカタいことは既に気づいていますが、そんなことで私はひたすら悔しかった。
神輿は自分のために、自分の住むコミュニティのために担ぐものだよな。
実際は、自分の地域として関わる神社祭礼はただ美しいだけのものではないでしょう。
本当は参加したくないのに、地域に住んでいるからこそ避けられないしがらみ、連番でまわってくる面倒な役回り。
好きでもない人でも、先に生まれたというだけで敬わなければいけないクラシックな文化。
それが地域だよな。
でも、そんな地域が欲しいんだと感じた。 (拙ブログ記事より)
と、いうわけです。