no pleasure, no life(旧ブログ名:まちづくり、例えばこんなふうに)

意固地になるほどに"まちづくり"が気になって仕方ない。自分の関わったまちづくりの活動・調査の記録を中心にしつつ、"都市""街の変化"の話題など。 Keyword→まちづくり/都市計画/荒川区町屋/蒲郡/豊橋/三河/谷中

横浜市民だけど素盞雄神社の天王祭(町屋地区)で御神輿担いできた話のその2。

さて"その2"です。

前回記事はこちらから。

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お祭りの流れ、2

前回は、お祭りの話とは言え、待機所とか奉賛金といった裏方のお話がほとんどでしたね。

華やかに見える御神輿のウラで、大事な準備や段取りや仕組みがあるのだよということが、少しでも認識されればよいかなーと思います。

 

さて今回は、いよいよお祭りの主役?とも言える御神輿の話でございますよ。

町内巡行

御神輿は町内を巡ります。

天王祭からいらっしゃった神様(の御霊)を載せ、町内を練って氏子のみなさんに披露するのです。

御神輿の担ぎ方

まずは簡単に御神輿の担ぎ方について。

ただ担ぐだけじゃないの?と思われるかもしれませんが、意外とこれが深くて難易度高い事情があるのです。

 

前段として、これだけ言わせて。

御神輿、めっちゃ重たいです。

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(今回担がせてもらった御神輿@尾竹橋通り)

 

さて、御神輿の担ぎ方。

当たり前ながら、人の身長の高さというものはバラバラです。

頭の高さと同じように肩の高さも異なり、高い人もいれば低い人もいるのです。

 

一方で、御神輿は肩の高さで担ぎます。

ほぼ首と言ってもいいような、肩の付け根部分を御神輿の担ぎ棒に押し当て、歩行による御神輿の上下運動に合わせて、自らの身体も上下させます。

御神輿と言えば掛け声ですが、それはそのためのリズム合わせなのかなと感じました。

足を出すタイミングが揃うように。

 

イメージ的には、屈んですり足を延々続ける感覚でしょうか。

少しでもタイミングがずれれば、担ぎ棒は容赦なく首を強打します。これが腫れるほど痛い。

なので、御神輿と身体を密着させた状態を保ち続けることが、当日はおろか翌日以降も続く後遺症を抑える唯一の手段となります。

 

結論としては、そんなんできるか。

 

どうしたってタイミングはズレるし、身長の高さがバラバラな方々が入れ替わり立ち替わりで担いでるので予測不能な高さの変化はしょっちゅう変わるし、イキって遊び出すマイルドヤンキーな方々はいるわで、その他疲労もあったりで。

 

結果、1日目が終わった時点での肩氏こちらになります。

 

 

 

※食事中注意

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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はい、失礼しました。。

(現在は完治)

 

熟練になれば無傷で二日間を終えられたのでしょうか。

 

一本締めに始まり一本締めに終わる

昨年の高木神社でもそうでしたが、御神輿を担ぐ直前、おろした直後には決まったルーティンがあります。

それは一本締め

 

「お手を拝借、イヨー!パン!」 

ではありません。

 

3・3・3・1です。

宴席では、三本締めとか言われるあれです。

 

この意味としては、3を3回繰り返すことで「九」を作り、そこに1を足すことで「丸」にするということ。

つまりは丸く収めるということなんだそう。

 

「差す」

休憩所や、お祭りに協力してもらったお店や場所の前で、御神輿を「差す」ことがあります。

それは、普段は肩で担いでいる御神輿を片手で高く掲げ、空いている方の手で担ぎ棒を横から叩くという不思議な動作です。

差したと思ったらすぐに御神輿を下ろしたりする急展開があるので、意外とこれが危ない。

 

意味はよく聞いてはいませんが、感謝とか、「神様、このお宅にはもうちょっと贔屓してあげてくださいね。。。!」というメッセージなのかなと推察しました。

本当はどういう意味なんでしょう。

 

休憩所でもやはり飲酒

さて、御神輿を担いでいる途中、何度か御神輿を止めて下ろします。

感覚としては、20分くらい担いだ後、15分くらい。

御神輿を担ぐのはやはりとてつもなく体力を消費するので、休憩するわけですね。

 

こんな感じですが、助っ人な方々ばかりなのでややアレですね。。。

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(町屋二丁目、酒肴DINING「伴」の隣にて)

 

休憩所では、ビールをはじめとした飲料と、軽食がふるまわれます。

 

こちらは焼酎のお茶割り。

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こちらは軽食で、ニンニク風味のチキンだったでしょうかね。 

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余談ですがこの時間は、私のような飛び込み参加者にとってはなかなかに苦痛な時間です。

それもそのはず、知り合いがいないので話し相手がいないのです。

お酒は飲んでいるのでその勢いを借りるということもあるかもしれませんが、"自分以外全員知り合い"みたいな状況の中でそれができる方はどのくらいいるのでしょうねー。。。

 

町屋地区15町会連合渡御

町屋地区の天王祭における最大の見せ場は、2日目である日曜日正午から開始された連合渡御でしょう。

町屋地区に存在している15の町会が、町屋のメインストリートである尾竹橋通りに御神輿を集め、順番に進むのです。

 

開始前、御神輿が少しずつ集まってくる様子を見るだけで、高まります。

そしてその光景を、御神輿の担ぎ手の一人として、(借り物ながら)半纏を着て見ているというシチュエーションにも高まります。

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(連合渡御開始前の尾竹橋通り)

 

1つ(数え方は?)でもそれ自体見応えのある御神輿を、一箇所で15も見られるのです。

やはり沿道には見物される方々が多く、その中で担げることについての誇りも生まれてきます。

 

宮入り

御神輿はお宮、つまりは神社から神様を載せて出発したこととなっています。

ということは、最後はお宮に神様を送らなければなりません。

それが宮入り。

こちらは動画をTwitterに投稿していたので、それを転載します。

 

 

これを投稿できたということは、すなわちこのタイミングでは私は御神輿を担いでいません。

1日目は出発から到着までずっと担いでいたのですが、二日目は頃合いを見ながら休憩をやや増やさざるをえなかった。

実感値として、長時間御神輿を担いでる人はむしろ少数派で、休憩所から休憩所の間でも、かなりの頻度で交代がありました。

 

 

さて、”その2”として御神輿編をお送りしました。

やっぱり三部作になってしまいそうですね。

次回は総括的な内容で、考察をしてみようかと思ってます。

横浜市民だけど素盞雄神社の天王祭(町屋地区)で御神輿担いできた話のその1。

早くも一週間がに過ぎてしまいましたが、素盞雄神社の天王祭に参加してきました。

御神輿を担いだのは、昨年の高木神社の例大祭以来ちょうど一年ぶり。

 

前回は、マツリズムという、わかりやすく言えばお祭り参加仲介事業の中での御神輿担ぎであり、いろいろと思うところがありました。

一方で今回は、そういった下地のない正真正銘の飛び込み。ダイブ。

もちろん、やはり思うところはありましたが、昨年得たものとはやや異なる気がしています。

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そんな、昨年のお祭り体験記はこちらから。

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経緯と動機

今回のお祭り参加は、直接の知人の方を介してのものでした。

件の"荒川区景観まちづくり塾"には地域で活動をされる様々な方々がおり、その中にはもちろん町内会の関係者もいらしたのです。

幸いなことに、私がグループワークで所属していた町屋・荒川地域には、私がかつて荒川区民だあった時代に所属していた町内会の総務部長さん(もちろん当時は面識ありません)がおられ、仲良くさせていただく中で、今回の天王祭ダイブが実現したというわけです。

 

完全な私事ですが、今年7月には荒川区へ再入国予定。

でも、それだと6月上旬の天王祭は、素盞雄神社の氏子として迎えられない。

それならば、あらかじめフライングしてしまえ、氏神様への挨拶を先にしてしまえということで。 

 

ちなみに以前の記事に書いたように、こうした余所者のお祭り参加自体は、おそらく多くの町内会・氏子組織で受け入れ体制があるものと思われます。

ポスターに「担ぎ手募集」と記載がある地区であれば、電話やメールというハードルを超えさえすれば、誰でもお祭りに参加できるのではないでしょうか。(保証はしませんが。。)

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お祭りの流れ

平成29年の天王祭は6月3日(土)、4日(日)の2日間にわたって行われました。

最初に申し上げてしまうと、見物対象としての天王祭の見所はそれほど多くはないなと感じます。

基本的にはとにかく硬派に硬派に、御神輿の渡御(御神輿を担いで練り歩く)なのです。

 

あと、別に御神輿を担いで素盞雄神社に向かうわけではないということもポイントだった。

当初は、61町会の御神輿が氏神様たる素盞雄神社に勢ぞろいするのかと思いましたが、あくまで町内巡行と、町屋地区とか南千住・三ノ輪地区とかいうように、まとまった地区単位での連合渡御があるのみでした。

 

ちなみに参加させてもらった町内会のお祭りスケジュールは以下の感じ。

6/3(土)18:00 町内巡行

6/4(日)12:00 町屋地区15町会連合渡御@尾竹橋通り

   15:30 町内巡行

   17:30 直会

 

※ちなみに今年は陰祭で、来年は3年に一度の本祭があり、本社神輿や白馬が出るなど、ガラッと演出が異なるそうです

www.susanoo.or.jp

御神輿の出発以前

早速ながら、御神輿が出るだけがお祭りではありません。

御神輿はお祭り2日間の"動"の部分だというだけで、それ以外の"静"にもお祭りの重要な要素が詰まっています。

 

御霊入れ

正確にはこの段階では私は立ち会っておりませんが、宗教行事としてのお祭りにおいては重要なことなので。

御神輿というものは文字通り"神"を載せて担ぐわけですが、常に御神輿に神が宿っているわけではありません。

神はあくまで神社におられ、お祭りの時だけ御神輿に宿られるのです。

 

御霊入れとはこのための、御神輿に神を載せる儀式です。

一神社に対する氏子町会の数が少なければ、御神輿を直接境内に持ち込んで御霊入れしてもらうお祭りもあるのですが、ここ天王祭においては、素盞雄神社氏神と仰ぐ町会数はなんと61

そもそも氏子圏域が広大であるゆえに、町屋地区の御神輿が直接素盞雄様に来るということはありません。

というわけで、御霊入れの儀式を受けたお札を持ち帰り、御神輿に移すというものだったようです。

 

待機所

お祭りは二日間なのですが、その間中ずっと御神輿が出ているわけではありません。

二日間合計しても御神輿の時間はせいぜい4時間程度という感覚で、それ以外の時間帯の御神輿は、町会会館に設けられた神酒所前に鎮座されています。

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(町会会館と御神輿)

 

御神輿は町会会館に、それでは担ぎ手達はどこにいるのか。

そう、彼らは公園に設けられた待機所にいるのです。

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(待機所の様子)

 

この待機所にいる時間がほとんどと言っても過言ではありません。

ここで何が行われるのかと言えば、私が観察する限りには、

  • 青年部による飲食(ほぼアルコール)と地域コミュニケーション(やや手荒め)
  • 町会婦人部による炊き出し
  • 協力団体達とのご挨拶と奉賛金対応

といったことが行われていました。

 

①とにかく飲む

お祭り期間中、青年部を初めとする担ぎ手の皆様はとにかく飲みます。

それも、ビールとお茶割り。

そういえば、神酒とかの謂れとして、酔えば神の領域に近づくといった話を聞いたことがあるのですが、あの感覚なのでしょうかね。

 

お酒と併せて、特有の地域コミュニケーションも忘れてはなりません。

何かと言えば、余所者の介入を拒むような内輪的なコミュニケーションのことです。

親戚が甥っ子に「お前はいくつになったんだ?」と聞くような、共同体所属員に対してライフステージの変化を確認するような、あの感じ。

 

②カレー、カレー、カレーの炊き出し

御神輿の出発前や終了後、酒以外にも食べ物が振る舞われます。

その中で、かなりの割合を占めるのがカレー。聞けばそれは、予算と手間を理由に、安価かつ大量に調理しやすいから。

これを作られているのが、町内会の婦人部のお姉様方というわけです。

 

まあ、カレーはよいのです。それよりも。

今や家庭内における男女役割について、男が力作業で女がそのサポートなのだというように、固定的に考えることには批判的なご時世かも知れません。

ただ地域という共同体においてはまだまだそれが標準のようで、婦人部は炊事と相場が決まっている感覚でした。

婦人部の方々は待機所での炊き出しと、御神輿が止まる度にある休憩時の差し入れを担当してくださいます。

 

③お祭りは地域だけでは成り立たない、協力団体の存在

そしてこれが今回のお祭りでの発見。

前提条件として、地域の人だけでは御神輿を担ぐことができないというのが、荒川区に限らず日本各地で発生している課題です。

それなら助っ人が必要だということで、多くの地域における当面の処方箋となっているのがこの”助け合い”制度。

要は、お祭りの時期が異なる他の地域の氏子団体や、氏子団体ですらない御神輿担ぎの同好会("〇〇會"というような名称が多い)の方と日頃から協力関係を結んでおき、お互いのお祭りを行ったり来たりするわけです。

特徴的なのは、御神輿を担いでる方々の色とりどりの半纏。

 

まあこうなるわけです。

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(どこの氏神様を担いでいるのかわからない御神輿。この地域の半纏は紫色です。)

 

奉賛金

お祭りは何かと物入りです。

神酒所の装飾のほか、担ぎ手の飲食にとてつもないお金が必要となります。

 

こうしたお金は、氏子を中心として"奉賛金"として集められたお金、要はカンパにより賄うわけです。

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お金を集めた方々は、神酒所近くの掲示板にでかでかと名前と金額が飾られます。

スポンサー一覧、というわけです。

 

今回はこんなところで。

次回いよいよ御神輿の町内巡行と連合渡御、そしてその後に考察について書きたいと思います。

きっと誰でもいつでも"地の人"になれるんだろうという話。

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一般社団法人マツリズムの代表である大原さんの、少し前の記事から感じたことを。

manabuohara.hatenablog.jp

 

よく地域とかコミュニティを考えるときに、「既存住民」と「新規住民」とか、「地域の担い手」と「地域の傍観者」だとかいう二分法を用いることがあります。

これによって要らぬ対立構造を生むリスクがあるという反面、まあ実際そうだよなと共感され得るところもあり、結局のところ説明しやすいからこの言葉を使うというのが正直なところです。

 

で、その前者である「既存住民」とか「地域の担い手」というのは、つまりは誰のことなのかという話。

そこに仲間入りするためのパスポートだとか通過儀礼が、果たして必要なのでしょうか。

 

大原さんのブログではそれを言い換えて、”地の人”としています。

 様々なアイデアが出た中で、地元の祭りの方から興味深い話があった。

「実は根っからの『地の人』なんて多くない。祭りの担い手の多くが地方出身だけどたまたまそこに住み着いた人たちなんですよ。」

(上記記事より。太線部筆者)

特にお祭りを考えるときに意識することが多いのだと思いますが、町内会とかお祭りに携わられている方々は、"地の人"。

この"地の人"というレッテル貼りをしてしまうせいで、ただ仕事や通学の都合で機械的にその地域を選んだだけの人は、まるで"地の人"と切り離された、違うタイプの人みたくなってしまう。

 

でも、こんなのはおそらく相対的な概念でしかないのですね。

新たにその地域・街に住むようになった人に比べて、少しだけ長く住んでいる。

そしてさらに、たまたまその地域・街を居場所とみなすことができて、自分の住まいの中だけでなくて周りを見始めたのが"地の人"だと思うのです。

 

この、"居場所とみなす"というのが肝でありながら難しいところで、家賃と交通利便性のバランスだけで転居を繰り返している場合は、もしかしたら子育てを始めても居場所を見つけられないかもしれない。

子供が小学校に入り始めて”そろそろ根を張ろうかな”と思った場所が居場所になるのかもしれないし、そんなものなのかもしれない。

 

ここで大事なのは、"地の人"にはいつでもなれるということなのだと思います。

地域との関わりを始めるきっかけに子育てを挙げる人は多数ですが、なんだかそれは結果論的でかっこよくはない。と感じる。

別に地域と関わるきっかけを受動的に待たなくたっていい。

なしくずし的ななり方もあろうけど、積極的に"地の人"になる選択肢だって絶対にある。

 

そして私は、その中でも異端児的に、住む前から居場所にしようとする試みを進めているわけだ。なんだそれ。

素盞雄神社天王祭に向けた各町内会のポスターに見るスタンスの違いなど

素盞雄神社の天王祭まで残り1週間となりましたね。

気温は上がってきたものの、街はまだまだ日常。

 

いや、そうでも、ない。

各町会の掲示板には、必ずと言っていいほど天王祭公式のお知らせと、町会ごとの広報(担ぎ手募集、巡行予定など)が張り出されています。

 

今回は、それをちらりとご紹介してみます。

地域につながりがないけどお祭りに興味ある方、もしかしたら今からでも御神輿担げるかもしれませんよ!

 

 

 

3町会(子の神町会・荒川銀成町会・荒川宮地町会)

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日時・場所のみ。

 

5町会(大西町会・荒川宮地町会・荒川親交会・荒川五丁目北町会・荒川六丁目南町会)

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日時・場所のみ。

 

荒川七丁目北町会

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これまた日時・場所のみ。

 

荒川六丁目西町会

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日時だけでなく、貸し半纏のお知らせと、"担ぎ手募集"の情報。おや、これは!

 

町屋二丁目仲町会

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こちらも、"担ぎ手募集"の堂々としたポスター。

連絡先は電話番号ですが、相談の価値はありそうですね!

 

町屋東栄町

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これは最先端。メールアドレスもあります。これは問い合わせしやすい。

 

 

と、いう感じでした。

もちろんこれが全てではないので、他にも担ぎ手募集してる町会さんが見つかるかもしれません。

ラジオ体操で地域デビューはいかがですか?

ユニークな取組みだなと感じたのですが、どうなんでしょうね。

ラジオ体操指導者養成講習会 荒川区

荒川区主催で、ラジオ体操の指導者を養成する講座が開催されるというのです。

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なんでラジオ体操。。?と思われる方もいるでしょう。

しかし、私の体験的にも、荒川区や下町地域におけるラジオ体操には、子どもの夏の風物詩以上の意味があるんじゃないかと感じています。

 

 

ラジオ体操は単なる子供の夏の風物詩にあらず

突然ですが、こんな看板を見たことはありませんか? 

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こちらのブログより)

 

これは荒川区東尾久にある赤土小学校会場のものですが、こうした看板は荒川区をはじめとした下町地域の、主な公園などに設置されています。

画像中の、「年中無休」というところに注目してほしいのです。

 

こうした場所では、夏休みの1、2週間の期間だけでなく、(おそらく)365日毎朝ラジオ体操が行われています。

もちろん子どもたちのように毎朝通ってスタンプをためることが、目的ではありません。

では、なぜか?

それは、ラジオ体操の本来の目的である健康増進自体が目的なのです。

 

こうした会場は、荒川区内ではなんと26箇所も存在しています。

全国ラジオ体操連盟サイトより)

リンク先をご覧いただければわかるように、こうした会場は町会など地域の方々によって運営されています。

音源機材と、お手本として前に出る人が当番として決まっており、ラジオ体操から始まる日常をまわすのです。

 

ラジオ体操とコミュニティ

365日ラジオ体操は、健康増進が目的、と前述しました。

しかし、目的はそれだとしても、結果として生じた新たな役割が、ラジオ体操という場にはあるような気がしています。

それは、井戸端会議や銭湯のようなものと並列するような、"コミュニティのサロン"としての役割です。

 

ここで私の話になるのですが、私が"単身でも地域と関わりながら生活したいな"と感じ始めて、最初に試みた手段は町屋のラジオ体操会場に入門することでした。

当時住んでいた町屋二丁目にある、できたばかりの「くすのき山公園」で行われていたラジオ体操に、ひと月は通いつめました。

地域の人にとにかく認知されようと、顔を売り始めたのです。

 

早朝6:20頃より人が集まり始め、6:30にはラジオ体操が淡々とスタートします。

そして、ラジオ体操第1、第2と終わった後、6:45-50にはもはや解散します。

その間、地域の方々は挨拶したら世間話したり、笑い声が聞こえたり。

そして、単身者にはまるで遠い存在であった地域コミュニティが確かに存在することを、そこに感じたのです。

 

ただ、コミュニティの持つ領域性は、外から見た時の排他性と両輪です。

つまり、既に形成されていたコミュニティには、余所者の入り込む隙を見つけることは難しかったのです。

知らないのに、「おはようございまーす!」と言ったところでどうなったでしょうか。それ以前に、言えたでしょうか。

 

結果的に、顔を売るという私の作戦はまったく実らず、第一次町屋生活を不完全燃焼の状態で終える事となりました。。。

 

荒川区や下町地域におけるラジオ体操

前述の同サイトをさらに見てもらうと、ある傾向が掴めます。
東京23区において、全国ラジオ体操連盟が把握している会場数を抜粋で見てみましょう。

墨田区 36箇所
葛飾区 36箇所
荒川区 26箇所
台東区 18箇所
新宿区 17箇所
足立区 12箇所
中央区 12箇所
目黒区 11箇所
杉並区 11箇所
文京区 9箇所
世田谷区 8箇所
板橋区 7箇所
港区 1箇所


完全にではありませんが、ゆるやかな西高東低が見える気がするのです。

なんとなく、一般的に下町として認識する区の会場数が多い気がする。

 

その背景にはいろいろ考えられますが、下町においてラジオ体操の必要性が認識されているということは、コミュニティがある程度できていることや、エリアとしての高齢化が進んでいることが挙げられるでしょうか。

 

何が言いたいかと言えば

ラジオ体操から始まる日常も、なかなかよいものですよ。

朝の適度な運動になるし、眠い身体もきっちりと目覚めます。

なんだか1日が長くなった気がして、得した気分にもなります。

なかなか朝起きられず二度寝してしまう方は、近所のラジオ体操会場を探してみてください。

 

そして、さらに単身者が地域とつながるきっかけにもなったらよいですよね。

もしも町内会などラジオ体操を運営する側の方がこの記事を読まれたら、これからはラジオ体操の場に見慣れない若者を見かけた際に、笑顔で挨拶をかけていただけると幸いです。

もちろん、根本的には若者本人の勇気が必要なのは、言うまでもないのですが。

横浜市民だけど南千住・素盞雄神社の天王祭で御神輿担がせてもらうことにした。

お祭り系の記事が続きます。

 

 

お祭りは誰のものか?

さて突然ですが、お祭りは誰のものでしょうか。

難しい質問です。

「地域のもの!」とか「神様のもの!」とかいったな優等生な回答もあれば、「誰のものでもない。」というような思考拒絶の回答もありうることでしょう。

 

やや質問の角度を変えてみましょう。

地域のお祭りに、余所者(ヨソモノ)は参加してよいのでしょうか。

これはお祭りのプライベート性を問うもので、神社祭礼の根幹に関わる問いかけと言えるのでは。

 

全国に何万とあるお祭りをひっくるめての自分の乱暴な回答を言えば、以下のような感じかと。

「お祭りは氏子が氏神様のために行うもの。氏子はきわめて地縁性の強い概念であるゆえに、ヨソモノがお祭りに参加することは基本的に想定されていない。しかし、地縁のみによる氏子組織は疲弊している場合も多く前提条件が崩れてきているため、ヨソモノにとって一定の介入余地がある

 

というわけで。

 

余所者として、地域のお祭りにお邪魔します。

 

ここまでのあらすじはこちら。

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素振りの連続

この三年強の間、根無し草としていくつかの地域に顔を出すことで、いろんな地域で"私はこの地域の仲間ですよ"と、ハンパ者みたいな活動をしてきました。コウモリ?

いや、正確にはそのお陰で学ぶことができたわけですが。

 

住んでいた川崎市高津区明津地区や横浜市青葉区新石川地区で自治会活動を手伝おうとしたり(叶わず)、川崎市中原区のイダナカ商店街に関わりを求めたり(叶わず)、マツリズムを通じて墨田区京島でよんむつの方々を手伝い始めたり(やや手応え)。

このへんは恥ずかしながらこのブログを通じた体験記事として書き残していたのですが、いつの間にか続報がなくなり、フェードアウト。

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もちろん、いずれも半端な気持ちというわけではなく、地域に顔を通すことで地域の方々と深く結びつき、より楽しい毎日を送るための本気の余暇活動だったのですが。

あと一歩のところで詰めが甘かったり躊躇すしたり、"どうせ2年しか住まないからなー"とかいった邪念によって、結局シャドーボクシング以上のものにならなかった。

 

今回は違う、きっと

しかし今回はちょっと違う気がする!。。のです。

荒川区町屋地区への転入はほぼ確定で、かつ同エリアにおけるソーシャルキャピタル形成活動にも一定の成果が見えている状況なのです。

転居したら2年では消えない予定だし、むしろもっと町屋・荒川区を騒がせたい気持ちしかありません。

 

というわけで

 

6月3日と、4日は素盞雄神社の氏子(予定)として、御神輿を担いで参ります。

地域性の強いコミュニケーションも、もちろんお祭り体力にも不安ありありな中ですが、喜んで洗礼を味わってみようと思います。

もちろん、ギリギリまで記録記事も書いてみる予定。

【雑談】長浜曳山まつり(滋賀県長浜市)の”子ども歌舞伎”という文化継承

滋賀県長浜市から近江八幡市の間をふらふらしてきました。

愛知県生まれの私としてもこのエリアというのは大変失礼ながらノーマークで、京都に向かう時に通過する場所としてしか認識していませんでした。

聞いたことがあるかどうかで言えば、近江八幡市についてはたまたま前職の同期が出身だったために認知していたものの、長浜市については”えっと、長浜市ラーメンのところ?”と誤解していたレベルです。

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今回特に長浜市を歩いてみて、中心市街地に「曳山博物館」なる施設を見つけたので、偶然入ってみたのです。

それが大当たりでした。

なぜかと言えば、「長浜曳山まつりという、これまた強烈なお祭りの存在を知ることができ、博物館のスタッフの方を質問攻めにして盛り上がり、興奮冷めやらぬままホテルのロビーでこれを書き始めたというのがここまでのあらすじです。

 

 

長浜市ってこんなところ

長浜市があるのは滋賀県です。

県の中心にある琵琶湖の北東に位置しており、首都圏から向かう際は新幹線で米原から乗り換えるルートとなります。

長浜市

 

歴史的には、16世紀にかの豊臣秀吉が初めて城を構えたのがこの地にある長浜城(もちろん現存せず)で、この時に作られた城下町が現在のまちの骨格をつくっています。

地名はもともとは”今浜”だったのが、秀吉が織田信長の「長」をとって”長浜”に改称したとされています。

長浜城歴史博物館

 

まちづくり的には、何をおいても黒壁スクエアでしょう。

黒壁スクエアとは、長浜の中心市街地にある四角形(スクエア)のエリアで、そこには伝統的な町家型の建築物が今も活用され、歩いて楽しい街並みを形成しています。

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(黒壁スクエアにある黒壁一号館。もとは銀行だった)

 

モータリゼーションの波に飲まれ、中心市街地が衰退していたところ、地元の意識ある活動家達が立ち上がってまちづくりに取り組みました。

その成果がいくつかの団体「株式会社黒壁(第3セクター)」「NPO法人まちづくり役場」で、近年でも「長浜まちづくり株式会社」がTMOとして発足しています。

黒壁 - 滋賀県長浜市 ガラスの街「黒壁スクエア」 

長浜まちづくり株式会社

 

「長浜曳山まつり

そしてこの地に古くから伝わるお祭りが、毎年4月中旬に開催される「長浜曳山まつり」というわけです。

起源とされるのは、これまた16世紀。

豊臣(当時はまだ羽柴)秀吉に初めての子が生まれた際に、秀吉が城下に振る舞った砂金で町民が山車(やま)を作りました。

長浜八幡宮の祭礼に合わせてこれら山車を曳き回したことが始まりだとされています。

 

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(曳山が保管される蔵)

 

お祭りの基本的なところ

お祭りの正確な情報については、公式サイトであるこちらが詳しいです。

長浜市曳山博物館 長浜曳山まつりの一週間

 

ご存知の方にとっては当たり前ですが、お祭は神輿を担いでお酒を飲んで騒ぐということ自体が目的というわけではありません。

日本の神社神道の総元締めである神社本庁では、以下のように説明されています。

神様に神饌を捧げることでしてご接待を行い、神様に喜んでいただき、祝詞を奏上することで神様のご神徳をいただいて、皇室を始め天下、地域の安寧と発展、さらには願い事をする氏子崇敬者の繁栄をいのるものなのです。

神社本庁公式サイトより)

神様に喜んでいただく手段が各地によって異なり、その違いが地域ごとの味となっているのかなと感じています。

 

そしてここ「長浜曳山まつり」では、12基の曳山とその上で演じられる「子ども歌舞伎」によって、神様を接待するというわけです。

 

「子ども歌舞伎」

長浜曳山まつり最大の見せ場は、なんといってもこの「子ども歌舞伎」です。

巨大な曳山の上で、年端もゆかぬ子ども達が歌舞伎を演じるのです。

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でも、本格的。

 

この「子ども歌舞伎」について、もう少し詳しく見てみましょう。

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(曳山博物館公式サイトより。長浜市内における山組の分布)

 

氏子区域内には上図のように12基の曳山(及び特殊な位置付けの長刀山)があり、それぞれを管理する町を山組と呼びます。

が、毎年毎年12基全ての曳山を出すということはなく、毎年のお祭りではそのうち4基ずつが出されます。

 

その年に曳山を出す4つの山組町内では、歌舞伎に出演する役者を、その山組の町内に住む6歳から12歳くらいまでの男の子から指名します。

指名の結果はあくまでその男児の親に対して伝えられ、子どもさん本人に拒否権はありません。

基本的に指名された家庭では喜んで受ける風習となっているようですが、やはりはじめは嫌々稽古に行くということも珍しくないようです。

 

そこからたった三週間、役者である男児達の稽古が進められます。

あくまで素人の子ども達を、三週間の稽古でモノにさせるわけです。

そしてこの3週間で子ども達は驚異的な成長を見せ、本番を迎えることになるのです。

 

この間の経験は、幼い子どもにとってもやはり強烈なもののようで、

この経験を経て役者を志す者や、地域に残り、自分の子どもを「子ども歌舞伎」に出そうとする者が現れてくるようです。

結果、親子二代にわたって「子ども歌舞伎」に出演するケースも。

 

補足的に公式サイトにおける「子ども歌舞伎」に関する説明も載せてみますね。

長浜では歌舞伎のことを「狂言」または「芸」と呼び、曳山を持つ町(山組)の5歳から12歳くらいまでの男子によって演じられます。演目は曳山の四畳半舞台と子ども役者用にアレンジされます。また、毎年新しい演目で演じられ、長浜独自の外題(題名)がつけられます。上演時間は約40分で、本番の前に行われる線香番と呼ばれる公開稽古で時間が計られます。子どもたちの稽古は振付師の指導により、3月下旬(春休み)から4月の祭本日まで約3週間行われ、まず読み習いがあり、それに続いて立ち稽古を行い、最終的に三味線・太夫と合わせて本番を迎えます。

(曳山博物館公式サイトより) 

 

おわりに

こちらのお祭りは、たまたまかもしれませんが、お祭りの形は戦後からほとんど変わっていないということです。

年に4基ずつ曳山を出すという形式は昭和25年頃から既に確立されており、以降も町内の人間のみで祭礼の催行に必要人員を調達できているのです。

 

こちらはマツリズムが介入できうるようなお祭りとはやや違う気がします。

あくまで地域の人間(子ども役者、若年寄など)によって祭は執り行われ、そこには一切の外部投入がないように見えるのです。

※歌舞伎の指導はさすがに外部有識者を招聘します

 

以前ご紹介した小浜紋付祭と何が異なるのか。

このあたりを読み解いて行くのも面白いし意義があるような気がしますね。