公務員三回生中退の身から見た、「なぜ行政のフットワークは重いか?第3回 広聴というお客様の声」
書き出すと内容が増えてしまい、第3回目になってしまいました。
前回までで述べてきたのは、どちらかと言えば行政組織の閉鎖性でした。
しかし、行政の存在意義は、民間事業者では担うことが困難な"公共"という領域を担うことであり、それは開かれているものでなければなりません。
公共とは単に不特定多数というわけでなく、そこには明確にお客様がいます。
行政にとってのお客様は、その自治範囲に在勤・在住・在学するすべての人。
公共というお客様をターゲットにした仕事である以上、事業者がそうであるように、"お客様の声"を無視することはできません。
そのために存在しているのが、"広聴=広く聴く"という仕組みなのです。
しかし、これまで紹介したような行政組織の体質は、広聴という声に対して、やはり不思議な対応をしてしまいます。
「なぜ有益な意見が、役所に聞き入れられないのか?」
「どうしていつも冷たい対応ばかりなのか?」
その背景にある役所独特のメカニズムを、紹介したいと思います。
広聴とは
広聴とは何でしょう。
おそらくは、 多くの人にとって聞き慣れない言葉かもしれません。
音は一緒ですが字の異なる、"公聴"という言葉はどうでしょう。
こちらは、"公聴会"という言葉にあるように、計画や条例といった特定の事案について、決定する前に利害関係者の意見を聞く場を指します。
「こんなこと決めようと思ってますが、ご意見あればお寄せください」ということ。
一方で広聴は、事案を特定しないことが特徴です。
住民が行政に対して意見を届けられるチャンネルは、常に開かれているのです。
広聴のチャンネルは多い
では、住民はどのように役所に声を届けることができるのか。
これには、クラシックなものから現代的なものまで、様々なチャンネルがあります。
①インターネット
現在の主流は、インターネットを利用したものです。
多くの自治体で導入されていると考えられますが、そうでないところもあるよう。(蒲郡市はなさそう)
インターネットを通じた投書はコストがかからなく気軽な上に、きわめて匿名性が高いため、住民にとって利用するハードルがとても小さいと言えます。
簡単なフォームが作成されていて、必要事項を入力するだけでよいのです。
横浜市の事例を示すと、こんなイメージです。
横浜市HPより
トップページに、このフォームに飛べるボタンがあります。
横浜市HPより
荒川区HPより
②電話・窓口
ややクラシックな手法ですが、現在でも根強く利用されます。
意見を言いたい事業の所管課に直接電話をかけるのはもちろん、そうでない場合も、代表して振り分ける交通整理専門の部門がある自治体もあります。
例えば、横浜市コールセンターはその代表例ですね。
電話の場合の特徴が一つあります。
窓口にも共通してリアルタイムなやりとりのため、即時的な応答が求められます。
正確な相手に電話をかけており、かつ質問や意見の内容が軽微なものであれば、その場で解決・回答を得られることもあるでしょう。
しかし多くの場合はそうではなく、最初の電話では聞き置くのみとし、回答が必要な場合は課内検討→決裁の後に折り返すということになります。
インターネットではなく電話を使うような方は、直接伝えたいという想いが強い傾向があるため、電話の内容も白熱します。
それゆえに、対応も容易ではないのです。
さて、窓口。
電話であれば、一旦切って出直すということができますが、窓口はそうはいきません。
そして、インターネットでも電話でもなく、窓口まで足を運ぶような住民の方は、直接伝えたいという想い以上に、ボルテージも上がり切ってしまっていることが多いです。
その場合はバトルになりかねません。
また、少し面白い現象ですが、毎日のように通ってクレームを伝える方もいます。
このレベルになると、もはや職員と仲良くなってしまうケースも。
(もちろん、通常の要件で窓口訪問する方もいます)
③その他
手紙なんてのもあります。
達筆な文面に、つい姿勢をただしてしまうことも。
つまりは
つまりは、住民にとって役所に意見を伝える手段は豊富ということです。
では行政組織は、そんなふうにして届いたたくさんの声に、耳を傾けているのでしょうか?
役所は回答に決裁が必要
寄せられた声に対して、役所はどのように回答をするのか。
単純に言えば、こう答えます、という回答案を決裁するわけです。
担当者が起案して、係長→課長が承認することで、ようやく実際に回答することのできる文章が出来上がります。
それだけでは議会答弁の作成と変わりませんが、そうではありません。
明確に違う特徴が、二つあるのです。
特徴その一、ゼロ回答
一つ目は、基本的にゼロ回答だということ。
役所にとって広聴とは業務です。
多くの場合、通常業務と並行して、自分の課に到達した広聴に対応することになります。
定時退庁というプレッシャーが強い役所は、不測の業務の発生を著しく嫌う傾向にあります。残業代はありますけどね。
ゆえに、あらかじめ計画的な対策のできない、発生次第対応せざるをえない広聴という案件は、それだけで厄介なのです。
そしてよしんば、そんな厄介な、回答しなければならない広聴案件が来てしまったとします。
その場合に、どのように回答文案を作成するか。
- 過去の回答履歴を検索し、使えそうな文章をコピペして起案する
- 以前の回答と同じだということを念入りに説明して、優先的に決裁をもらう(行政は広聴到達から返信までの期限を設けています)
- 上司の作文チェックを受けた後、返信(この間、何度も手戻りあり)
もちろんコピペとは言え、案件に応じたクッション言葉の違い程度の変化はあるでしょう。
事業フェーズによって、"優先順位も見ながら検討を進めてまいります"だった表現が、"実施に向けて準備を進めております"に変わることもあります。
とはいえ、あくまで質問に対する回答なのです。
回答の正確さについては入念なチェックが入るので、まず間違いないでしょう。
でも、0から1が生まれることはないんだ。
どういうことか。
何の計画もない時点で、「こんな有益な事業はどうしてやらないのか?」→『やりましょう!』ということは、皆無なのです。
広聴レベルのチャンネルに、ぽっと出の提案があったとしても、そこから行政が重い腰を上げるということは、まず、ない。
特徴その二、連携は進まない
二つ目の特徴は、広聴をきっかけに行政組織に横串は刺せないということ。
議会答弁台本の作成では、期間が限られていることもあり、議員とのやりとり、質疑応答を作成するために複数の部門が連携して文章を作成します。
議会という大義名分で、一応は一時的な連携が進むのです。
でも、一般的な広聴ではそれはない。
ただ、受け取った担当課が、いかに大事にしないかを考え、危なげない回答案を前例踏襲で作るのみ。
まとめ
官僚機構におけるお客様の声の扱い方が、このようになってしまうのもうなずけます。
構造的に、そうなっているのだから。
こうした事態に対して、松戸市のすぐやる課のような取り組みはあります。
理念ある首長によるトップダウンでしか、この仕組みを構造的に変えることはできないのでしょう。
でも、そんなものは待っていられない。
嘆いてもいられない。
では、役所とどうやって付き合っていけばいいのか?
次回はそのあたりのことを書いてみたいと思います。
公務員三回生中退の身から見た、「なぜ行政のフットワークは重いか?第2回 決裁主義と議会答弁」
さて、間があまり空かないうちに第2回を書いてみます。
今日は、行政事務を貫く価値観である"決裁主義"について。
第2回
決裁主義とは
役所では、意思決定をすることを決裁と言います。
用例では、「あの件、課長の決裁おりた?」とか、
「まだ決裁前なので正式にはお話できませんが。。」
といったもの。
奇妙な話なのですが、本来的には地方行政とはあくまで"首長"によって担われることになっています。
ですがもちろん、多岐に渡る行政事務を、個人としての市長一人で処理するということは非現実的なので、市役所や区役所という組織が存在し、そこで職員を雇うわけです。
こうした行政職員を補助機関といいます。
それに対して、首長や各種委員会(選挙管理委員会、教育委員会など)は執行機関と呼ばれます。
総務省資料より
まあこうした分類はどうでもよいのですが、大切なのは、職員はあくまで脇役であり、ほとんどの対外的な仕事は首長名義で行うということです。
建前的には首長であるとしても、実務的には事務を処理するのは職員。
そして、職員が事務処理する上では、意思決定が当然求められます。
たとえ、いちヒラ職員の言動であったとしても、あくまでその自治体(=首長)の意思として重みを持ちます。
この、重みを持たせる儀式こそが決裁なのです。
決裁とは、"それが自治体を代表した意思である"という、オーソライズの手続きなわけですね。
こちらが、決裁という仕組みのために用いる起案用紙の例になります。
ここで、"起案者"とあるのが担当レベルの職員だと思ってください。
起案者とはつまり、発案者。
起案者をスタートに、担当職員→係長→課長→関係課(職員→係長→課長)という順に文書が回議され、それぞれがハンコを押していきます。(実際は電子的なシステムも導入されています)
最後にハンコを押すのが決裁権者で、案件によって課長や部長、大きなものでは市長であったりします。
決裁権のある職員の職位によって、課長専決案件、市長専決案件とか呼ばれます。
そしてこの意思決定メカニズムは、対外的な文書に限られません。
例えば細かな部分では、職員個人の有休取得にも同様に決裁が行われますし、庁内照会にあたって、「本案にてXX課に報告します」という場合にも決裁が行われます。
それほど、決裁主義とは行政組織に染み付いた価値観なのです。
決裁主義の影響
この決裁主義が、いかに行政組織のフットワークの重さと結びついてくるかは、容易に想像できることかと思います。
本来的には単独では意思決定できない担当レベルや係長級の職員が、実質の作業を担うということ。
前回の文書主義ともあいまって、それはヘタなことを勝手に、かつ単独にはできないということにつながります。
構造的に、制限された裁量の中で仕事をするという仕組みになっているのです。
「役所はいつも、奥歯にものが挟まったような回答しかしてくれない。。」
という不満をお持ちになったことがあるとすれば、こうした事情が大いに影響していることでしょう。
彼らにとって、独断でヘタな回答をするのは危険だとまで考えているからです。
したがって、例えば説明会の場で思わぬ質問をされた時などは、巧妙に論点をずらすなどして、踏み込んだ回答を避けるのです。
対策として、彼らは念入りな想定問答集を作って説明会などにのぞむこともあります。
口篭ったり、無責任に曖昧な回答をすることで住民を戸惑わせないように対策していくわけですが、他の課の業務に関することについてはやはり口が重くなってしまいます。
柔軟な庁内連携の難しさが、ここにもあるとあうわけです。
そして、次から述べる議会答弁や、次回ご説明する広聴という分野でも、この決裁主義が大きく影響することになります。
議会答弁
自治体は、議会を持っています。
国における国会とはやや性格は異なりますが、直接選挙によって選ばれた地域代表が執行機関を監視する基本的な仕組みは変わりません。
議会と言えば、国会中継のような問答を想像されるかと思います。
議員が質問を行い、役所が回答をするのです。
おそらく有名な話だと思いますが、ここでの議会答弁のやりとりは、完全アドリブのガチバトルではありません。
あくまで事前に細かく調整され、(多くの場合)質問文や回答文についても一字一句合意がなされた台本をお互い読み合っているパフォーマンスなのです。
このあたりは、現職議員お二人のこちらの記事もご参考に。
ただ、パフォーマンスとは言っても、議会における議事は記録・公開されますので、そこで出た発言が一定の重みを持つことは事実です。
テレビ慣れしてしまった僕らは、肉薄した丁々発止なやり取りを期待されるかもしれませんが、残念ながら議会は、テレビのためのエンターテイメントとしてやってるわけではありません。 むしろ、とても儀式的です。 どういう儀式かというと、「約束」の儀式です。 それだけ、議会での発言は重い、特に市役所からの答弁は、内容や答え方によっては、実質的に「〇〇やります」という約束を宣言したことになります。
(上記記事より、下線筆者)
では、その台本を書いているのは誰か。
これは経験的にですが、多くの場合において役所側の職員であろうと思います。
いやまあ、私も書いたことあるので。
横浜市会会議録より
横浜市会 会議録 平成28年 水道・交通委員会-03月16日−02号
繰り返しになりますが、この議会答弁というものは大変位置づけとして重いものです。
その答弁の台本、つまりは読み原稿がどう決まるかを、フローで示しましょう。
ちなみにとある自治体のとある企業部局での経験に基づくものなので、全国一律というわけではないはず。そしてこれは役所側の立場です。
- 係長以上の職員がグループを組んで議員控室を訪ね、議員の興味分野を探る(議員接触)
- ↑の内容を持ち帰って準備して議員を再訪。興味分野に関わる事業についてレクチャーをする。
- その際の議員の反応などを見て、持ち帰って質問項目を挙げる。
- 関連する課を集めて調整などをして、回答案まで作成した後、議員を再訪。(以下、固まるまで繰り返し)
- (答弁案が固まってきたところで)局長室にて部長級以上が集まり、ppt映写しながら回答文の再確認(勉強会)。ここで一字一句レベルの修正が行われる。
ざっとこんな感じでした。
この議会対応の時期が、関連する行政職員にとっては夏の予算要求と並ぶ繁忙期となります。
それもそのはず、議会対応という大義名分のもと、急速に庁内連携・調整が進むわけなのですから。
この庁内調整が、行政職員にとっては非常に面倒なのです。
それゆえに、フローの1である議員接触において、まるで腫れ物に触るかのような対応をしてしまうのです。
「先生、いかがでしょうかね?」のような。
ここでも、ヘタなことを言ってことを大きくしたくない、という決裁主義・文書主義の影響が見られます。
この議会答弁は、明確な起案者→決裁という手続きはとらないわけですが。
でも、局長のような職位最上位の人間の承認を必ず必要とするだけに、ある意味では決裁よりも煩雑だと言えます。
以上、役所の決裁主義価値観と、議会答弁という特殊な業務について書いてみました。
第3回以降は、「広聴」「あえて"レールに乗る"」をテーマに書いてみます。
よんむつのいる京島に再訪して、腱鞘炎になった話。
住居表示により町の線引きが変わっても、土着の信仰心まで機械的に線引きされることはありません。
町会や氏神信仰の範囲はそのままであることが多く、ある町丁目の一部だけ信仰する氏神が違ったり、区界を跨いだ氏子組織が存在したりします。
ここ墨田区京島も、そんな場所の一つ。
現在の地名は墨田区京島ですが、旧地名である寺島四丁目地区という単位で、氏神様"高木神社"のもとに集まる四丁目睦会(よんちょうめむつみかい)、通称よんむつと呼ばれる方々がいます。
(四丁目睦HPより)
7ヶ月前、高木神社の例大祭にて、お神輿担ぎのお手伝いをさせていただいたことがありました。
縁もゆかりもない地域に突然お邪魔させていただき、貸し半纏に腕を通し、助っ人余所者として神輿を担いだのは、去年の6月のことでした。
なぜそんなことが実現したのか?
何を隠そう、若者とお祭りを繋ぐマツリテーターである、一般社団法人マツリズムさんのお陰です。
今回もマツリズムさんの紹介で、例大祭のスピンオフ的な催しにお呼ばれしてきました。
それは、餅つき大会でした。
京島南町会餅つき大会
餅つきと言えば実家では12月30日のイメージでしたが、新年明けてからやることもあるんですね。
今回は1月8日でした。
この餅つき大会、正式にはよんむつの主催というわけではなく、あくまで京島南町会の町会イベントという位置づけ。
ただ実際の構成員はほとんど重なっているので、そのへんの区別は関係ない感じでした。
しかも餅つきだけではなく、消防訓練や地元消防の出初式というコンテンツも同時開催。
学校とか商業施設でなく、言ってみれば単なる道端に人が集まってくる光景は、なんだか久しぶりな感覚でした。
でも、ちびっこはいても若い人はいないんだよな。。。
そして肝心のお餅つき。
父親の実家では昔、12月30日に親戚が集って餅をつく習慣が残っていました。
親戚には好きな人も苦手な人もいたけれど、そこで育てられたのも事実なので、今では貴重な習慣だったのだなと感じます。
そんなわけで、臼や杵、せいろなどは小さい頃から見慣れていたはずなのですが、祖母が亡くなったことで集まる習慣も途絶え、目にしなくなって久しくなってました。
だからこんなのも、久しぶり。
久しぶりの餅つきは、感覚をすっかり忘れてハラハラしたり、杵の重さに腱鞘炎になったりしましたが、とても刺激的でした。
神輿の時のように、知らない地域のために貢献しているという感覚ではなく、純粋に個人として楽しかった。
ともに汗を流しながら、年齢にしてダブルスコア以上な方々とのコミュニケーションがきっと嬉しかったのだろうなー。
朝8:30から開始した餅つきも、12:30を過ぎる頃には既に苦行に。
それでも、終了後の宴でのビールや、つきたてのお餅は美味でした。
で、地域は誰が担うの?
やっぱり今回もモヤモヤはありました。
それは、我々がいなかったら餅つきはどうなってたの?ということ。
今回マツリズムを介して餅つき大会に参加したのは、20代〜30代の紛れもなく若者8人でした。
これは驕りなのでしょうが、餅つきについてはほとんど初心者ではあったものの、きちんと労働力として貢献できた自負はありますし、掛け声などで絶え間なく活気づけたりもしていました。
そんな我々が、いなかった場合のことを考える。
お餅をつまみ食いに来る小学生はいても、実際に餅のつき手となる、生産年齢の方々は面白いほどにいませんでした。
この地区では、70代でも力強そうな方々はいますが、それでも人数的な限界はあります。
この現状を取り上げて、地縁コミュニティの持続可能性を懸念するのは容易なこと。
よんむつのような"地域の担い手"と、地域を志向しない"地域の傍観者"とのマッチングは難しいのです。
でもそれが時代の流れであれば、それも仕方なかろうと思います。
ただ、マツリズムのように、"地域の担い手"と"地域の傍観者"をつなげることがエンタメになるのであれば、マツリズムのような取り組みの意義は大きいと思うのです。
"地域の傍観者"が、地縁という世界への入門方法をただ知らないだけなのであれば、そこをつなげてあげればよい。
やや煽りな章題でしたが、もはや地域の担い手は誰でもよいのかもしれません。
はい、そんなマツリズムが、次のお祭りを用意していますよ。(宣伝)
Ma-tourism in Oshu 2017(黒石寺蘇民祭)
公務員三回生中退の身から見た、「なぜ行政のフットワークは重いか?第1回 文書主義」
年度末の仕事ラッシュにさっそくロックオンされ始めた私です。
ちゃんと三連休したかった。。
さて本日は、特有の意思決定のメカニズムをはじめとした、行政組織の特殊性について書いてみたいと思います。
始めに立場を明確にしておくと、この発信を通じて行政組織を批判したいわけではなく、"良い付き合いのためには、まず相手を知ること"という考えに基づくものです。
行政組織、自治体、役所。
単に受益者として生活していれば、ほとんどこの存在を意識することはありません。
そんな方々にとって行政という存在を意識するのは、「税金("年金"に変換可)高ぇーよ!」とか、「お役所、安定ですね(皮肉」という場面くらいでしょう。
しかし最近、全国的に少しずつ増え始めたと感じる、提案や具体的行動によって社会制度にメスを入れようと考える方々にとって、行政組織というものの存在は身近になってきたのではないでしょうか。
もちろん、従来からある町会・自治会といった自治組織にとっても、行政組織は身近な存在であり続けます。
そんな方々は、行政組織特有のフットワークの重さや、融通のきかなさといった特性に対して、舌を巻く場面に直面することがあるかもしれません。
「どうしてこんなに有益な提案が、通らないのか?」
「気づけば役所のレールに乗ってしまっているのはなぜか?」
そんな体験は、そんな人達があらかじめが抱いていたネガティヴな役所イメージをいっそう助長し、さらなる悪循環や敵対意識を生んでしまっているかもしれません。
私が役所内で働いた体験を通じてみても、確かに役所は独特の意思決定手続きや価値観を有しており、"全体の奉仕者"という言葉からイメージされるような、あまねく住民を救う存在ではないと実感することがありました。
今日はその、「なぜ役所はそうなのか?」ということを、実体験からわかる範囲で書いてみます。
短い経験ではありますが、少しは役に立てたり、面白いことが書けるのではないかと思っています。
第1回
こんな現象が"役所的"
誰しもが、戸籍や税金関係の手続きで、市役所の窓口に行かれた経験はあると思います。
その際に、こんなことはなかったでしょうか。
職員「その件については○○課の担当となっておりますので。。」
もしくは、行政主催の説明会などの場面で。
説明会の意図とは異なるけども、確かにまちづくりであり、行政が所管するテーマに関する意見が出されたのに対して。
職員「その件については、所管の○○課に伝えておきます。。」
住民にとってはすべて同じ役所であり、共通ではないかと思ってしまう場面。
だから、ある行政職員に伝えた意見や陳情が、直ちに行政組織全体に伝わったようにとらえてしまいがちです。
しかし悲しいかな、行政組織は一枚岩ではないのです。
行政はあまりにタテ割り的である上に、不測の横の連携は避けるようなふるまいをしがちなのです。
文書主義・規則主義が生むタテ割り行政
前述のようなタテ割りの弊害が、なぜ起こるのか。
それは役所の最大の特徴の一つである文書主義の枝葉の一つです。
役所の仕事は基本的に、決められた規則類に従わなければなりません。
その規則類を例規といい、規程→規則→条例の順に扱いが重くなります。
ちなみに最も重い条例は議会での可決を要するもので、"自治体の法律"とも呼ばれます。
例えば役所のタテ割り主義もこの文書主義に基づくもので、「事務分掌規則」(名称は自治体による)に定められています。
参考に、横浜市のものを示しておきます。
これは局課までを定めたものですが、より下位の規程にて、課に属する係の単位まで仕事内容が決められています。
おそらく、係によって仕事が規定されるというこの傾向自体は一般企業にもあるのでしょうが、行政組織はきわめて露骨なのです。
その一例は、日付主義。
請負人や受託者の身分になると、役所に様々な文書を提出する必要が生じます。
それらの文書には当然日付の記入欄があるわけですが、ここを空欄にしておくことが行政担当者にとってどれだけありがたいことか。
例えば工事における、工程表。
横浜市の工事請負契約約款では、契約後7日以内に監督に提出することが決められています。
しかし、実際は契約を司る部門と工事監督を司る部門が異なる上に、審査・契約書作成等の手続きに一定の時間を要することから、契約日から一週間以上経った後にようやく担当課と工事請負人が顔を合わせるということが珍しくありません。
正直な感覚で工程表を提出するのであれば、提出は契約よりも10日程度後の日付となるはずですが、それでは約款に反することになってしまいます。
行政担当者にとって、それはリスクです。
業務書類は決められた保存期間保管する必要がある上に、"規則に従って職務を執行しているか"をチェックする仕組みである監査の目もあるので、日付程度でリスクを被ることはつまらないのです。
また、請求書の請求日も同様です。
工事では、請負人が監督に工事の完成を通知した後、14日以内に検査合格を告げられれば、代金の請求債権が発生します。
それを受けて、行政は請求日から40日以内(横浜市では20日以内、前払金は14日以内)に実際に支払う義務があります。
しかし実際は、行政の支払い事務は日付が決められており(金額によっては1.5回/月程度)、正直な請求日から数えて適切な日数以内に支払日がないことも現実にあり得ます。
ゆえに、ここでの正解はいずれも、日付を空欄にして提出することなのです。
実際に今の業務においても、「あ、日付はこちらで入れますのでー」というやりとりが日常茶飯事です。
慣れればなんてことはないのですが、気持ち悪いのが、実務上やむをえないこの事前日付調整・内部記入といった手続きに対して、行政の出納部局は"好ましくないこと"としていることです。
どちらも規則主義・文書主義を守った結果ではあるのですが、ひずみとしてこのようなねじれ現象も起こってしまうのです。
予算主義・計画行政は、柔軟な庁内連携に不向き
予算主義ということも、行政組織特有の価値観ではないでしょうか。
役所では、年度ごとに使うお金の予定を予算、会計の結果を決算として、議会の承認を受けなければなりません。
極端な話、予算未決の状態で年度が開始されてしまうと、行政組織は仕事ができないのです。
ゆえに毎年度、万全の状態でつつがなく予算通過をさせるため、説明文書の作成に勤しみます。
それが、事業計画書と呼ばれるものです。
これは、行政組織が事業別に予算要求をする際に添付する参考資料です。
なぜこの事業にお金が必要なのか?
年次計画はどうなっているのか?
といったことが記述され、予算議会における資料にもなります。
公開版には金額に関する内容は黒塗りされ、合計金額しか表には出ませんが。
こうした資料を、基本的には課単位で作成します。
そう、課の仕事は、その課で完結的に決定しまうのです。
「うちらが来年度やる仕事はこれです」という、一種の宣言です。
これが、行政組織が持つ第二の特徴、横連携のしにくさにつながってくるのです。
事業計画書のくだりからは、課の独立性が過剰に高いことが言えます。
年間の業務計画や意思決定を課単位で立案→決定してしまうことから、柔軟な庁内他課との連携がしにくいという構造的な特性があります。
もう少し補足しましょう。
わかりやすくするために、X市という自治体にA課とB課があり、このA課・B課が連携することで、今よりも有益で斬新な事業ができるのではないかという提案が、市民からA課に対してなされたとします。
ここで、100歩譲って、A課は偶然手も空いており、提案事業に着手するのに特別な予算を必要としない上に、気概ある職員が"この事業は是非やろう"となったとしましょう。ここまででかなりの奇跡を必要としているわけですが。。
でも、それによってB課の仕事も増えてしまうのであれば、A課は手を出せないのです。
ここで、A課とB課が話し合うこと(=調整)が必要となります。
でも、当初の計画になく、新たに手間が増えるのみの仕事を受け入れるかどうかは、担当課の良心に委ねられています。
B課がNOと言えば実現されないわけですが、YESという可能性はきわめて低いものでしょう。
別にその課にとって、やらなくてもよいのだから。
残業時間を課単位で抑えるようなプレッシャーがあったり、新たに手間をとるという選択肢をすることは考えにくいのです。
「今後実施可能性について検討を行なっていく」とか、「当初計画になく不公平性の問題があるため、着手は困難である」といった言葉でお茶を濁すことになるでしょう。
そんなことから、柔軟な庁内連携というものに対しては及び腰なのです。
またそれゆえに、例外的に実現した"庁内連携"を過剰にPRする傾向もあります。
連携は手段でしかないのに。
※もちろん、意識ある重役の肝入りで進められるような、トップダウン的な連携はありえます。
以上、役所のタテ割り主義と横連携の難しさについて書いてみました。
第2回では「議会答弁・広聴と決裁主義」「あえて"レールに乗ってやる"」をテーマに書いてみます。
荒川区路地風景コンテストPJの胎動(予告)
まちづくりって何なのさ。
流行りのリノベーションまちづくりもコミュニティデザインも、ややクラシックな行政介入型まちづくりも、まちおこしも村おこしも、何もかも、まちづくり。
自分が一番こだわってたような気がするけど、なんかもう定義とか種類とかどうでもいいよねー?
「あらかわ路地風景コンテスト」プロジェクトを構想中。地元の意識ある方々と議論するためのたたき台を作成してるのですが、ぶっちゃけ何も決まってないので何をしてよいかわからない。暗中模索するしかないですよね。 pic.twitter.com/rHZLzkUdV7
— こむば氏@荒川 (@KMB_Masa) 2017年1月1日
作戦会議を始めます。
テーマは、荒川区内の路地。
京都祇園や神楽坂とか、石畳を基調とした路地空間は魅力的だし、来街者にとっても楽しい。
お住いの方々にとっての誇りにもつながる。
京都祇園の路地
祇園界隈のフリー写真素材|東京・日本の街のフリー無料写真素材集【街画ガイド】
神楽坂の路地
話題のおしゃれセレクトショップ神楽坂『la kagu(ラカグ)』 | キナリノ
ちなみにこれらの路地も実は、花柳街という歴史的な経緯だけで存在しているわけではありません。
いずれも、幅員4m未満の細街路であるからこその課題を抱えていたものの、街の魅力の保全を望む方々や、行政の柔軟な制度運用によって活かされた空間なのです。
では、アスファルトとブロック塀、苔や盆栽によって彩られた下町の路地はどうでしょう?
お住まいの方にとってそれはあまりに普通で当たり前である上に、その多くは生活感ありすぎる空間のため、表立って観光的な使われ方がなされるわけではありません。
その結果、"空間的余裕がない""沿道建物も老朽化"といった課題のみがクローズアップされ、お住いの方々にとっても防災的に脆弱であるという自虐的な意識が支配的になり、「荒川区に魅力なんて。。」となってしまう。
それはとてももったいないことだな、と余所者の私は思うわけです。
下町の路地が美しく保たれているのはなぜか?
自邸の前だけでなく、「向こう三軒両隣」まで掃除をするお母さん方の存在。
所有者自身のお宅向けではなく、あくまで通りに向けられたプランターの小さな緑たち。
そんなお住いの方々の気遣いや小さな公共心によって、魅力的な路地空間が維持されているのです。
これは愛でるべき資産であると、思う。
そしてもっとお住いの方々は誇らしく感じてよいと、思うわけです。
もちろん、防災的な話を無視することはできません。
例えば、先の糸魚川市における火災があそこまで延焼してしまったのは、南風という気象要因もさることながら、建物が隙間なく密集していたことも大きな要因とされています。
改めて糸魚川大火の焼失区域をみると,東西を横切る広幅員道路が2本通っているものの,出火点付近は極めて建物密度の高い街区となっており,いくつかの建物がほとんど密着しているような状態でした.火災は初期の対応が最も効果的であり,時間が経てば経つほど火勢が強くなるため,対応が困難になることが知られています.風上側はわずかに建物と建物の間に隙間があったものの,風下側と風横側東部は難しい消火活動を余儀なくされ,飛び火による他街区への着火もあいまって大規模な延焼に繋がったものと考えられます.糸魚川大火のような都市大火は,わが国で今後発生するのか?(廣井悠) - 個人 - Yahoo!ニュース
また、路地空間の多くは建築基準法42条二項道路(幅員4m未満)により構成されています。
建築基準法によれば、建築行為を行うことのできる敷地は原則的に、幅員4m以上の道路に2m以上接していなければならないことから、次回建て替えの際に幅員4mとなるよう敷地後退(セットバック)が義務付けられています。
路地の魅力が、狭いからこそのものであるとするならば、それはまちの更新に伴い、消えていくこと(=魅力の消滅)が約束されている空間なのです。
そこを、なんとか両立できないものか。
荒川区景観まちづくり塾を通じて出会った方々と、そんなテーマでこれから作戦会議を重ねていくこととなりました。
当面の目標は路地コンテストの開催ですが、それで終わってたまるものか。
このジャンルの先進事例は以下の2つのものが考えられます。
横浜市 都市整備局 地域まちづくりの推進 ヨコハマ市民まち普請事業 ヨコハマ市民まち普請事業概要
そんな方向性ではあるのですが、いずれも行政主体の取り組みでありボトムアップ型ではありません。
また、今回取り上げようとしている路地空間の魅力は先述した2項道路による空間的狭さや、プランター等による違法占有といったデリケートな話題に関連するため、行政組織が表立って取り組むことが難しい領域であると考えられます。
そこに、住民組織の強みがあるのではないかというわけです。
誤解を恐れず申し上げれば、慈善行為をしようとしているわけではありません。
もちろん公益性がこの取り組みの肝だとは感じますが、そのモチベーションは「自分にとって住みよい、楽しい街にしたい」という利己的な価値観、下心まみれで進めていくつもりです。
しかし取り組むからには全力で、これまで蓄積した諸々を棚卸ししながら進めていく所存です。
作戦会議の進捗など、またこちらで報告していけれれば。
【雑談】帰省中に発動する自己防衛的マウンティング
今回の年末年始は地元でゆっくりしていました。
父母それぞれの在住地がスプリットしているせいで、やや移動時間に割合を割くということはありましたが。
それでも、友達と会って遊んだり飲んだり、親族の集まる場に顔を出したりと、一通りの自分的恒例行事は済ませられたかなと思います。
横浜に戻るバスの中でヒマなので、そんな帰省生活中に感じた自己防衛について書いてみる。
果たして特殊な感覚なのか、はたまたあるあるなのか。。。?
"夢だった"感
帰省して親元に帰ると、"頑張らなくてよい"スイッチが入りますよね。
普段職場などで緊張感持って接する顧客や同僚が、生活から全く消える。
さらに(場合にもよりますが)炊事をはじめとした家事労働からも、一時的に解放される。
単身生活では全て自分で決めて行動することが当たり前で、ある意味オンもオフも"頑張っていた"と言えます。
肩肘張ってた、とも言うのでしょうかね。
それが、ほとんど一切なくなる。
その感覚が、まるで別の世界に来てしまったかのような感じなのです。
横浜に住んで都内に勤務して、休日も荒川区絡みで意識高めに活動してた毎日が、"まるで夢だった"のではないかと。
実際は空間的に連続な世界で、ただ"帰宅しただけ"なのですが、緩む方向の変化が著しいからこそ、そんな感覚を持ってしまうのです。
でもステータスとしての"頑張ってるワタシ"はこびりついてる
それでも実際は夢なんかではないわけで、"東大院卒→地方公務員経由→まちづくりコンサルタント"という偏ったステータスに拘っている自分は明らかにいるわけです。
だから地元にとどまっている昔からの友人達と飲んでる時に話す内容や、親族の集まった場で話される内容についても、そのステータス・視点で解釈してしまう。
例を挙げると角が立ちそうなので述べませんが、つまりはなんだか下に見てしまうのです。
うん、とても性格悪い。
が、条件反射的な適応機制(防衛機制)でもあると感じているので、敢えてもう少し考えてみます。
防衛機制(ぼうえいきせい、英: defence mechanism)とは、精神分析で用いられる用語であり、欲求不満などによって社会に適応が出来ない状態に陥った時に行われる自我の再適応メカニズムを指す。広義においては、自我と超自我が本能的衝動をコントロールする全ての操作を指す。
(wikipediaより)
そこには、人より苦労して頑張ってきた自分すごいな、という可哀想な自尊心があります。
実際は肩書きは記号に過ぎないのですが、人生のあるフェーズ(大学受験)までは、その記号を手に入れることで人間の価値が決まるのだというくらいに盲目的に考えていたわけです。
もちろん今では、本当の意味で生き方や輝き方が多様であることを、頭では理解しています。
それでも、前述した盲目的価値観に基づいた選択行動に、人生の多くを注いできた過去の自分に同情して、心の上ではこの多様性を理解できていないのです。
それは、マウンティングという言葉に近いような気がします。
悲しい消極的マウンティング
マウンティングとは。
マウンティングとは、本来、動物が自分の優位性を表すために相手に対して馬乗りになる様子をいいますが、人間関係においては、「自分の方が優位」と思いたいがゆえに、「私の方が他人よりも幸せである」と一方的に格付けし、自分の方が立場は上であると主張し、更にそれをアピールするのがマウンティング女子です。
(@typeより)
ここで表されているマウンティングと今回の事情がやや異なるのが、具体的な言動には出ないということです。
前述したように、あくまで他人の言動を解釈する際の、防衛機制としての消極的マウンティング。
だから、コミュニケーションの相手に対して、実際に卑下する言動をとらないのです。
自分の発言の節々に現れている可能性は否定できませんが、意識としては本当にありません。
なぜ最近強まってきたのか?
この感覚、もちろん今に始まったことではありません。
20歳近くで地元を離れてから、年に数えるほどしか故郷に帰らなくなって10年は経っています。
最初からそんな感覚はあった。
しかし、やや強まってきた気はするのです。
その原因は明らかで、"生き遅れている"感です。
私の故郷をはじめとして地方では、ライフステージの変化が早まる傾向があると感じます。
要は、就職→結婚→出産を迎えた同学年が多数を占めてきたわけです。
中では終の住処としてのマイホームを建てている同学も珍しくなくなってきました。
また、地方ではそんな傾向もあいまってか、そんな価値観こそ是とされるような被害妄想があります。
結婚至上主義の価値観はやや弱まってきているのか、親族にもはっきりと"まだ結婚しないの?"と言われることはありませんでした。
でも現実に、ライフステージを順調に登っている人間が多数派になった空間にどっぷり浸かると、無言の圧力や生き遅れ感を、必要以上に感じてしまっています。
そんなプレッシャーを受けても、"はいそうですか"と価値観を同調させるということはありません。
そこは先のステータス意識が、頑ななほどに胡座をかいて価値観の同調を阻んでおり、自分を肯定するために消極的マウンティングに走るのです。
「忘れたのか?オマエは彼らとは生き方が違うのだ」と。
むすびに
わりかし恐る恐る書いてみました。
どうなのかなー、自分だけなのかな?
書き忘れてましたが、今回書いたような"呪い"にまだ振り回されてるのは、きっと自分がまだ途上段階にいると思っているからだと考えています。
自分が納得できる一定の状態、それは記号としてのステータスなのか成果をあげた状態なのか不明ですが、そこに至ろうとしている途上だということ。
ならば頑張るしかないでしょう。
と、いうことで。
それが言いたかったわけで、元旦所信表明の延長でした。
やりがい搾取vsやりがい潔癖性 - 「なぜ役所を辞めたのか?第4回(最終回) 地方公務員という生き方」
さて、このシリーズもそろそろ終えましょう。
私は2016年7月末をもって、勤続2年4ヶ月の役所を退職して民間人となりました。
その背景を説明するために、役所における建築系技術職員としての働き方をレビューしてみました。
ややマニアックかつ、冗長な文字情報だけではイメージしづらい部分もあったかと思います。
役所で働くとは
前回までんエントリでは、私の経験ベースではありますが、事実を中心に書いてきました。
ここからは主観ベースで書いていきます。
まずは大前提。
建築系であるかないかを問わず、役所で地方公務員として働くということは、人生をその自治体に捧げるということに他なりません。
それは建前上のこと(全体の奉仕者)ですが、実際はそれ以上に実生活に影響してきました。
地方公務員は、一年間の担当を"◯◯係"と呼びます。
まるで小中学校時代のクラス係分担をイメージさせる、あれです。
学校のように1年や半年周期とまではいきませんが、役所におけるキャリアパスはこの"係"を2〜4年周期で渡り歩くことです。
"係"であるがゆえに、どんな職員がローテーションでその係に就いたとしても、基本的に同質のパフォーマンスとなるような人事システムとなっています。
事務職であれば、本当にポジションは様々。
窓口で住民票や戸籍を担当していたかと思えば、税金の回収業務(取り立て)にいくかもしれない。その次は、技術職ばかりの課で庶務担当をしているかもしれない。
建築や土木といった技術職であっても、先日のエントリにあったような営繕業務・審査業務・都市整備業務を中心にどこに就くかは予測できません。
このシステムを肯定する人にとっては、「異動のたびに仕事が大きく変わるから、転職する必要がない」と感じるようです。
なるほど、一定の周期で仕事が大きく変わるからこそ、実務に飽きることはないということはメリットでもあるのでしょう。
しかしここには、"いったい役所でどんな仕事をしたかったのか"という、入庁時の青臭いモチベーションを忘れさせてしまう大きな罠があります。
このシステムに慣れてしまうと、「入庁時はやりたかった仕事があるような気がするけど、まあ大組織だから仕方ないよね。でも社会的に守られながら安定した人生を遅れるし、このまま公務員を続ければいいかな」という考えに傾いても仕方ないのです。
役所志望者の2類型-「生き方」型と「やりがい」型
転職で役所に入る人はともかく、新卒で役所を志す人には2タイプあると考えます。
それは、「①役所という生き方に惹かれる」という人と、「②学んだことを、社会のために還元したい。そして、それは役所でしかできない」という人。
①を「生き方」型、②を「やりがい」型とここでは呼ぶこととしましょう。
①はどちらかと言えば、仕事に対してやりがいをそれほど求めてはおらず、前述のような安定性を承知の上で入庁してきます。
②は技術職や専門職に多い傾向ですが、要はやりがいベースで入庁する人々です。
このシステムは、②の人を①にしてしまう圧力があるのです。
彼または彼女が抱いていた、"やりたかったこと"に対して、いつまでも人事異動上のおあずけを強いられた結果、もはや②「やりがい」型でいることはリスクでしかなくなってしまうのです。
なぜか?
それは、搾取を感じてしまうから。
参考イメージ(togetterより)
やりがい搾取vsやりがい潔癖性
さて、ここまで書いてきた被害妄想ですが、つまりは私が感じ続けてきたことです。
私は大学院までで学んだ都市計画・まちづくりを仕事にして、社会に還元したかった。
そしてそれは役所の仕事としての都市計画で、実現させるために建築職員として入庁したわけです。
ただ、それは無限定な"社会への還元"や"やりがい"といったもので、具体的に"何のために何をしたいか"という意識は低かった。
でも、「何のためには働きたくはないか」ということはハッキリしすぎていた。
そんな"やりがい潔癖性"だった私にとって、"やりがい搾取"という妄想はみるみる膨れ上がります。
もちろん、感じていた価値観が、公務員の建前上の価値観と親和性が高かったことは事実でしょう。
"住民参加のまちづくり""住民主体のまちづくり"。。。
意欲的な政策もありました。
横浜市 都市整備局 地域まちづくりの推進 ヨコハマ市民まち普請事業 ヨコハマ市民まち普請事業 トップ
また、最初の配属が特殊な営繕業務であったことで、異動のタイミングがかなり遅れそうだということも影響しました。
5年後?7年後?
いつまでこの仕事をするのだろう?いつ、やりたいポジションに就けるのだろう?
よしんばやりたいポジションに就けたとして、その先また異動した後はどうするのだろう?
担当監督員時代の解体工事
まとめ
以上、役所の業務のレビューから、私が役所を辞めて転職をしたpull要因を説明してみました。
2年4ヶ月で何がわかったのか。
我慢が足りなかったのではないか。
そんな指摘はあり得るでしょう。的を射ています。
私もそう思うところはあります。
それでも人生は有限であり、タイミングは自分で決めるのです。
違和感を感じて、耐えながらもこの先歩んでいくことと、
自らの意思で立場を変えながら、いるべき場所ややるべき使命を求めながら試行錯誤していくことを比較して、私は後者の生き方を選択しました。
"マドルスルー"という言葉が好きです。
それはもがいてもがいて、試行錯誤の結果ようやく前進させていく突破の仕方を指す言葉です。
"正しい方法による劇的な突破"を表す、ブレイクスルーに対する言葉です。
2017年もマドルスルーの精神で、公私ともに頑張っていきます。